日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

博士号汚職? その続き

2007-12-14 14:58:34 | 学問・教育・研究
昨日このブログで《学位の取得に伴うお金のやり取りに注がれる世間の目は厳しいかもしれないが、ここにどのような犯罪性があるのだろう。》と私が疑問を投げかける形をとったが、やや言葉不足のようなので説明を加えたいと思う。

今回は博士号の貰えることがどの時点で分かるのか、ということに焦点を当てて話を進めることにする。

博士号を目指すのであれば大学院に入るのが普通である。大学の修業年限が6年である医学部などから医学研究科に進学すると4年間で、修業年限が4年である理学部などから理学研究科に進むと前期後期合わせて5年間で一応博士号を貰えることになる。しかし年限が来たからと言って自動的に博士号が貰えるものではない(近い将来にそうなってもよいが・・・)。また自分の一存で博士論文を提出して博士号をすんなり貰えるものではない。指導教員に「そろそろ出しますか」と言われて始めて学位審査申請の手続きをすることになる。そして、指導教員に「そろそろ出しますか」と言われた時点で、まず博士号は確実に貰えると思ってよい。

各大学院ごとに学位審査に当たって予備審査とか本審査とか規則を定めているが、これはいわば事務手続きのようなものである。学位審査委員会が論文審査や最終試験などの結果を審議して学位申請者が学位授与に値するか否かを議決することで事は決する。学位審査を申請して審査が進められたにもかかわらず学位が認められなかったと言うのは、私の長い大学生活でほんの数例を見聞きしたに過ぎない。

同じことが論文博士についても言える。指導教員が「申請手続きを始めなさい」と言えばその時点で決まりと思ってまず間違いはない。私が現役の頃は、論文博士と言っても論文だけを提出してそれで事が運ぶという時代ではすでになかった。研究生という身分で大学院よりも長い年数をかけて研究を行い、学位審査に先立って語学試験なども課せられていた。研究生として教室に受け入れられたとしても、すべてがすんなりと学位を取得できたわけではない。途中で去っていくものも多かった。それだけに「申請手続きを始めなさい」という指導教員の言葉には重みがあったのである。

ここで私の最初の問いかけ、「博士号の貰えることがいつ分かるか」の答えは、「指導教員が学位審査申請手続きを始めなさいと言った時点」であることを再確認していただこう。この前提があるから審査が始まってからの一連の流れはすべて『儀式』に過ぎないと私は言うのである。そこでこの前提に立って、指導教員と学位審査申請者との間で、いつ金銭のやり取りがあったかと言うことを問題にしよう。金銭のやりとりの『犯罪性』に係わるからである。

刑法197条はこのように書かれている。

《(収賄、受託収賄及び事前収賄)
第197条 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、5年以下の懲役に処する。この場合において、請託を受けたときは、7年以下の懲役に処する。
《改正》平15法138》

刑法197条にはその4まであるが、話を進めるにはこの引用部分で十分である。

公務員が「賄賂を収受」すればここに「収賄の罪」が成立することになる。従って指導教員と学位審査申請者との間で金品の授受があったとしても、それが「賄賂」に当たることの立証が必要になる。

学位審査申請者が指導教員にお中元、お歳暮を贈っていたとしよう。菓子箱の底に小判が敷き詰められていた、と言うようなこともなく、その内容が社会通念から逸脱しない限り、これが賄賂として認定されることはまずあるまい。

なかなか指導教員に「学位申請を出しなさい」と言って貰えない研究生が、「先生、ずいぶん長くご指導も受けましたので、そろそろ学位をどうかよろしくお願いします」とか何とか言って小判とか商品券入りの菓子箱を差し出す。それを受け取った指導教員が「そう言えばそうだね、ではぼちぼち準備を始めなさい」などと言えばこの菓子箱の賄賂性は極めて高いと私は思う。しかしそれほど露骨に事を運ぶ人がいるとは私には思えない。

ここで再びYOMIURI ONLINEの記事を引用する。
《伊藤容疑者は2004年度に博士号を取得した5人から、口頭試問の問題を事前に教えた見返りに、現金計百数十万円の謝礼を受け取ったとして逮捕された。》(2007年12月9日3時2分 読売新聞)

「口頭試問の問題を事前に教えた」とはどのようなことなのか。「念のためにこのことをしっかり勉強しておきなさい」ぐらいは私も口にだしそうだが、これでも問題を事前に教えたことになるのだろうか。それはともかく、口頭試問自体が私に言わせると『儀式』の一貫で、質問したもののはかばかしい答えが返ってこないと、質問者が気を遣って答えを引き出すような誘導質問を繰り返しては儀式を成り立たせるように努めたりするのである。指導教員が「申請手続きを始めなさい」と言った時点ですべてが決まっているのに、そのあとで「口頭試問の問題を事前に教えた」とはおよそ無意味な言説である。情報不足なのでこの問題にこれ以上立ち入らないが、一連の出来事の時系列でどの時点で金品の授受があったかが賄賂性判断の核心になると思う。

お中元とかお歳暮以外にややこしい金品の授受もなく、学位審査申請者が晴れて学位を授与された。そこで新博士が有難うございました、と指導教員に慣例として伝えられる金銭を贈ったとする。金額の多寡が気になるとは言え、これを賄賂と認定できるのだろうか。法律に素人の私ではあるが、これでは賄賂の立証ができないだろうと判断して、《学位の取得に伴うお金のやり取りに注がれる世間の目は厳しいかもしれないが、ここにどのような犯罪性があるのだろう。》と昨日のブログで述べたのである。

私は大学人には自らを律する高い社会規範があるべきだと思っている。自分の職務においていわれなき金品を受け取るのはもってのほかである。しかし法律と倫理規範の間には大きなギャップがあるのが通例である。このギャップを埋めるために大学によってはそれなりの「決まり事」を定めているようであるが、その内容は必然的に法律以上に厳しいものになるはずである。

ここで東大教官倫理綱領を取り上げてみる。教官の「点検すべき事項」として以下の項目が挙げられている。

《(3) 教官の専門性に基づくサービスの提供に関連して

 大学人が自らの研鑽によって身につけた専門的知見と能力をさまざまな形で社会に提供することは、社会に対する大学の貢献の一環である。だが、その際も無用の疑惑を生ぜしめないよう、自戒を怠ってはならない。

 (a) 附属病院における診療、大学院研究科におけるいわゆる論文博士の論文審査等、教官の当然の職務として行うものについて、個人的謝礼を受け取ってはいないか。 (強調は引用者)

 (b) 教官個人が、原稿料・印税・書籍等の編集費・講演料・講習会講師料・鑑定料・技術指導料等、通例の報酬を受け取る場合であっても、その額が、職務との関連で、社会の疑惑を招くものではないか。「顧問料」のような形の継続的なものがあるとすれば、兼業制限との関係でも問題となる。また、大学の教官の地位に対する信用に安易に寄りかかって常識を越えた報酬を受け取っていないか。

 (c) 上記(b)において、公務員の職務専念義務に悖ることはないか。》

強調部分は賄賂性の有無を問題にする刑法197条よりさらに厳しく、一切の個人的謝礼を受け取るべきではない、と規定しているのである。

あと百年もすればこのような倫理規範がすべての大学に行き渡るのだろうか。