木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

魁の五條

2004-03-08 20:11:29 | インポート
 奈良県五條市は明治維新発祥の地でもある。先日、数
時間の空き時間を利用してぶらりと電車に乗り、五條を
訪れてみた。
 現在の五條市役所はかつて五條代官所という幕府の出
先機関があったところで、1863年8月17日の16時頃、天誅組
が襲撃し、武力による最初の倒幕行動が行われた。

 私が丁度、吉野川沿いの五條の新町という江戸期の面影
を残す街並みに着いた時、金剛山系からの吹き下ろしと川
を挟んで南に位置する大峰山系との吹き下ろしとが混在し
少しばかりの吹雪模様になった。
 天誅組の行動は義挙とも愚挙とも言われ、評価は分かれ
ている。維新の先駆けとなったとする声と、無謀な決起と
冷笑する声とが混在し、また各地にも維新発祥の地という
石碑があるために、どれが本当の第一歩なのか判断が難し
い面もある。
 道行く人は一目見て私を訪問者だと分かったようで、好
奇の目で微笑ましく見つめていた。

 雪の混じる五條に立って感じたことは、彼らは愚挙では
なかったという空気である。後の世から見れば歴史の結果
を知った者が好き放題に評論を下すことができるが、当時
を生きた人達は皆、名も無き戦士で、精一杯に生きていった
だけである。
 彼らの行動の翌日にあの有名な8月18日の政変が京都で
生じ、倒幕派は一時、賊名を着せられることになる。僅か
一夜にしての賊への変転であった。

 彼らの行動から僅か5年後には世が明治と改まり、新しい
世の中が訪れる。もう少し時が早く彼らに訪れていたならば
彼らは立派な貢献を行ったとして讃えられていただろう。
 大義を失った天誅組は、十津川や吉野方面に散開する。賊
になったと知った十津川郷士も天誅組を離反し、弱体化し、
ついに現在の東吉野村の鷲家口でほぼ全滅に至った。

 彼らの哀れな姿に重なるのは、同じく世が明治と改まる僅
か20日程前に自刃した會津白虎隊の少年達である。彼らも又、
賊軍の汚名を着せられてその忠実な行動の中に果てた。
 新しい世をたぐり寄せるのは、石垣のように重ねられた無
名の人々の小さな一歩であろう。

 私はしばらく五條代官所跡である五條市役所前の石碑を
見つめていた。丁度、この街でも市議会が開かれている筈で
ある。休日故にまばらな市役所前を私は一青年として散策し
ていた。
 そして私も週明けの市議会に臨む。

コメント
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