木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

西郷隆盛の本当の顔は誰も知らない

2023-04-23 11:56:46 | 随想
 私達が学校教育や小説などで認識してきた歴史
というものは多くがフィクションだと改めて気付き
を得ている。
 それは私自身が政治の世界も経験し内と外とを
体感して更には様々な人生経験を経ていくと自ずと
見えてくるものがあるからだ。
 その視野で歴史の通説を見ると本能的にこれは嘘だ
と感じる内容が増えてきた。

 誰もが知っている西郷隆盛。
 誰もが知っている筈のこの西郷隆盛の顔は本人の
顔ではない。
 大多数の日本人が西郷隆盛の顔写真だと思い込まされて
いるものは写真ではなく肖像画である。
 しかもイタリア人画家のエドアルド・キヨッソーネが
描いたもので顔の上半分は弟の西郷従道を、顔の下半分
は従兄弟の大山巌をブレンドして描いたものである。
 当然ながら上野公園にある西郷隆盛が犬を連れている
有名な銅像は全く本人とは似ても似つかない姿に故意に
作られている。

 明治政府による上野公園の西郷隆盛銅像の除幕式の際に
西郷隆盛の未亡人が
「主人はこんな人ではありません!」
と声を挙げたのは有名な話で隣にいた弟の西郷従道が必死に
なってなだめたのも有名な逸話である。

 西郷隆盛は明治時代の政治家や軍人は皆残っている
写真を撮影させていない。
 それは意図的にである。
 何故、西郷隆盛は意図的に写真を撮影させていないのか?
 実はここに明治日本の国家機密が関係するからである。
 西郷隆盛は大の写真嫌いだったと何故か必死になって
唱える方々がいるが明らかに違う。

 真実として西郷隆盛は西南戦争で替え玉を戦死させ本人は
佐賀県唐津の港から極秘に朝鮮半島の羅津に渡りそこから陸路
でスイスに入った。
 そこで同じく先に偽装死をして極秘に渡欧してスイスの
ジュネーブから日本中枢とのやり取りをしていた島津斉彬
に合流するためである。

 だから西郷隆盛本人の本当の顔が世間に知られたら当時は
困るために意図的に写真を残していない。
 日本の背景は深くて広い。
 以前にある行事でこの話を鹿児島県関係者のそれなりの
立場にある方に聞いてみると
「ふふふふふふ。」
という反応だった。
 否定はしなかった。

 また木戸孝允も本当の姿が知らされていない。
 木戸孝允もただ単に長州藩で生まれた人物ではない。
 どうやら欧州に根を張っていた欧州の日本皇室から幕末に
日本に送り込まれた特別な人物だった可能性が高い。

 事実は小説より奇なりである。
 様々な事実や真実が公表されたなら私達の世の中を見る
風景は大きく変わるだろう。

 陽はまた昇ると私は感じている。

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2 コメント

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Unknown (三毛猫)
2023-04-25 05:37:41
今晩は。
鍋島直正が1865年に長崎に作った英語塾「致遠館」のフルベッキの側で写真に収まっているのが、西郷とされるけれど、2003年に大分県の日田市で発見された肖像画は、優しい気立のいい柔和な老人の姿。この人物の羽織が、西郷南州顕彰館に残されている。

西郷とスイスを繋ぐのは、西郷が懇意にしていたファーブル・ブラントン。
戊辰戦争で使われた武器は、スイスからで、鳥羽伏見まで運んだのは、従兄弟の大山巌。
ブラントンは、薩摩や長岡の河合継之助にガットリング砲を含む武器を大量に売っている。
大山は、砲兵術を学ぶ為にブラントを通じて、3年間スイス留学、村田新八もスイスを訪れている。
島津斉彬や西郷にとって、スイスは、近かったのかも。

桂小五郎の若い頃の写真は、西洋人とのハーフの様な美男子です。
桂小五郎の父親も養子で、蘭方眼科医で、息子に種痘を試している。
54歳の時に生まれた長男に試すだろうか?
和田家は、毛利元就の七男・天野元政の流れ。
和田家の近くに日本屈指の蘭方医青木周弼(しゅうすけ)がいる。
青木は、1849年10月に萩城下で、種痘の臨床実験をしている。

西郷や桂に対して、脳裏に色々な憶測が湧いてきます。
返信する
Unknown (ねこ)
2023-06-04 21:38:39
確か、2枚ほど写真があるそうです。
当時の写真は盟約の印の代わりにも使用され
そういう意味での写真だそうです。

あまり日の目に出ない写真だと思います。

西郷隆盛は、西郷吉之助という幼名が正しく
隆盛というのは、祖父か父親の名だったかと。

徹頭徹尾、忍者だったのでしょう。
そういう方が多すぎます。
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