日々是好日

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自衛艦の火災で明らかになった自衛隊有事対応のお粗末

2007-12-17 14:13:32 | Weblog
護衛艦「しらね」の火災を報じた日経1月15日夕刊の記事で感じたいくつかの疑問を15日のブログで述べたが、その後の様子が少し分かってきた。しかし同時に新たな疑問が出てきた。ここでは毎日新聞の記事「横須賀の護衛艦火災:「艦全体が釜状態」 複雑構造、鎮火まで8時間も /神奈川」(12月16日12時2分配信 毎日新聞)から引用する。

《火災の発生は14日午後10時20分ごろ。しかし横須賀市消防局は約1時間後、市民からの119番で初めて火災を知った。消防隊員が現場に到着したのは11時半ごろ。消防車16台、70人態勢で消火したが、火元にたどり着いたのは活動開始から3時間半後の15日午前3時だった。》

日経では自衛官が119番したかのように書かれていたが、この記事では横須賀市消防局が市民からの119番で始めて火災を知ったとのことである。しかしこれだけでは自衛官が119番したのかどうかが分からない。元『軍国少年』の私としては、火災を起こした自衛艦が地元の消防署に119番をするなんて、そんな間抜けなことをするとは思えないのであるが、消防局の記録ではどうなっているのだろう。

《消防隊員らによると、鉄板で囲まれた船体には煙や熱風の逃げ道が無いため熱がこもり「艦全体がお釜のような状態」になっていた。男性隊員(38)は「ドアや窓を目がけて放水したが、鉄板に当たって跳ね返ってくるのは100度近い熱湯。全く近づけなかった」と振り返った。》

自衛官が119番したのかどうなのかはともかく、消防車がすんなりと「しらね」に近づけたようである。この消防車が自爆テロの偽装車でないことを自衛隊は確認していると信じたいが実情はどうだったのだろう。

《艦内は戦闘時の延焼防止のため、小さな区画に区切って設計されている。8時間燃えても火元の戦闘指揮所(CIC)から隣の区画には延焼しなかったが、複雑な構造は消防隊を苦しめた。突入後も、電気が消えた真っ暗な艦内には熱気と煙と水蒸気が立ち込め、視界をさらに遮った
 市消防局の武藤正消防司令は「全く前が見えず、手探りで進むしかなかった。急な階段の上り下りが続き、酸素ボンベも通常より短い15分程度しか持たなかった。隊員の交代を繰り返して消火したが、出火元を探すのが非常に困難だった」と話す。》(強調は引用者)

消防隊員が「しらね」の艦内まで乗り込んでいたのである。しかし上の強調部分を読んで私はとんでもないことだ、と思った。日頃から自衛艦と地元の消防局が共同して自衛艦の消火訓練をしていたとは私には思えない。したがって消防隊員が護衛艦の構造を熟知している筈はなかろう。『軍事機密』の壁を考えれば当たり前のことである。その消防隊員が自衛隊員の先導もないのに複雑な構造の艦内に飛び込んだとしたらそれは無謀と言うものである。実際はどうだったのだろう。

「艦内は戦闘時の延焼防止のため、小さな区画に区切って設計されている」、なるほど、火災の発生した小区画を密閉してしまえばいずれは酸欠で鎮火するのだろう。とすると「しらね」乗組員が密閉作業をいちはやく完了していたのなら、後は待つだけなのではなかろうか。街の消防隊の出番が一体どこにあるのだろう。消防隊がまさか密閉したところをまた開いて酸素を供給したとは考えられないが、実際はどうだったのだろう。一番最初の引用の中に「火元にたどり着いたのは活動開始から3時間半後」とあるが、この火元とは一旦密閉した区画に入り込んで、と言う意味なのだろうか。もしそうだとすると密閉の意味がなくなるではないか。もっと状況の分かる記事を書いて欲しいものである。

《報道陣は基地内に入っての撮影を再三要請したが、基地正面入り口にいた警備の隊員は「戦時と同じ状況なので、立ち入りは認められない」と返答した。》

これは当然の処置として理解できる。と言うことは自衛隊がやはり消防車の立ち入りを許可したことになるが、私が自衛隊の指揮官なら消防車にはお帰りいただく。海上自衛隊の消防隊で対処すべきであるからだ。それにしてもこの報道で消火活動における「しらね」乗組員をはじめとする自衛隊員の行動がなぜか見えてこない。全員腰を抜かしていたわけでもあるまいに・・・。