Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

「傲慢な」ジャーナリストからの回答

2007-09-18 19:45:19 | 報道写真考・たわ言
この文章は本来書き込み欄のコメントに対する返事として書いていたのですが、随分長くなってしまった上に、他にもこの件に関して疑問に感じている方もいるかと思うので、ブログ本文として載せることにしました。

僕の文章や態度が、「傲慢に感じる」としたら、人それぞれ受け止め方があるのでそれは構いません。しかし、記述に対して「大風呂敷を広げている」と非難されるのは別問題で、これはいわば、僕の書いていることが嘘であるとか、大袈裟に事実を婉曲していると言われているのと同じであり、ジャーナリストとしては非常に心外ですので、少し言及しておきたいと思います。

以前から何度も強調しているように、カメラマンという立場もあり、僕はあくまで「現場での視線」というものを最重要視しています。ですから、こうすべきだ、ああすべきだ、という机上の理想論とはどうしてもかみ合わない部分も現実的にはでてくるわけです。

今回の議論のもとになった、「ジャーナリスト(もしくは第三者)が現場に存在していることによって防ぎえる犯罪」についても、確実に存在することは現場に立つ者ならだれでも感覚的にわかることだと思います。ただ、それを証明せよ、といわれても、実際におこらなかったことですから、100パーセントの「事実」として証明できるわけではありません。

**komさんの書いているように、これはあくまで「予防」のことを話しているのであり、たとえば伝染病などの場合、もし病気が蔓延していたら10人が死んだか1万人が死んだかなどと事実として証明できないのと同じだからです。

これをもって、「根拠に乏しい」と思われるのは構いません。しかし、この一例のみで自分が納得いかないことを理由に、僕のブログで書いていること全てに対し「大風呂敷を広げている」と批判されるのはいかがなものか。

ムニースの件にしても、彼が脱走兵であることなど事実としてとうに認定されているからこういう記事を書いているわけであり、ジャーナリストとして裏取りが当然なことなどこの仕事をしている上で重々承知しています。

このようなケースの場合、自ら「自分は脱走兵」であるというムニースの自白をとることだけが裏取りではないでしょう。健康悪化などの緊急事態が起こったわけでもなく、報告もなしに休暇期間が過ぎても部隊に戻らなず、すでに数週間が経っている。さらに実家はすでにもぬけの殻。。。さらに、これはブログには書きませんでしたが、同じ部隊の兵士の証言によれば、ムニースはマイ・スペースというウェブサイトの自分のページに、「こっちでいい生活を送っているよ。もう帰らない」というような書き込みを残していたそうです。(すでにページ自体が削除されている)これだけの事実確認がそろっているのですから、これが僕らにとっては裏とりです。

しかし、えどしんさんは、ムニース本人から自白をとらなくては証拠にはならない、という。もちろんそれができれば越したことはないでしょう。しかし現実的に、これだけの重罪を犯した人間がそうやすやすと見つかると思いますか?仮に見つかったとしても、彼が嘘をつくかもしれない。今回の場合、僕らには、前述したとおりの現実的証拠がそろっており、ある意味これらの事実は彼の自白よりも確固とした証拠ともいえるのです。

公に向かって責任をもって発信しているブログですから、事実確認や裏取りくらいきちんとしなくては書けないことは承知しています。しかし、僕は新聞記事を書いているわけではないので、そういう裏のことまでブログでいちいち説明する必要はないし、そういうテクニカルなことが読者に知ってもらいたいポイントではないのです。

>なるほど、報道の看板を掲げれば、勝手に撮って、勝手に載せられると
>法で保障されている。したがって、報道写真は撮られる側への配慮は
>不要。高橋さんはそういう考えであると了解しました。

イラク人家庭に対する「撮影に対する同意」の件での上記のコメントですが、これも現場を知らない人がただ正義感を振りかざしてカメラマンを非難しているとしか思えません。

相手とコミュニケーションをとりながら撮り重ねていくドキュメンタリーやフォト・ストーリーと違い、現実的にこのようなニュースの現場では被写体との接触はほとんどありません。次々と変っていく状況に対応していかなくてはならないし、現実的に戦場などで被写体ごとに話をする時間などないのです。極端な場合、時には走りながら撮らなくてはならない時だってあるのですから。確かにそういう意味では冷酷だと思われても仕方がありませんが、僕らの仕事は、ニュースの現場では(前述したように、時間をかけるドキュメンタリーとは違いますから混同しないよう)、目の前でおこっていることをできるだけ忠実に「記録」することなのです。その記録を発信することによって、世間に「現実」に起こっていることを伝える。そういうジャーナリズムの目的が世間で認知されているからこそ、法律でもニュース写真では被写体の了解をとる必要がないと定められているのではないでしょうか。

もちろんこれにも程度の問題がありますから、たとえばダイアナ妃を死に至らしめたパパラッチ・カメラマンのように、有名というだけで必要以上のプライバシーの侵害には同意できませんし、そこにはモラルや自己制御が必要になってきます。しかし、こういう場合とイラクやリベリアの戦場で、被害にあった人々を撮ることとは同じではないでしょう。僕はイラクの家宅捜索などの場合でも、特に女性などから「写真を撮らないでくれ」と頼まれれば僕はまったく撮らないか、顔が写らない様な角度で撮るようにしています。ですから、いちいち了解はとらないけれど、撮らないでくれといわれればよほど必要と思われない限り撮らないようにしている、と解釈してもらって結構です。

えどしんさんがどんな職業でどんなバックグランドをお持ちの方かは知りませんが、「大風呂敷を広げている」などと相手をうそつき呼ばわりする前に、ご自身の狭い価値観や「机上の理想論」を超えた、現場での状況まで想像を広げた現実的議論をお願いしたいと思います。

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16 コメント

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伝える⇆受け取る 難しさ (**kom)
2007-09-24 22:00:01
横からすいません。

私は、誰かの何かを指摘するつもりはありませんし、
個人に対してどうのこうのと書くのは好きではありません。

ただ文章をそのまま読ませて頂きますと、

法がどうだとか、曲解だとか駄文だとか。
その根拠は?という話しにはならないかなとは思っています。
相手に求めることをまず自分から提供していかないと、
理解してもらうというのは難しいという風にも思うのです。

例えば「駄文」だと思う根拠とは「個々の脳」であって、
基本には「あなたは私をいらいらさせないような文章を書いて欲し
い」ということに他ならないように感じるのです。

例えば、一方的に個人が思ったことをそのまま書かないで欲しい、
または、法的に問題は無いが法に従って文章を書いて欲しい、
ということに等しい気がするのです。

読む側の脳に合わせて文章を綴って欲しいし、誤字脱字も
無くして欲しいと。

これはあまりにわがままというか、
世の中は自分に都合良く動かない。

もし、本当にそうしてほしいと思うのであれば書き手が
納得いく方法で読み手がアプローチするほかないのではないか、
とも思います。
とにかく、どんな時でも相手を動かすというのは難しい。
相手に自分の伝えたいことを綴るということは、本当に難しい
ことでもあります。

えどしんさんの綴りの中の「高橋さん」の部分をそのまま
「書き手本人(えどしんさん)」に変えて読まれるとわかると
思うのですが、
文章は時に対象者に当てて書いているようで自分の脳の
露出でしかないことがあると私は思います。

特に「私を巻き込まないで」の部分によく表出していると
思います。高橋さんも同じく「僕を巻き込まないで」と
思っているかも知れない。そう考えてみると、自分の文章
というのは、自分に向かっていくことがある。
それは誰にとっても、文豪であれ、素人であれ。

綴るということは、こういった恥ずかしさがあるような
気がします。

しかし、私たちは綴ります。

なぜならば、他者がいないと自分がわからないから。
だから、発する言語だけでなく、こうして打って綴ることもある。

何を言いたいか、何を伝えたいかということはとても複雑で
とても難解なものでもあります。表現というものは、厳しいと
私はこの3年写真を学びながらそう思っています。

読み手には伝わらないかもしれないと思った上で、
書き手は別な思いを持って綴っていることもありますし、
構築のしかたはそれぞれです。つまりえどしんさんの言葉も
みなさんには伝わりにくいかも知れないけれども、そこに
含まれている思いはあるということのような気もします。

そう考えればわかるように、同じように高橋さんにとっても、
伝わりにくいかも知れないけれど(読む側と高橋さんでは
戦争を肌で感じたか、感じていないかという根本的な
理解しにくい世界のちがいがあります)、それでも伝えたい
ことがある。

それはたぶんえどしんさんと意味は違っても、
同じ思いなのだと思います。もちろん、このブログの中に
登場してくる兵士や一般市民もきっと同じです。
理解してもらえないかも知れないが、
勘違いされるかもしれないが、話したい、伝えたいことがある
そう思って人々は言葉を発することがあります。

私の娘は障害があり、言葉がうまく使えないけれども、
「伝えたい」思いを身体全てで伝えようとするのです。
人というのは、障害があろうがなかろうが、伝えたい動物なんだ
ろうな、と私はいつも彼女をみてそう感じています。

実は、そのようなとき
こちら側(つまり受け手)の度量が試されているよう
な気分もするのです。他者の伝えようとする「思い」を受けとる
ということは、やはり相手の世界を思うことが大切だとも思います。それは高橋さんのブログを読むようになってから、繰り返し
考えるようになったことでもあります。

場所がこのようなコメント欄であれ、戦争であれ理解し合う、
伝え合うというのはやはり難しいことだなあとも思います。

ですから、やはり自分が思うようにして欲しいという思いを
少し譲歩して相手の語ることを受け取るということも
必要なのかもしれません。しかし、そんなことができていれば、
戦争なんて起こるはずもないんだよな、と思いながら、
このコメントを読ませて頂いていました。

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だから。 (ゆうこ)
2007-09-24 00:36:01
高橋氏のためだけに都合の良い現場などあるはずがなく、また同じく誰かが知りたいことだけを発信するのがブログでもなく。
特定の人あての情報を、本人にだけ発信する方法は他にいくらでもあります。高橋氏がその人に、その方法を取らないのはその人だけに知らせたいということが無いからでしょうね。

また、書き込みをした以上この場所に参加したわけで、巻き込まれたくないというのは、自分にだけ都合が良い話です。
世の中はそんなに甘くない。

このブログでの文章を、私は捏造とも、曲解ともとらえていず、高橋さんの見解として受け止めているが、
読みたくなければ、読まずに済ませられると思うので、そうすることを選べると思います。

また、法的に問題があるかどうかの検証をこの場で高橋氏は、添削で求めているわけではないと思うので、特に問題があったり、告発する目的でもないかぎり、ひとつひとつについて、ここに書かれるのは無用でなないだろうか。

それから、少なくとも私は高橋氏の取り巻きなどではなく一個人として読み、自分自身の言葉でこの場を
ポジティブな議論の場にする一参加者であろうとしている者です。
決め付けられるような書かれ方のように思ったので、念のため書き添えます。




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Unknown (あなたに名乗る名前はない。)
2007-09-24 00:33:46
えどしんとやらへ。


もう、うんざり。

いいかげんにしたら?
ここに来る人たちはみなさんお行儀が良くて
優しいから遠まわしに注意してくれてるけど、
本当はちゃんとわかっていますよ。
あなたの目的は議論でも質問でもない、
単なる目立ちたがりのいちゃもん付けってこと。

実生活では誰にも相手されないから、
ネットではがぜん頑張っちゃうってわけですか(苦笑)。

しかも面倒くさくて相手が放置しておくと
「俺様の完璧理論にみなひれ伏したかw」とか
これまた勘違いしちゃうタイプ。救いようがないわ。
返信する
高橋氏の最新大風呂敷情報! (えどしん)
2007-09-23 11:36:06
高橋氏にだけ都合のよい現場なんて知りたくもない@えどしんです。

>しかし、えどしんさんは、ムニース本人から自白をとらなくては証拠にはならない、という。
#そんなこと一言も書いていないよ。
大風呂敷は結構だが、私を巻き込まないでね。
まあ、ここは報道の場ではなく、高橋氏が言いたいことだけ一方的に
垂れ流すプログだそうだから、一応OKです。
法的にも問題はないので、同氏も別に構わないということでやっているのだろう。
捏造とまではいわないが、わざわざ曲解して駄文を吐き出すのを
止めてもらえると助かる。

これも余計なことかもしれないが、
同氏は確率と確立を混同して使う傾向があるので、
直されたほうがと思う。
これも恥ずかしいという程度のことで、法的には問題はないのでご安心ください。

文字の間違いなどは、ここの取り巻き連中がメールで
こっそり知らせてやればいいのだが。
不親切なのか、ブログをまともに読んでいないのか、
まあ、結構なことで。やれやれ・・・

いみし。
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Unknown (Kuni Takahashi)
2007-09-22 23:14:57
みなさんからのいろいろなご意見ありがとうございます。まさに否定にしても肯定にしても反響をもらえることは嬉しいことです。以前から述べているように、そこからなにか建設的なコミュニケーションができるのであれば、僕のブログに対する否定的意見も大歓迎ですから。
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Unknown (Unknown)
2007-09-22 15:00:53
 高橋さんのブログ、HPにアップされる記事、写真、毎回、たくさんのことを教わりながら、楽しみにしています。忙しい業務の中、なかなか米国の英字紙を手にする機会のない、私たち日本人にもきちんと理解のできる日本語での貴重な情報発信をありがとうございます。イラクでの現地取材をしている日本人の数が圧倒的に少なく、「日本」という視点も持った方からの情報が限られている中、高橋さんのリポートは大変貴重なものだなあと感謝しています。
 毎回楽しみにしていただけに、9月18日の高橋さんのブログを見て、その後、前回の&18日のブログに対する書き込み欄を初めて読んでみて驚きました。  「傲慢だ」など、その人(書き込みをする方)の視点によって見方はいろいろあるとは思いますが、命の危険もあるイラクの現場に、傲慢な気持ちや特権階級意識だけではとてもいけるものではないですよね。高橋さんの写真、記事からは、平和な社会になってほしいという思い、イラクや紛争地、貧困地域で暮らす方に(少しでも幸せになってほしいという)思いを、いつも感じています。「仕事」といえば確かにお仕事ですが、たくさんの思いをもって、気候も交通事情も、治安もよくない状態の中で、思いをもって取材をされている高橋さんに対して、あまりに失礼な書きこみがあったので(特に18日の提案!記事は失礼すぎます)、ブログを楽しみにしているものの立場から、今回、初めてこの欄に書き込みさせていただきました。 きっと、あえてこの欄に書き込みをしなくても、高橋さんの写真、記事を毎回、楽しみにしている方はたくさんいると思いますので、これからもお体に気をつけてがんばってください。
 
 
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Unknown (ヒロヒデ)
2007-09-19 23:28:44
現在巷にあふれているニュースはそれぞれそのニュースを配信する新聞社、TV局、国の主義主張など多くのフィルターを通って、画一的でまるくおさまった形にまとめられています。

このブログのようにカメラマンの見た現実のある場面を切り取って、本人がその時感じたことを文章とともに伝えてくれるのはまるくおさまったニュースよりも個人的には色々と感じることが多いです。

それをどのように感じるかは読み手しだいだと思いますが、何より一部の揚げ足とりのような意見に対して今後邦さんが文章を書くときに変なフィルターをかけないことを願ってやみません。

これからも今までどおりのブログを楽しみにしております。

しかし、戦争もそうですが世界は無意味な悪意がそこら中にゴロゴロしてて、たまにうんざりしますね。
意味深くん。
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Unknown (硝子)
2007-09-19 22:55:50
*komさんのおっしゃる、「さて、とにかく、反響は肯定も否定も反響です。」に共感です。えどしんさんが最初にこのブログに書き込みをはじめられたのは、バーコードの刺青の兵士の回のころだったと覚えているのですが、「あー、そういうふうに考える人もいるんだ」と新鮮に感じたのをよく覚えています。そのとき私はその写真にすごい衝撃をうけて、言葉をずっと探していたからでした・・だから、えどしんさんが共感してくれたのがすごく嬉しかったのでした。最近ちょっと書き込むのをためらっていたのも、あまりに「本筋」から離れてしまっているような気がして、私の考える本筋とは、高橋さんがイラクでみてきたこと、感じてきたことを、その記憶が薄れないうちに、感情が冷めないうちにもっともっと聞きたいし、それに対しての皆さんの意見をききたいのですが・・話をうまくそちらの方向にもっていくような意見を書き込むだけの技術がありません・・よくまとまりませんが、そんなことを感じています。


 
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大丈夫。 ()
2007-09-19 21:04:16
「人の口に戸は立てられぬ」
・・・と 皆様ご存知の宮本武蔵の本にもありますね?

大事なのは 奥の奥の奥。
であり、裏の裏の裏。そして、
先の先の先。

熟考すれば 取るに足らない意見は山ほどありますし、
また、もっと熟考すれば
どんな言葉も自分の血となり肉となります。

小細工を使っても 人間性は丸見えです。
みんな、判っているので大丈夫だと思います。

スライドショー見ましたよ。砂埃を感じました。
大変でしたね。仕事とはいえ。イヤだったでしょう。
兵士たちの言葉もどこか排他的で・・悲しいですね。


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Unknown (じゅて)
2007-09-19 15:58:22
私より
屁理屈好きの精神年齢が「お子様」のお方がいらっしゃるようです。

認める所は素直に認めて、譲れない所はそう言って
それが出来ない人は大人であってもガキと同じ。


何か、負け犬の遠吠えより情けない

是程此の場で不快に思った事はないです、はい。
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ブログとは。 (ゆうこ)
2007-09-19 13:31:28
ブログというのは、人間のコミュニケーションの一手段であり、現代におけるコミュニケーションの一形態だと思います。

コミュニケーションである以上、我以外の人間がそこにあるわけで、そのコミュニケーションの質もその人間にかかってきます。
基本的なコミュニケーション、つまり対面でのコミュニケーションと同じ能力レベルは最低必要ですね。

ここに書くような嫌味や、あてつけやを相手の目を見て、堂々とあなたは言えますか?と、聞きたいです。

ご自身の主張したい意見のフェアな交換は意義もあり、学ばせていただきたいところですが、、。
そういうレベルにまで持っていけないなら、コミュニケーションとして、ご本人にとってもあまり意味がないのではないですか?

高橋さんが、開いているこの場所でご本人に失礼のないよう(と、いっても迎合するのではなく)意見の交換をするというのが人間としての礼儀だと思います。

それに、もしジョークとして発信されていたのなら、私の感想としては、「笑えもしないし、嫌味なら、よそでやってよ。

いい大人がみっともない。」

と、感じました。



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提案!プロフィールにぜひ加えてください (えどしん)
2007-09-19 11:33:36
もう終わったものと思っていたのに@えどしんです。

疑問点を質問しただけなのに逆ギレの長文を書かせることになってしまって、
どうもすみません。

お詫びに提案させていただきます。

「傲慢なジャーナリスト」はすでに自ら使っていたようなので
他に2つ提案させていただきます。

得意技=後出しジャンケン
ニックネーム=曲解の魔術師

「傲慢なジャーナリスト」はさすがご自身で付けただけあって
ピッタリという感じですが、
私が提案した上の2つも気に入ってもらえれば幸いです。

いみし。
返信する
特権階級とは (bluesnow)
2007-09-19 11:14:23
あのお、また誤解を呼びたくないので、というかもう時すでに遅し、かもしれませんが、一応、私が言った特権階級と「傲慢」の意味を、すこし説明させてくださいませ。”普通”の人は、見知らぬ人につかつか近づいていって、それとも家に訪ねていって、唐突に話を聞かせてくれ、といったことはなかなかできないものです。でも、メディアの名前ー大手であればあるほど力があるわけでーをまるで水戸黄門の印籠のようにして出せば、へへえ、と人は頭を下げることが多いものです。(商売してる人は宣伝になると喜ぶでしょうし。。)で、”普通人”ならなかなかできないことが自由にできる、という意味で特権と言ってるだけです。あとなぜ「傲慢」になりがちか、というと、やっぱりメディアが権力だからでしょうねえ。だいたい、メディアの名を出したら、コンサートもただで行けるかも、だし、ただ飯も食べられるかも、だし、と記者ゴロになろうと思うとなれるわけです。。(笑)もちろん、その逆もあるでしょう。つまり、人がしゃべりたくないことをしゃべらせようとしたら、。。。しなければならない、みたいな。。(外務省機密漏洩事件みたいなのもありました。それに似たような小さなことは山ほどあるのでは。。)だから、そのあたりメディア関係者は自分でよく気をつけねば、どうしても記者ゴロの臭いが混じったような、胡散臭い傲慢さが漂いはじめる可能性はある、と私は思ってます。(笑)別に高橋さんがそんな人だ、と言ったつもりは全くありませんので、どうか誤解なきようお願いします。まあ、メディア関係者だと言ったら、stinkyと言って逃げる人が一番賢いと私なんかは思ってます。(笑)ただここは高橋さんのブログですから、メディアに憧れてる?もしくはいろんな形で期待してる人が多いようですけれど。。(すみません、いつも余計なことを言って。。。またしばらくおとなしくしてます。。)
返信する
Unknown (じゅて)
2007-09-19 09:28:37
此処が全てじゃない
彼処も全てじゃない
唯嘘でもない
事実なだけ

此処を観て全てを知ろうと思っても
出来ない

自分が疑問に思うのなら
自分が行動する

行けない私たちは此処を見て思いを馳せる
けど、自分の蟠りは此処だけでは解決出来ない
から「目」は沢山必要なんだろうな~

非現実的で御免なさい
返信する
Unknown (田中智己)
2007-09-18 23:42:00
いろいろと発言したいことはあるのですが、うまく言葉がまとまりません。
ただひとつ言えるのは、ぼくは「現場の視線」がもっとニュースとして評価されるべきものだと思ってます。
日本のある著名なジャーナリストが「取材現場にいる記者たちの発言は感情が入りすぎて偏っているから私たちみたいに分析できる目が必要」と語ったことがあります。
けれど、ぼくはその「分析」と称し机上の理想論しか語らない著名人たちをジャーナリストとはどうしても思えません。
たとえ感情的だろうと現場で見たこと、感じたこと、触れたことこそ知りたい。
ぼくもカメラマンなので「現場」こそが最重要と考えてます。
現場を知っている現場にいたということが必ずしも偉いとか優れているというわけではありませんが、現場にいなければ見えないことがあるのは明白なことです。
これからも現場の視線を持った記事を拝見させていただければと思います。
返信する
特権階級とか傲慢とか (**kom)
2007-09-18 23:27:54
とても興味深い記事でした。

このブログにおいてできることを考えたとき、受け手側と発信側が「出来事に近づいていくこと」ではないかと、私はそう思ってこのブログを読んできました。高橋さんの語る「現実的議論」もそれに近いのかな、とも思いました。

私は、コメント欄で書かれているような、メディアの情報を引き算する、読み方を変える、または特権階級と感じている人々が発信しているもの、とかとはまた違った側面で読んでいます。

そこに起こった「出来事」とその場にいたジャーナリストの思いや考え方、それをどう受け止めたかという個人としての発信。それを受ける受け手側の受信。

この形は、私たちが日々情報や出来事と向き合う形とは違っている、と私には思えるのです。ここに着目しています。そして、それがまた興味深い。なぜならば、情報とどう向き合うのか、それにはどのような側面があるのか、日々の情報とはどう向き合っているのか、と改めて自分と情報との関係を考え、知ることができるからです。

現代においての「情報とは何か」を数限りないチャンスから、さまざまな側面を知りえることは、実は本当に大切なことなのだとも思います。私は、コメント欄で語られるようにメディア関連の方々が特権階級とは全く思っていませんし、逆に私は今回の流れを見ていて「受け手側」の傲慢さを感じました。相手が特権階級であり、そこから発信するのだから、重みは大きい。だから、それに対して激しい言葉や根拠のない否定によって、それを覆すというか。しかし、ここでの言葉は最初から、コメント欄にしろ、記事にしろ等しいものだったと思います。双方の発言に、同じ重さをもたせてきたというのが、高橋さんのやり方でもありました。

知る権利は誰にでもありますが、その権利を他者に渡すしかないことも多々あります。それが今回のケースでした。そして、知る権利を誰かに手渡し、教えてもらうこと、知らせてもらうことばかりが当たり前になってしまっている受け手にも、時々疑問を感じることがあります。受け手というのは、私のことでもあります。違った角度から何かを探ることはできないか、という姿勢を忘れてはならないとも思えるのです。

私は高橋さんの味方でもなんでもありませんが、高橋さんはメディアとしての「情報の扱い方」について、個人としてある種の危機感や、疑問を抱きながら仕事をされているように感じていました。

それをそのままにしておかないで、個人としても何かできることがあると思ってブログを継続しているようにも感じます。はっきり言えば、こんな面倒なことを現地から日本に向けて公表するなど、やらなくてもいいことです。別に仕事だけやっていればいいのですから。けれども続けてきた。そして、それが私にはとても興味深かったです。しかも「生」の情報であり、早い。

さて、とにかく、反響は肯定も否定も反響です。

 それを考えれば、1人でも今ここに起こっている「情報と出来事」を考える人が増えている、ということは狙い通りのことなのかもしれないな、とも考えたりします。

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