Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

援助のむずかしさ

2006-12-24 11:35:07 | リベリア
昨夜、リベリア募金に協力していただいた人たちのための報告書を作成しながら、ムスの家族について考えていた。

すでにこのブログでも紹介したとおり、ムスは今年2度にわたってシカゴを訪れている。5月はオプラ・ウィンフリーのテレビ番組の招待によるものだったが、義手をつくってもらうための2度目の旅は、シカゴのリベリア人コミュニティーを中心とした一般市民たちの協力の賜物だった。このときには母親のファトゥも一緒にリベリア人家庭のもとで一ヶ月ほど滞在したが、義手以外に人々から集められた募金3千ドル程を持ち帰っている。

今回リベリアでムスの家を訪れ、僕は彼らの生活環境の向上を眼のあたりにして喜んだ。

昨年はまだ4畳ほどの狭い一部屋に家族4人が身を寄せ合って住んでいたが、今では3つの寝室にリビング、そしてキッチンのある一軒家にファトゥの弟家族を居候させながら住んでいる。家賃は月85ドルだそうだ。

ムスも弟のブレッシングも学校に通い(今回は足の骨折のため、残念ながらムスの学校での姿をみることができなかったけれど。。。)父親のアルバートとファトゥも毎日夜学での勉強を始めた。アルバートは週5日、ファトゥは週3日でオフィス清掃とメイドの仕事をし、二人合わせて月に125ドルの収入を得られるようになった。

さらに、昨年末にトリビューンで記事が掲載されてから、2人のアメリカ人がスポンサーとして毎月500ドルほどをムスの家庭に送金し続けているということもわかった。

人々の経済援助のおかげで、ムス一家の生活レベルが飛躍的に良くなったことは素晴らしいことだと思うのだが、何度か彼らを訪れているうちに、少々気になることがでてきた。

金の使用のつじつまがどうにも合わないのだ。見せてもらった貯金通帳には700ドルあまりしか残っていない。土地を購入しようとして詐欺にあい500ドルほど失ったらしいが、それでも家賃を1年分先払いし、子供達の学費を払い、諸々の生活経費を引いたあとに残っているべき額があまりにも少ない。

どこかで浪費しているはずだったが、アルバート達と話しあっても、結局何に金を使用したか正確に掴むことはできなかった。恐らく、いままで貧乏だったところ急に金回りが良くなったので、あれこれと物を買い続けてしまったのだろう。ファトゥも綺麗な洋服を随分と買い込んでいたようだ。

問題なのは、彼らが援助されることに慣れてきてしまっているような印象を受けたことだ。シカゴからは3千ドルという大金を持ち帰り、アメリカのスポンサーからは毎月お金が送られてくる。こういう他人からの財政援助に、彼らは依存し、なんだか安心しきってしまっているようだった。

募金など一時的なものだし、スポンサーにしても、それがずっと続く保障などどこにもない。これを当てにして生活することは非常に危険なことだ。こんな状況を危惧した僕は、彼らとじっくり話をして、資金に余裕のある今のうちにビジネスを始めて将来のための経済的自立ができるように促してきた。

また、リベリア人コミュニティーや、教会関係の団体からの寄付で旅費を捻出し、善意のドクターによる無償の手当てでつくってもらった義手も、いまはムスに使われることもなく家の壁に掛かったまま飾りのようになっている。これは彼女がシカゴを去る前からなんとなく感じていたことなのだが、義手は重いうえに見てくれも悪い。2年間も片腕で生活し、日常生活に支障のないムスにとっては義手をつける必要性など見出せなかったのだろう。こう言ってしまっては元も子もないのだが、義手の件はシカゴの市民たちが善意で話を進めたわけで、ムスのほうからつくって欲しいと頼んだわけではなかった。

この件も含めて、今回ムス一家と接し、援助というものの難しさを垣間見たような気がした。いろいろな条件が絡み合い、援助は必ずしも「する側」の意図するような結果をもたらすわけではない。これはムスのような一家庭の事象に限らず、組織や国家レベルの援助にもあてはまる問題だろうと思う。

いま願うのは、援助が途絶えたときにも、ムスの家族に自立し続けていって欲しいということだ。また貧困に逆戻りし、ムスが学校に行けなくなるという状況は二度と見たくない。


(リベリアでの写真の整理がひと段落し、ギフトのストーリーのスライドショウもトリビューンの以下のサイトにアップされました)
http://www.chicagotribune.com/giftsjourney








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15 コメント

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Unknown (miura)
2006-12-25 12:22:47
援助の弊害ってよくいわれますが、途上国支援のNPOなども、お金をぽんと渡すのではなく、能力を開発して技術的支援をしていくなどの方向があるようです。たとえば建物を建てるとしたら、土台だけは財政支援して、竹とか砂とか現地の材料を自分達で持ち寄って作業して建てるようにもっていくとか。

お金に頼りきるという弊害以外に、現地社会でよけいな嫉妬を生んだりなんだりの問題も指摘されています。

ビジネスというのは、スキルがなくてぽんとはじめられることではありませんし、経済管理も含めた能力開発の支援をする方が必要かもしれません。
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こんにちは (**kom)
2006-12-25 15:15:22
本来言いにくいと思われることを書き上げられたなあと思いました。彼らに必要なのは、お金と同時に教育なのだなあと改めて考えました。しかし、彼らにとって援助されるということは、「援助するぐらい裕福な国」という思いがあるのかもしれません。受ける側と施す側という形は理解しやすいので、彼らの受け止め方を一方的に非難するわけにはいかないような気がします。

ノーベル賞のユヌス氏が作り上げたグラミン銀行(参考サイト:http://www.afpbb.com/article/1164941)のようなものができてそこに寄付できるようになると、援助とそれを利用する側のバランスがうまくとれるような気もします。そして、お金を借りるために企画し、実行して自分の力にし次の人たちのためにとお金を返していくというシステムは、本当に良くできているなと思います。援助を受ける側として懸命に考え抜いたシステムだと思えています。そういった大人の姿を見る子どもたちにとっても教育的なものだと思えます。
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Unknown (Kuni Takahashi)
2006-12-25 23:37:22
ビジネスといっても大掛かりなものではなくて、隣国のギニアやシエラレオネに行き安い衣類や靴、はたまた車などを買って、物価の高いリベリアに持ってきて売るといった高度なスキルがなくても簡単にできる商売のことで、まずはそういうことからはじめる人は多く存在します。
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多すぎる (bluesnow)
2006-12-25 23:41:08
みなさんに「けち」と叱られるかもしれませんが、毎月500ドルは多すぎますね。アメリカとリベリアの経済・生活格差を考えていない、一方的な「施す」自己満足的視点でしょうか。アメリカで生活していても、500ドルは多すぎると感じます。「施す」側はお金がありあまっているのかもしれませんが、その自己満足?が現地でひきおこす摩擦やら何がしかの「崩壊」を考えると、教育は「施す」側にも必要と考えます。現地側で建設的なものが生まれるような形で、もっと有意義に善意の気持ちとリソースを使ってほしいものです。
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Unknown (Kuni Takahashi)
2006-12-26 00:25:30
ちょっと誤解があったようなので、補足します。
500ドルというのは、2人の別々のアメリカ人たちからそれぞれ300ドル、200ドルで、この2人に面識はありません。ですから、500ドルが多すぎるという「支援者」に対する批難はここでは成り立ちません。
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Unknown (miura)
2006-12-26 00:28:28
そういった小さなご商売なら始められるかもしれませんね。ご本人たちのやる気や向き不向きもあるし、なにか将来性のある技術を身につけるという手もあるかもしれないし、なにを始めるかは重要ですね。

前、途上国支援をやってられる人と話したとき、長くつきあって相手が本当にやりたいこと(じつはみんな持っている)を引き出すのが大事だと言っていました。

村の写真屋さんとか…? ナンテ
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Unknown (miura)
2006-12-26 00:40:11
さっきの「写真屋さん」というアイディア、ぽっと言って悪いかな…と思ったんですが、もう上げちゃったので、補足します。

そのココロは、

・途上国の視点を伝える撮り手が圧倒的に少ない(たまにアメリカで発表の機会があれば)
・村の人たちに喜ばれる(記念写真)
・機材が貴重で、競争相手が少ない
・写真の威力・影響力を、身をもって体験してられるから、興味があるはず
・高橋さんから学べる

でした。ご本人たちにやる気がなかったらどうしようもないけど、ブレストというかご参考まで。
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Unknown (dumbo)
2006-12-26 12:54:15
ムスちゃんの家族の今の現状をとやかく言っても始まらないし、私が彼らの立場だったら同じことをしているかも知れない。

高橋さんがじっくり話したことによってムスちゃんのご両親が状況に気がついて援助がよい方向にいくように祈ってます。(だれかリベリアで資金援助を元に家族が経済的に自立するところまでサポート出来る人はいないのですか?)
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非難? (bluesnow)
2006-12-27 06:49:34
批難が成立しない、とのことですが、それは2人の人がそれぞれ300ドル、200ドルだからですか。たとえ300ドルだけでも多いと私なら感じてしまいますね。だって、確かリベリアでは年間85ドル?ぐらいで一人の子供が学校に行けるんですよね。そういう社会状況で、一つの家族に毎月、何人の人からでもいいですが、300ドルなり500ドルといった大金がわたるというのは、「援助」の仕組みとしておかしいのでは、という感覚が私にはあります。アメリカでも「援助」を必要としている人はいっぱいいるわけですが、「援助」を受けるのは非常にむずかしくなっています。仕事をもって働いていなければ、「社会福祉」なり「援助」は受けられないわけで。まあ、すべては縁ですから、私もこれ以上言う必要はないのはわかってますが、今後を考えるとき、たとえば高橋さんの記事がきっかけで、面識のない人同士に縁ができるとき、その関心と善意、リソースがより公平に、個人的枠組みにとどまることなく、たとえばリベリアのコミュニティに分散?ーとりわけ300ドル、500ドルのような大金ならーされるような受け皿ーNPO?のような組織があればいいな、とか思った次第です。私が個人的に寄付をするときは、やはり組織にしてます。組織にするのは、これはこれで問題があって、「援助」になってるのかどうか分からない部分も大きいですが。。何をしても考えてもグレーゾーンが大きくて、むずかしいですね。
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先日 (je taimer rock)
2006-12-27 14:04:57
TVで同じような出来事を見ました
難民として何年も生活していると援助が当然になってしまう

難しいですね
人間って楽な方へいきますから
自ら自立する事とは別により好い生活を限りなく求めますし…

色々考えさせられました
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