日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

鳩山首相の英語に感心 そしてブログ英語版の珍品英語

2009-09-24 18:55:40 | 学問・教育・研究
鳩山首相が国連気候変動サミットで、90年比で25%の温室効果ガス削減を20年までに達成すると宣言したことが国際的に評価されているらしい。何事であれある目的に向けて世界を相手にイニシアチブをとることは日本の存在感を示すのに結構なことである。演説の模様が一部テレビで流れたが、鳩山首相の英語を耳にした途端、アメリカで暮らしたことのある人の英語だなと感じた。発音はネイティブとはいかなくても、相手にちゃんと通じることを自分でも心得てペーパーを読み上げている。気負いがなく自然体なのである。英語の通じる世界各国の首脳とも、公の交渉ごとならともかく、個人的に十分話し合える方だなと思った。信頼関係の構築に大きな武器となることだろう。

私も中学校から英語を習い始めたが、高校、大学を通じてただ学校英語を学ぶだけだった。高校ではクラスでほんの数人ぐらい今で言う塾のような所で受験英語を勉強していたが、私にはそんな経済的な余裕もなく、せいぜい進駐軍の設けたアメリカ文化センターに出かけて、ネイティブの英語を耳にするぐらいであった。そして英語で書かれた歴史とか科学の本を借りだしてはよく目を通していたので、英語そのものに対する抵抗はなかった。アメリカに留学することになっても英語の勉強をとくにすることはなかった。習うより慣れよ、を実践しようと思っていたからである。

アメリカに渡って間もない頃、タクシーに乗っていろいろと話しかける運転手に受け答えしていた。アメリカに来てどれぐらいになると聞くので、一ヶ月と答えると運転手がそれにしては英語がうまいと褒めてくれる。有難うと言って車を降りたが、よく考えると運転手は私がそれまではまったく知らない英語を一ヶ月でマスターしたものと誤解したのだと思い当たった。それまでに20年近くも英語を勉強していたと言えば、どんな言葉が返ってきたことだろう。しかしアメリカで生活したお陰で仕事の話はもちろん、文学、絵画、音楽、政治にグルメ、あれやこれや自分で不自由を感じない程度に誰とでも英語で話できるようになった。だから自分の受けた英語教育で十分だと思っている。要は相手の言うことを理解し、自分の思っていることを表現するだけのことなのである。

ひるがえって学校英語のことであるが、最近は小学校から習わせているのだろうか。語学習得は必要とあれば努力をすれば済むことだから、将来必要があるかどうかも分からない小学生に、一律に英語を教えることはまったく不要であると思っている。日本人としてもっと大切な教えることが山ほどあるはずである。技術の進歩は早いから、そのうちに日本語で話すると、思いのままの外国語に翻訳して喋ってくれる、もちろんその逆も、装置も出来てくることだろう。こういう状況下で外国語教育の進め方に抜本的な検討が加えられるべきであろう。

ところが最近こういうことがあった。私のブログの英語版(IEではよいがFirefoxでは正常に表示されない)が私の知らない間に出来ているのである。ある記事へのアクセスがこの英語サイトから集中したことからこの存在が分かった。しかしこの英語がなんとも読みづらい、と言うより、チンプンカンプン、さっぱり分からない。私はハンドル名でブログを公開しているのでよいが、もし実名で公開している人なら事情を知らない外国人に実人格を疑われかねないほどである。

こういう余興がある。婚礼の披露宴などで相棒に中国人のような服装をさせ、全く出鱈目の中国語をペラペラと喋らせる。それを私が中国からはるばるお祝いに駆けつけてくれたのでそれを通訳します、とことわりながら、花婿の旧悪?を自分勝手な言葉で暴露するのである。ブログの翻訳機はこの逆を行っているようなもので、実用にはほど遠い。外国語教育のあり方はまだまだ議論の対象になりそうである。