日々是好日

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薬害肝炎被害者救済の議員立法に望むこと

2007-12-25 18:17:54 | Weblog
福田首相が政治決断をして、薬害肝炎被害者救済のための法律を議員立法で制定することになった。22日のブログで私は《「大阪高裁の和解骨子を尊重しつつ(枕詞)、血液製剤の投与されたことが立証されたC型肝炎感染者はみな等しく一定の補償を受けられることとする」ということで、原告・被告がさらに歩み寄れないものだろうか。》と述べて早期解決を望んだ。この強調部分が救済の骨子であるべきだと考えたからである。

血液製剤の投与されたことが立証されたC型肝炎感染者」は誰が考えても血液製剤投与の被害者である。この被害者が血液製剤投与を受けた時期でなぜ「線引き」されるのか、そこが私には理解しがたいのである。具体的には血液投与を受けた時期が1985年8月~1988年6月の範囲内か範囲外かで「線引き」されると言うのである。そこで問題をこのように言い換えてみた。裁判所が国の責任範囲期間と認めた期間外に投与された血液製剤で実際にC型肝炎感染者が発生したのだろうか。また発生したのが事実ならどのような経緯で感染したのだろうか。実はこのようなことを私は知りたいのに、これに答える報道のないのが残念である。

責任範囲期間後でも汚染血液製剤が回収されずにそれが投与された可能性もありうるだろう。場合によれば病院の、そして医師の直接責任があるのかもしれない。しかしこれを一々立証していくのはおおごとである。ここでは国が病院・医師の責任を肩代わりすることが被害者の救済に欠かせないだろう。一方、責任範囲期間前ではどうだろう。この時期のウイルス不活化法ではC型肝炎ウイルスも不活性化されていたとされるが、原理的にはたとえそうであっても、製薬会社から出荷された製品に不適格品が混入していた可能性を完全には否定できないだろう。もちろん責任範囲期間後でもこの可能性はありうる。従って国がたとえ万全の対策をとっていたとしても、現実にはその末端で血液製剤投与による感染者が発生することは十分にあり得ることである。従って血液製剤の投与が立証された被害者が一律に救済されるべきであるのは素直に分かることである。そしてその方向に向けての新しい動きがあった。議員立法である。

時事通信社によると《薬害C型肝炎訴訟で福田康夫首相が議員立法による被害者一律救済の意向を示したことを受け、全国の原告・弁護団は24日、東京都内で会議を開き、法案に「国が薬害被害を起こした責任を認め、被害者の苦痛に心から謝罪する」と明記すべきだとする意見書を発表した。》(2007/12/25-00:28)とのことである。

ところがこの報道のある点に私は違和感を抱いた。「国が薬害被害を起こした責任を認め、被害者の苦痛に心から謝罪する」という内容を法律に明記することがなぜ必要なのか、私が被害者でないこともあってかどうも理解できないのである。「国が薬害被害を起こした責任を認め、被害者の苦痛に心から謝罪する」と政府が認めたからこそ、具体的な和解案の提示になったのであり、また議員立法の運びになったのではなかろうか。政府のこの具体的な行動で原告側がなぜ納得できないのか、その理由をぜひ国民に分かりやすく説明していただきたいものである。

私がこの点に拘るのは、これに原告側が固執すると議員立法もままならなくなることを恐れるからである。現実に起こった事かどうか、私は確認していないが、上に述べたような製薬会社、病院、医師の薬害C型肝炎への関与を完全に否定することは不可能であろう。となると今度は責任を国とそれ以外とでどのように分かち持つのかが問題になるであろう。その点を明らかにせずに、こうなればすべては国の責任としますと決められては、便宜的な法律の制定を国民に印象づけて、ひいては法治国家への信頼性を低下させることになる。

現行の法律でなぜ血液製剤の投与されたことが立証されたC型肝炎感染者はみな等しく一定の補償を受けられることとすることが出来ないのだろう。それが私には分からない。この矛盾点を解決するための議員立法なら私は大いに賛成である。しかし「被害者の一律救済」を急ぐあまりに、薬剤製造・販売・使用の許認可権を政府が持つからには薬害被害者の発生は政府にすべての責任があり、従って被害者への補償も政府が全責任を負うものである、との論法が罷り通るようであれば、上に述べた問題点について思考停止をした揚げ句の愚案であると言わざるをえない。さらにその補償が国民の税金によりなされる以上、この愚案が素直に国民に支持されるとは思えない。

血液製剤の投与されたことが立証されたC型肝炎感染者はみな等しく一定の補償を受けられることに道を開きながらも、筋の通った議員立法に関係者は衆知を傾けていただきたいものである。


追記(12月26日)
論点をより明確にするためにやや多目の加筆修正を最後から二つ目の段で行った。