木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

国民不在と国益を忘却した姿

2012-11-23 18:20:12 | インポート
 珍奇な現象が続いている。現職の国会議員からすれば
もしかしたら落選してしまうかもしれないと感じる事は
この上ない恐怖なのだろう。
 国会議員は当選してこそ活動ができる、だから手段を
選ばず当選する事を最優先するべきだという声も確かに
一理あり、その為にはどこの政党に所属する事が今この
瞬間においては、この当座においては最も有利かという
視野と判断力しか持ち合わせていない姿にしている。確
かに当選しなければ意味がないかもしれない。それも一
理ある。しかしそれは国会議員の立場から見たエゴであ
る。
 余程の大物議員でない限り、無理にその人が当選しな
くても世の中的には全く何の影響もない。皆無である。
無理にその人が当選しなくても地球は回っていく。

 この人物には絶対に国会議員になって頂いて国家のた
めに励んで欲しいと世間が思うような人は極めて少ない。
明確な政策や訴えを持っている候補者も乏しい。だから
大抵は「よろしくお願いします」「これでいいですか?」
というような世間におもねる姿になっていく。
 永田町は国権の最高機関でもあるが、同時に竜宮城で
もある。よほどしっかりした議員でも次第に世間の感覚
に疎くなり実社会の感覚からずれていくようだ。
 霞が関の関係者の話では
「国会議員なんてテレビカメラに映る見せ場をどこかで
 設けてあげれば、それだけで満足してしまうからとて
 も扱いやすいですよ。」
とのことである。国会議員の平均的な姿が官僚からどの
ような視線で見られているのかを伺い知る一幕である。

 民主党からも自民党からもパタパタと離党者が出ていく。
勿論、党の政策に納得できないという一面もあるだろう。
しかしそれだけではないのも事実だ。支持率に右往左往し
このままでは落選するかもしれないと焦燥し、当座の逃げ
場を探しているだけの姿にしか見えない。
 離党した国会議員の多くはその理由をもっともらしい論
理で述べているが、先ずはどこから出たら当選しやすいか
が頭にあって後から理屈を組み立てているようにしか見え
ない。総選挙で落選して離党するならそれも妥当な選択で
はあるが、前回に有権者から今の政党で選んで頂いていな
がら勝敗もついていない段階で、この政党にいたら落選す
るかもしれないという空気を察知して離党して他の政党に
移るというこの姿が、年月が経過して検証される対象とな
った暁に正当な評価を受けるだろうか。もしかしたら名前
すら記憶されていないかもしれない。
 国会議員の場合は仮に落選しても、党の公認候補者であ
るならば落選中も党から活動資金が出る。党から一切活動
資金が出ない自治体議員に比べれば遥かに恵まれた環境に
あるのだ。仮に落選したとしても公認候補であれば党から
活動資金が出るのだから、政治信念と信念をもって堂々と
臥薪嘗胆で活動すればよいではないか。
 パラパラと民主党にしろ自民党にしろ離党する国会議員
のぶざまな姿は、選挙目当てにしか見えず、そのような魂
胆で本当に国家の難局に立ち向かえるのか、本当に政治が
出来るのかと不安になる。この程度の気概では有利になる
か不利になるかでしか判断しない国会議員にしかなれない。
利害が衝突する諸外国との交渉で、外国に対しておもねる
ような議員が出ないとも限らない。そのような軟な議員が
運よく政党を選挙目当てで乗り換えて当選したとしても国
民の害になるだけである。
 落選したらどうしようと怯えている国会議員の皆様、い
っそのこと落選してみたらどうだろうか。自尊心とプライド
だけになっていないだろうか。落選して浪人中でも政党から
資金が出るのだから本人に政治信念がありさへすれば政治活
動は継続できるではないか。

 また報道されるところでは、民主党執行部は候補者に踏み絵
を迫っているとのことである。真意はともかくとして踏み絵の
内容はTPPに賛成すること、消費税増税に賛成のこと、原子
力発電所再稼働に賛成のこと等のようである。そのように聞こ
えてくる。
 もしこれが本当なら、こちらも度量が小さいのではないか。
 候補者に踏み絵を迫るという発想自体が排斥ありきの狭い料
簡ではないか。そこには国民が不在になっていないか。
 踏み絵の内容自体が国益を損ねるものだったらどうするのか。
 その政策が国益につながるのか国民に疲弊と被害を生じるも
のなのかで政策は判断されなければならない。
 踏み絵を迫る行為はまるで宗教裁判のようであり国益や国民
の生活という視点が欠落していると言わざるを得ない。
 国会でも場合によっては国益の根幹にかかわる重大な案件で
あれば党議拘束をかけないで個々の議員の判断に委ねる選択も
行われて然るべきである。国会議員は選挙区の有権者、国民か
ら選ばれた利益代表者であり代弁者なのだから。
 もはや重大な案件で議員個々の判断に委ねられないとなるな
らば、国民投票にかけるべきではないか。その為の法整備を急
ぐべきであろう。
 最も国民投票でもされれば国会議員の議決という仕事が奪わ
れる、という小さな視野と判断で国民投票には反対だという国
会議員が少なくないのが実態ではあろうが。

 選挙目当てで離党し有利か不利かだけで当座の居場所を求め
る国会議員も小粒なら、踏み絵を迫り言う事を聞かない議員を
排除しようとする政党の執行部も小粒である。
 総じて国会議員が小粒になった。
 これが我が国の不幸である。
 人気取りだけで終始するなら劇団と何等変わりがない。
 これに加えて我が国の永田町、霞が関はもはや米国の恫喝の
下に言いなりとなり官僚は忖度して回転しているという実態も
大きく我が国を停滞させている。

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