日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

駒大苫小牧野球部事件 何かがおかしいと『げすの勘ぐり』

2005-08-26 10:09:52 | Weblog
野球部長が部員に謝罪 「誠意伝わった」と父親 (共同通信) - goo ニュース

いわゆる駒大苫小牧野球部事件で『暴力』を振るったとされる野球部長と校長が相手の部員とその父親に謝罪したそうである。父親は「誠意伝わった」とのことらしいが、私にはこの謝罪の真意が伝わってこない。報道の仕方によるのだろうがなかなか状況が伝わってこない。だからこそ、と云えるのであろうが、どうもこの事件には『いかがわしさ』がつきまとっている。

報道の仕方によるのかもしれないが、学校側が謝罪したというのだから悪いのは学校側ということになる。では何が悪かったから謝ったのだ、と学校側が説明するか、それともマスメディアが解説するかして貰わないと、私には物事の本質が見えてこない。

いわゆる『暴力』と報じられた出来事がどのようなものであったのか、事実調査の委員会を作ったものの正式の報告がまだ出ていない段階で学校側が謝罪したのだから、「どの点が悪かった」と明示することが世間に対する説明責任というものである。それなしに「本当に申し訳ありませんでした」では本当の謝罪にはなっていない。単なる口先で取り繕っているだけと云われても仕方あるまい。(注1)

私の習性とする『げすの勘ぐり』を働かすと、野球部長も校長も謝罪する気なんてこれっぽちもないと思う。それどころか『事件』の切っ掛けを作った部員に怒り恨み辛みをぶっつけたい筈である。私がその立場なら、57年ぶりという高校野球夏の大会二連覇という破天荒の偉業に『ケチ』をつける引き金となった『歯みだし部員』を父親共々簀巻きにして苫小牧港の沖合に沈めて・・・、いやいや、こんなこと思っていても口に出したらいけない。

この父親の関与が私には解せない。高校三年といえば昔なら最年少ながら特攻隊員として出陣できた年齢である。それより少し時代が下がるが私の高校生時代では自分に関わりのある揉め事は自分で、又は仲間同士で解決するものだった。自主独立が高校生の『誇り』であった。自らの揉め事に親を巻き込むようなことは人間としての恥と心得たものである。どのような経緯でこの部員の父親が舞台に登場してきたのか分からないが、「恥ずかしげもなく」としか云いようがない。そしてこの父親が訳の分からない『誠意』という言葉を持ち出す。

私には世間の常識しかないのでこの父親には通じないかも知れないが、自分の息子を世間様に頭を下げさすのが先ず最初ではないのか。いわゆる『暴力』を引きおこす切っ掛けを作ったのはこの部員なのである。「不調法をいたしました」と頭を下げるべきなのは部員の方なのである。それがたまたま『暴力』を振るわれたということを錦の御旗として学校側に謝罪を迫るとは本末転倒も甚だしい。

駒大苫小牧野球部の部員はおそらく何十人もいるのであろう。これも『げすの勘ぐり』であるが、私はこの部員以外にもビンタ二三発を部長から受けた部員が何人もいると思う。何十人もいる部員のなかで、ただ一人だけが目の敵のような仕打ちを受けていたとするとそれは『異常』である。ひっぱたかれこづかれ蹴っ飛ばされ部員が大勢いると思う。その多くは殴られても「わっ、やられた」で済ませているのではなかろうか。

学校側に肩を持つような意見を先ず述べたが、私は『暴力』を賛美するものでもなければ無条件に認めるものではない。ただ数発程度のビンタを『暴力』とは思わない。ところが昨日の新聞広告に出ているある週刊誌の記事見出しでは《駒大苫小牧「父親の告発手記」「拳が骨折」するまで野球部長は「40発」も息子を殴り続けた!》そうである。もしこれが事実だとするとちょっとやり過ぎである。野球部長は生まれた時代を間違えているのであって、現代の若者を指導する資質を欠いていると云わざるを得ない。

それと同時にあらたな疑問が生じる。私は野球部長と監督のどちらが偉いのかも知らない門外漢であるが、グラウンドでもう一人の大人である監督がこの『暴力事件』を目撃しているのかしていないのか、監督の存在が今までのところ杳としているのが不可解である。
さらにこの『暴力事件』が起こったのは6月の筈である。何故今頃になってこの問題が表面化したのだろう。

このようにこの事件は何かがおかしい。事件そのものにある種の『いかがわしさ』を感じる。しかしそれを突き詰めていくと私の直感では高野連の体質に辿り着きそうである。この事件に関する『報告書』と高野連の対応が明らかになった時点でその辺りを論じることになりそうである。

注1 その後の報道によるとこの『謝罪』には高野連の指示があったとか。私に事態が見えてこなかったのは当たり前、これも『いかがわしさ』の一つである。