ギフト達とアメリカに戻り、ジョディの家のあるフィラデルフィア郊外で週末を過ごした後、昨夜シカゴに戻ってきた。
リベリアからの道中は、途中フライトがキャンセルになったりして、長旅に慣れていないジョディもぐったり。ギフトにとっては、あまりにも刺激が大きすぎたこともあったのだろう、旅の終わりにはほとんど口もきけない状態になっていた。
初めて乗る飛行機に、エレベータ、エスカレーター、眩いほどにぎらぎらとした空港内のフードコートにショッピングモール、そして周りの人間はほとんど白人。。。たった一日あまりのうちに、彼女にとって初めてだらけのこの「異常」な現実に晒されたギフトは、恐らくそれをうまく消化することなどできなかったのではないだろうか。
彼女は一体何を感じているのだろう、何を考えているのだろう?
黙り込んでいるギフトをみながら、僕は、このときほど他人の頭の中をのぞいてみたいと思ったことはなかった。
金曜日の夜、ジョディの家に到着し、待っていた新しい妹のノエミと近所の人たちの歓迎を受けて、疲れきっていたギフトにもようやく笑顔が戻った。
たったの4日間であったが、僕がシカゴに戻るまでにギフトも随分アメリカでの生活に慣れてきているようだった。
新年からは家庭教師がきて、ある程度の学力がついたら学校に入学することになっている。先日学校を訪れ先生たちと顔合わせをしたが、もともとサッカー好きの彼女は、生徒達の課外活動をみながら、バスケットボールもやりたい、水泳もやりたい、と眼を輝かせていた。
旅の疲れからか、ホームシックになるのか、時折黙りこくってしまうこともあるが、それも自然なことだろう。彼女の胸中は計り知れないが、あとはいい教会が見つかれば、ギフトの生活の大きな支えになると思う。信仰深いギフトは、朝晩と毎食時に祈りを忘れない。日曜日にジョディの行く教会のミサに参加したが、黒人教会とはやはり礼拝法や音楽、雰囲気も随分違うので肌が合わなかったようだ。幸いジョディの黒人の友人達が教会を紹介してくれることになったが、はやくギフトにあった場所がみつかればと願っている。
新しい親子として、母と娘の絆をつくっていかなくてはならないギフトとジョディにとって、この先まだチャレンジは続いていくだろう。
僕としては、今はとりあえず、次にギフトを訪れるときに彼女がどんな顔をみせてくれるか楽しみに待つことにしようと思う。願わくばあまりアメリカナイズされていないように。。。。
(写真:ジョディの家に到着し、喜ぶギフト。左は妹となるノエミ)
リベリアからの道中は、途中フライトがキャンセルになったりして、長旅に慣れていないジョディもぐったり。ギフトにとっては、あまりにも刺激が大きすぎたこともあったのだろう、旅の終わりにはほとんど口もきけない状態になっていた。
初めて乗る飛行機に、エレベータ、エスカレーター、眩いほどにぎらぎらとした空港内のフードコートにショッピングモール、そして周りの人間はほとんど白人。。。たった一日あまりのうちに、彼女にとって初めてだらけのこの「異常」な現実に晒されたギフトは、恐らくそれをうまく消化することなどできなかったのではないだろうか。
彼女は一体何を感じているのだろう、何を考えているのだろう?
黙り込んでいるギフトをみながら、僕は、このときほど他人の頭の中をのぞいてみたいと思ったことはなかった。
金曜日の夜、ジョディの家に到着し、待っていた新しい妹のノエミと近所の人たちの歓迎を受けて、疲れきっていたギフトにもようやく笑顔が戻った。
たったの4日間であったが、僕がシカゴに戻るまでにギフトも随分アメリカでの生活に慣れてきているようだった。
新年からは家庭教師がきて、ある程度の学力がついたら学校に入学することになっている。先日学校を訪れ先生たちと顔合わせをしたが、もともとサッカー好きの彼女は、生徒達の課外活動をみながら、バスケットボールもやりたい、水泳もやりたい、と眼を輝かせていた。
旅の疲れからか、ホームシックになるのか、時折黙りこくってしまうこともあるが、それも自然なことだろう。彼女の胸中は計り知れないが、あとはいい教会が見つかれば、ギフトの生活の大きな支えになると思う。信仰深いギフトは、朝晩と毎食時に祈りを忘れない。日曜日にジョディの行く教会のミサに参加したが、黒人教会とはやはり礼拝法や音楽、雰囲気も随分違うので肌が合わなかったようだ。幸いジョディの黒人の友人達が教会を紹介してくれることになったが、はやくギフトにあった場所がみつかればと願っている。
新しい親子として、母と娘の絆をつくっていかなくてはならないギフトとジョディにとって、この先まだチャレンジは続いていくだろう。
僕としては、今はとりあえず、次にギフトを訪れるときに彼女がどんな顔をみせてくれるか楽しみに待つことにしようと思う。願わくばあまりアメリカナイズされていないように。。。。
(写真:ジョディの家に到着し、喜ぶギフト。左は妹となるノエミ)
私も養子を養育したいと20代のときに考えましたが、赤ちゃんだったらある意味相互にラクですね。さまざまな心配はあると思いますが、その時々で考えていくしかないでしょうね。憂うことばかりに眼を向けないというのも大切な時があると思いました。親子ともども笑顔が増えますように。
それとも違う意味があるのかしら?
いずれにせよ、彼女と関わる人たちが、
彼女はgift(天からの贈りもの)という気持ちを
持っていればよい可能性が広がっているような気がしました。