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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

民営化郵便局になってもたもた

2007-12-10 19:56:49 | Weblog
国立国会図書館から送られてきた徳弘時聾(太)著「清虚洞一絃琴譜」の複写物に、郵便振替払込書が同封されていたので払込みに出かけた。近所の郵便局で一人先客がいたがいつものように4番窓口に並んだ。しばらく待っていると局員が「番号札を取ってお待ちください」という。なるほどプラスチックスの箱に葉書大の番号札が入っているので5番を取った。それにしてもいつもと様子が違う。はたと思い出した。民営化されて郵便局に来るのは今回が初めてなのである。

まず気づいたのは愛想のよいガードマンの服装をしたおじさんがいなくなったことである。それと局員が2人しかいなかった。そのせいかどうか、仕事がなかなかはかどらない。そして「お知らせ」が目に入った。「民営化に伴い、お取り扱いの種類によっては、お一人にかかるお時間が30分~1時間以上になる事もありますので、ご了承下さいますようお願いいたします。 神戸○○○郵便局長」書かれている。冗談じゃない、振込みするだけで下手すると30分以上もかかるなんてとんでもない、と思った。しかしこの「お知らせ」をノートに書き写してもまだ順番は来ないし、窓口①小包、②郵便・小包、③貯金・為替・振替、④保険・年金・恩給と書き写してもまだ呼び出しがない。来てから15分は経っていた。

後からお客が入ってくる。自分で番号札を取る人もおれば、人にいわれて取る人もいる。ようやく1人片付いて番号札2番の人が呼ばれた。いつの間にか10番の番号札が次の客を待っている。20分をまわるころまでにすでに3人が出て行った。待ちきれなかったのだろう。それ以外にもドアを開けただけで客の多いのに嫌気がさしたのか廻れ右をする人が2人はいた。

番号札と順番待ちの客の数がどうも合わない。よく見ると「郵便以外は番号札を引いてお待ち下さい」との掲示が出ている。切手を買ったり速達を出したりする人が番号札を取らずに待っているのであろう。その郵便業務を1人でこなしているからそれ以外の業務をもう1人の局員が受け持っていることになる。まだ次の番号が呼ばれない。

25分は過ぎただろうか、奥から女性局員が1人出て来て計3名となった。②番の窓口に坐って郵便客を1人相手にした。それが終わったかと思うと、「払込だけの方はおいで下さい」と声を張り上げた。すると私の後から来た若い男性が窓口に進んだので私も立ち上がった。

「私も払込だけだけれど、この方よりは先に来ているはずですよ」といった。その通りなので若い男性客は順番を私に譲ってくれた。それにしても何のための番号札をなんだろうと思い、女性局員に「なぜ番号を呼ばないんですか、客の方は誰が何番の札を持っているのか、分からないじゃないですか」と問いただした。ところが女性局員はまったく無言、返事をしない。不手際を詫びることすらしない。私が何か通じないことでもいったのかと思ったので、さらに言いつのることなく、手続きだけを済ませた。振込手続きが終わったのが局に入ってちょうど30分だったが、その間に番号を呼ばれたのはただの1人だった。

確かにこの番号札はまったく用を足していない。箱に番号札を入れているだけで客は順番に札を取っていっても、局員は何番の客が窓口にいるのか、最初は2人、あとでは3人の局員の間で連絡を取り合っていないから分かるはずがない。だから自分の客が終わって次に何番と呼びようがないのである。では何のために番号札を出すのかといえば、私が想像するところ、客同士がお互いの番号を確認して「今度はあなた、次はわたし」と客同士の調整を期待しているようである。番号札発行装置があれば何の問題もないのに、この郵便局はそれすら置いていなかった。

ところで振込は郵便業務なのかそれ以外なのか、窓口の分類では郵便には含まれていないようであるが、現に郵便の窓口で振込を扱ったのであるから、郵便・振込とすればいいではないか。本人の身元確認とか余計なことをする必要もないから手続きに手間取りはしないだろう。

「お知らせ」に書かれていることは民営化に伴う過渡期現象なのだろうか、それとも恒久的なものだろうか。とにかく民営化後始めて郵便局を訪れてこのもたもたに振り回されてしまった。かってのテキパキしたあの働き者の郵便局員はどこに行ってしまったのだろう。郵便局員は改めて郵便局会社の社員となってこれまでと同じ仕事をするはずであるが、いわば郵便事業会社、郵便貯金銀行、郵便保険会社の下請けのようなもので、どう考えても志気が上がらないのかもしれない。いずれにせよ二度と郵便局で払込はしないときめた。

東京の人はいいな 東京藝術大学にて

2007-12-10 13:50:11 | 音楽・美術
時間の経つのがとにかく早い。そして、東京を歩き回っていたのは一週間前のことなのに、細かいことをもう思い出せなくなっている。メモをマメに取る習慣がないからなおさらのこと、それなのに昔のどうでもいいことは覚えている。

東京二日目(12月1日)に歩き回った上野界隈のことで私がまず思い出すのは、戦後まもないころ、時の警視総監が歳末警備の視察とかで夜の上野公園を巡回中、男娼に殴られたとかいうどうでもよい話である。しかし警察には大層な出来事だったようで、その後長期間、上野公園が夜間立ち入り禁止になったとかである。それが今は国立博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、上野の森美術館に加えて東京藝術大学などが作りあげる一大芸術センターへとイメージが変わってしまっている。

国立博物館で「大徳川展」をしていたが、私が前を通りかかった頃は、土曜日ということもあってか「待ち時間80分」の掲示が出ていたので敬遠し、本来の目的であった旧東京音楽学校奏楽堂を目指した。明治23年(1890)に東京音楽学校(東京藝術大学の前身)の本館として洋風の建物が建造されたが、その2階にある日本最古の音楽ホールなのである。滝廉太郎や山田耕筰もその舞台に立ったというまさに歴史的な場所である。

私がかって「埴生の宿」を共演?した三浦環さんは1900年に東京音楽学校に入ったというから、当然この舞台を踏んでいるはずである。土曜日はこのホールが公開されているはずなので、舞台の上で二人が並んで歌っている姿を陶然と思い浮かべるべく旧東京音楽学校奏楽堂に急いだのである。ところが哀れや哀れ、「本日はホールを使用していますので、公開していません CLOSED」と掲示が出ていて、門は閉ざされていた。



そして横の掲示板を見てさらに大ショック、そこには「 畑中良輔がご案内する日本の歌100年の旅」とあって、12月1日と12月22日の二回に亘って、私の大好きな日本歌曲が演奏されることになっていたのである。それも涎が出そうな曲ばかり(インターネットで詳しい内容を知ることが出来る)。それなのに「チケットは完売いたしました。当日券はございません」と断り書きが貼り出されている。ホールを見られないし、またとない演奏会も聴けないという二重のショックを受けてしまった。帰って調べたらこの奏楽堂ではかずかずのコンサートが催されているようである。洋楽のみならず邦楽もある。次回は必ずまえもって調べておくこととする。



ショックはこれだけではなかった。藝大の構内に入ると次のような掲示があった。



「東京藝術大学大学院オペラ科平成19年度第II期 オペラ・ハイライト ”イタリア・フランスオペラの粋を集めて”」が昨日の11月30日の午後2時から催されていたのである。Donizettiの「ランメルモールのルチア」、「愛の妙薬」に「アンナ・ボレーナ」、Bizetの「カルメン」、Gounodの「ファウスト」に「ロメオとジュリエット」からアリアに重唱のかずかず。この催しのあることを知っていたら国会図書館に行く代わりに絶対聴きに来ていたこととまた残念に思った。

それにしても東京の人はいいなと思う。このような催しが多分目白押しにあるのだろう。ほどほどの入場料を払うかもしくは無料で芸術を味わえるなんてほんと恵まれている。東京藝術大学芸術資料館の平櫛田中記念館がたまたま公開されていたので、「洟垂れ小僧」気分でちょっぴりお零れを味わってきた。