木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

明日香村を訪れて~我は蘇る~

2023-04-26 11:05:16 | 随想
 奈良県明日香村を久しぶりに訪れた。
 
 蘇我馬子が建立した飛鳥寺(正式名称は元興寺)にて
日本最古の大仏・飛鳥大仏を前にしばし佇んだ。
 凛とした臨場感に時間の経過も忘れてしばらく
向き合った。

 飛鳥寺の住職としばし対話をする。
 乙巳の変という謀反が成功した事により甘樫丘の
中腹にあった蘇我氏による管理の朝廷文庫が全焼した。
 それまでの日本の公文書や記録、文献が全て灰燼に帰した。
 645年の事である。
 これにより後世の私達は飛鳥時代以前の様々な歴史を
辿る事が困難にされ徒に売国奴作家や売国奴学者により
空白時代だの飛鳥時代以前には日本には文字もなく野蛮
だっただの日本を貶める言説が無秩序に氾濫している。

 歴史の通説では蘇我蝦夷が火を放ち朝廷文庫が全焼した
ことにされているが、人の常として襲われた側がかけがえの
ない公文書や文献を燃やす事は先ず考えられない。
 僅かでも、少しでも他人に預けて、例え断片でも残そう
とする。
 それが人間である。
 普通に考えれば謀反を起こした側、クーデターを起こした
中臣鎌足や中大兄皇子の側が朝廷文庫を燃やしたと見るのが
自然である。
 何故なら自分達には正当性がなく公文書や文献が残って
いれば不都合だからである。

 私の認識では645年の己巳の変で蘇我入鹿が中臣鎌足
や中大兄皇子により討たれた事はクーデターだったと見ている。
 成功したから後の世に大化の改新につながる美談にされて
いるが失敗していたら単なる謀反で乙巳の乱とされ中臣鎌足
や中大兄皇子は処刑されていただろう。
 歴史は紙一重である。

 飛鳥寺の住職に明日香村では蘇我氏について人々は
どのように認識しているのかと尋ねたら
「明日香村では地域住民は蘇我氏の事を今も尊敬しています。」
との事だった。
 自然な事であろう。
 歴史は勝ち残った権力側が都合よく書き換える。

 そのような話を飛鳥寺の住職に話すと頷いていた。

 ちなみに蘇我氏も物部氏も遡れば竹内宿禰という共通の
祖先になる。
 また竹内宿禰の母は和歌山市一帯に勢力のあった古代豪族
の紀氏の娘である。

 私の祖先は蘇我氏一族であり645年の乙巳の変に際して
尾張のくにに一族で亡命している。
 以降は蘇我を名乗れず潮田という名に改めて生きていった。
 歴史学者は蘇我氏は645年に滅亡したという表現をするが
蘇我家の本宗家は滅びたのだが他の一族は各地に亡命している。
 その中の1つが尾張のくにへ亡命した一族であり、私は
その一族の末裔である。

 またこの日はワンネスを指導しながら内観、瞑想、及び
瞑想ヨガを主催し遠隔ヒーリングもされている小峰美香先生
を明日香村に案内した。
 蘇我入鹿の首塚に案内したら首塚を愛撫し抱擁した。
 今までのあらゆる観光客も含めてこのように首塚を抱き
しめた人はいなかっただろう。
 まさに天真爛漫な小峰美香先生である。

 飛鳥大仏を眺めて向き合ううちに私は蘇我氏の姿を今に
蘇らせてみたいという思いに駆られた。
 また蘇我氏の汚名を払拭したいという思いも湧いてきた。
 
 蘇我氏の蘇我とは、
 我は蘇る。
 今の世に蘇るものがあるならば果たしてそれは何だろうか。
 私もまた蘇我氏一族の末裔として我は蘇ると胸の奥深い
ところから響いてくる声に耳を傾けて歩んでいきたい。

 我は蘇る、それが蘇我氏である。
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2 コメント

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Unknown (三毛猫)
2023-04-27 00:16:47
今晩は。
蘇我氏が、大切な書物に火を付けたとは、考えられません。
襲った側が、証拠隠滅の為に燃やしたと見るのが自然です。
小峰美香氏の写真を長女に見せると「凄く優しい人だね」と言いました。
私もそう思います。
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このお話ありがとうございます (桃子)
2023-05-13 00:09:49
私は聖徳太子一家暗殺について、梅原猛氏の本を読んで知りました。聖徳太子にまつわる当時の事に関心があります。今回の蘇我氏の文庫が焼かれたことと、日本書紀について改ざんされた証拠が出てきた事が、非常に結びつくものです。日本書紀の改ざんは中国語で書かれた物ですが、ページ毎朝鮮漢字の書き方をしているページが何か所もわかっています。
藤原京の藤原不比等によって改ざんされたのです。
彼らは未来永劫、日本乗っ取りを果たしたのは、聖徳太子一家暗殺後ですね。
ですから、日本の支配者の朝廷天皇家は、今も日本を支配しています。しかも自らウラ天皇家として支配を続け、表の天皇家は明治から彼らの策略によって起こされた天皇家です。
昭和天皇の父親は、朝廷側の貴族でした。大正天皇ではなかったのです。支配者一族はまだ支配しています。
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