昨夜、リベリア募金に協力していただいた人たちのための報告書を作成しながら、ムスの家族について考えていた。
すでにこのブログでも紹介したとおり、ムスは今年2度にわたってシカゴを訪れている。5月はオプラ・ウィンフリーのテレビ番組の招待によるものだったが、義手をつくってもらうための2度目の旅は、シカゴのリベリア人コミュニティーを中心とした一般市民たちの協力の賜物だった。このときには母親のファトゥも一緒にリベリア人家庭のもとで一ヶ月ほど滞在したが、義手以外に人々から集められた募金3千ドル程を持ち帰っている。
今回リベリアでムスの家を訪れ、僕は彼らの生活環境の向上を眼のあたりにして喜んだ。
昨年はまだ4畳ほどの狭い一部屋に家族4人が身を寄せ合って住んでいたが、今では3つの寝室にリビング、そしてキッチンのある一軒家にファトゥの弟家族を居候させながら住んでいる。家賃は月85ドルだそうだ。
ムスも弟のブレッシングも学校に通い(今回は足の骨折のため、残念ながらムスの学校での姿をみることができなかったけれど。。。)父親のアルバートとファトゥも毎日夜学での勉強を始めた。アルバートは週5日、ファトゥは週3日でオフィス清掃とメイドの仕事をし、二人合わせて月に125ドルの収入を得られるようになった。
さらに、昨年末にトリビューンで記事が掲載されてから、2人のアメリカ人がスポンサーとして毎月500ドルほどをムスの家庭に送金し続けているということもわかった。
人々の経済援助のおかげで、ムス一家の生活レベルが飛躍的に良くなったことは素晴らしいことだと思うのだが、何度か彼らを訪れているうちに、少々気になることがでてきた。
金の使用のつじつまがどうにも合わないのだ。見せてもらった貯金通帳には700ドルあまりしか残っていない。土地を購入しようとして詐欺にあい500ドルほど失ったらしいが、それでも家賃を1年分先払いし、子供達の学費を払い、諸々の生活経費を引いたあとに残っているべき額があまりにも少ない。
どこかで浪費しているはずだったが、アルバート達と話しあっても、結局何に金を使用したか正確に掴むことはできなかった。恐らく、いままで貧乏だったところ急に金回りが良くなったので、あれこれと物を買い続けてしまったのだろう。ファトゥも綺麗な洋服を随分と買い込んでいたようだ。
問題なのは、彼らが援助されることに慣れてきてしまっているような印象を受けたことだ。シカゴからは3千ドルという大金を持ち帰り、アメリカのスポンサーからは毎月お金が送られてくる。こういう他人からの財政援助に、彼らは依存し、なんだか安心しきってしまっているようだった。
募金など一時的なものだし、スポンサーにしても、それがずっと続く保障などどこにもない。これを当てにして生活することは非常に危険なことだ。こんな状況を危惧した僕は、彼らとじっくり話をして、資金に余裕のある今のうちにビジネスを始めて将来のための経済的自立ができるように促してきた。
また、リベリア人コミュニティーや、教会関係の団体からの寄付で旅費を捻出し、善意のドクターによる無償の手当てでつくってもらった義手も、いまはムスに使われることもなく家の壁に掛かったまま飾りのようになっている。これは彼女がシカゴを去る前からなんとなく感じていたことなのだが、義手は重いうえに見てくれも悪い。2年間も片腕で生活し、日常生活に支障のないムスにとっては義手をつける必要性など見出せなかったのだろう。こう言ってしまっては元も子もないのだが、義手の件はシカゴの市民たちが善意で話を進めたわけで、ムスのほうからつくって欲しいと頼んだわけではなかった。
この件も含めて、今回ムス一家と接し、援助というものの難しさを垣間見たような気がした。いろいろな条件が絡み合い、援助は必ずしも「する側」の意図するような結果をもたらすわけではない。これはムスのような一家庭の事象に限らず、組織や国家レベルの援助にもあてはまる問題だろうと思う。
いま願うのは、援助が途絶えたときにも、ムスの家族に自立し続けていって欲しいということだ。また貧困に逆戻りし、ムスが学校に行けなくなるという状況は二度と見たくない。
(リベリアでの写真の整理がひと段落し、ギフトのストーリーのスライドショウもトリビューンの以下のサイトにアップされました)
http://www.chicagotribune.com/giftsjourney
すでにこのブログでも紹介したとおり、ムスは今年2度にわたってシカゴを訪れている。5月はオプラ・ウィンフリーのテレビ番組の招待によるものだったが、義手をつくってもらうための2度目の旅は、シカゴのリベリア人コミュニティーを中心とした一般市民たちの協力の賜物だった。このときには母親のファトゥも一緒にリベリア人家庭のもとで一ヶ月ほど滞在したが、義手以外に人々から集められた募金3千ドル程を持ち帰っている。
今回リベリアでムスの家を訪れ、僕は彼らの生活環境の向上を眼のあたりにして喜んだ。
昨年はまだ4畳ほどの狭い一部屋に家族4人が身を寄せ合って住んでいたが、今では3つの寝室にリビング、そしてキッチンのある一軒家にファトゥの弟家族を居候させながら住んでいる。家賃は月85ドルだそうだ。
ムスも弟のブレッシングも学校に通い(今回は足の骨折のため、残念ながらムスの学校での姿をみることができなかったけれど。。。)父親のアルバートとファトゥも毎日夜学での勉強を始めた。アルバートは週5日、ファトゥは週3日でオフィス清掃とメイドの仕事をし、二人合わせて月に125ドルの収入を得られるようになった。
さらに、昨年末にトリビューンで記事が掲載されてから、2人のアメリカ人がスポンサーとして毎月500ドルほどをムスの家庭に送金し続けているということもわかった。
人々の経済援助のおかげで、ムス一家の生活レベルが飛躍的に良くなったことは素晴らしいことだと思うのだが、何度か彼らを訪れているうちに、少々気になることがでてきた。
金の使用のつじつまがどうにも合わないのだ。見せてもらった貯金通帳には700ドルあまりしか残っていない。土地を購入しようとして詐欺にあい500ドルほど失ったらしいが、それでも家賃を1年分先払いし、子供達の学費を払い、諸々の生活経費を引いたあとに残っているべき額があまりにも少ない。
どこかで浪費しているはずだったが、アルバート達と話しあっても、結局何に金を使用したか正確に掴むことはできなかった。恐らく、いままで貧乏だったところ急に金回りが良くなったので、あれこれと物を買い続けてしまったのだろう。ファトゥも綺麗な洋服を随分と買い込んでいたようだ。
問題なのは、彼らが援助されることに慣れてきてしまっているような印象を受けたことだ。シカゴからは3千ドルという大金を持ち帰り、アメリカのスポンサーからは毎月お金が送られてくる。こういう他人からの財政援助に、彼らは依存し、なんだか安心しきってしまっているようだった。
募金など一時的なものだし、スポンサーにしても、それがずっと続く保障などどこにもない。これを当てにして生活することは非常に危険なことだ。こんな状況を危惧した僕は、彼らとじっくり話をして、資金に余裕のある今のうちにビジネスを始めて将来のための経済的自立ができるように促してきた。
また、リベリア人コミュニティーや、教会関係の団体からの寄付で旅費を捻出し、善意のドクターによる無償の手当てでつくってもらった義手も、いまはムスに使われることもなく家の壁に掛かったまま飾りのようになっている。これは彼女がシカゴを去る前からなんとなく感じていたことなのだが、義手は重いうえに見てくれも悪い。2年間も片腕で生活し、日常生活に支障のないムスにとっては義手をつける必要性など見出せなかったのだろう。こう言ってしまっては元も子もないのだが、義手の件はシカゴの市民たちが善意で話を進めたわけで、ムスのほうからつくって欲しいと頼んだわけではなかった。
この件も含めて、今回ムス一家と接し、援助というものの難しさを垣間見たような気がした。いろいろな条件が絡み合い、援助は必ずしも「する側」の意図するような結果をもたらすわけではない。これはムスのような一家庭の事象に限らず、組織や国家レベルの援助にもあてはまる問題だろうと思う。
いま願うのは、援助が途絶えたときにも、ムスの家族に自立し続けていって欲しいということだ。また貧困に逆戻りし、ムスが学校に行けなくなるという状況は二度と見たくない。
(リベリアでの写真の整理がひと段落し、ギフトのストーリーのスライドショウもトリビューンの以下のサイトにアップされました)
http://www.chicagotribune.com/giftsjourney
お金に頼りきるという弊害以外に、現地社会でよけいな嫉妬を生んだりなんだりの問題も指摘されています。
ビジネスというのは、スキルがなくてぽんとはじめられることではありませんし、経済管理も含めた能力開発の支援をする方が必要かもしれません。
ノーベル賞のユヌス氏が作り上げたグラミン銀行(参考サイト:http://www.afpbb.com/article/1164941)のようなものができてそこに寄付できるようになると、援助とそれを利用する側のバランスがうまくとれるような気もします。そして、お金を借りるために企画し、実行して自分の力にし次の人たちのためにとお金を返していくというシステムは、本当に良くできているなと思います。援助を受ける側として懸命に考え抜いたシステムだと思えています。そういった大人の姿を見る子どもたちにとっても教育的なものだと思えます。
500ドルというのは、2人の別々のアメリカ人たちからそれぞれ300ドル、200ドルで、この2人に面識はありません。ですから、500ドルが多すぎるという「支援者」に対する批難はここでは成り立ちません。
前、途上国支援をやってられる人と話したとき、長くつきあって相手が本当にやりたいこと(じつはみんな持っている)を引き出すのが大事だと言っていました。
村の写真屋さんとか…? ナンテ
そのココロは、
・途上国の視点を伝える撮り手が圧倒的に少ない(たまにアメリカで発表の機会があれば)
・村の人たちに喜ばれる(記念写真)
・機材が貴重で、競争相手が少ない
・写真の威力・影響力を、身をもって体験してられるから、興味があるはず
・高橋さんから学べる
でした。ご本人たちにやる気がなかったらどうしようもないけど、ブレストというかご参考まで。
高橋さんがじっくり話したことによってムスちゃんのご両親が状況に気がついて援助がよい方向にいくように祈ってます。(だれかリベリアで資金援助を元に家族が経済的に自立するところまでサポート出来る人はいないのですか?)
難民として何年も生活していると援助が当然になってしまう
難しいですね
人間って楽な方へいきますから
自ら自立する事とは別により好い生活を限りなく求めますし…
色々考えさせられました