熊本熊的日常

日常生活についての雑記

民藝夏期学校 倉敷会場 2日目

2011年09月03日 | Weblog
会場は藤木工務店倉敷支店会議室
講義 「郷原漆器・備中漆の復興」 高山雅之(郷原漆器生産振興会会長、林原備中漆復興委員会委員長ほか)
講義 「民藝とくらし」 金光章(日本民藝協会会長)
講演 小谷真三 (倉敷ガラス創業者、ガラス工芸家)
鼎談 「仕事とくらし」
    杉山享司(日本民藝館 学芸部長)
    柴田雅章(陶芸家)
    武内真木(陶芸家、岡山県民藝協会副会長)

漆器の魅力は使い込まれるにつれて深みを増す漆の様子だ。尤も、安物だと古くなると漆が剥がれてしまう。古くなるに従って深くなるのか割れてくるのかの違いをもたらす要因はいくつもあるのだろうが、漆そのものの品質を別にすれば下地処理にどれほど手間隙をかけるかということの違いが大きいらしい。手間隙というのは結局のところ価格に反映されることになるのだが、話を聴いた限りでは、郷原漆器は手間隙の割には安い。それは手間隙をかけるのが、作り手の満足のためではなく、使い手の満足を思ってのこと、ということを明確には表現しておられなかったが、そういうことのように思われた。

郷原漆器は岡山県指定重要無形民俗文化財で、蒜山地方で作られている。蒜山というと「蒜山ジャージー生クリームサンド」が思い浮かぶ。以前の勤め先で、社内の休憩室に菓子類がふんだんに常備されているところがあった。そうした菓子類は毎週定期的に明治屋から届くのだが、そのなかにその「生クリームサンド」があった。どら焼きの餡子の代わりに生クリームが入ってる、というような感じのもので、その生クリームが風味豊かで上品な味わいだった。その職場を離れて6年半。思わぬところで「蒜山」と再会した。

郷原漆器のことは郷原漆器のウエッブサイトを見たほうが、私が拙い文章で綴るよりもわかりやすいだろう。特筆すべきは、今日の講演をされた高山氏のことである。1926年生まれだが、今なお現役で漆器作りもされ、こうして講演にも飛び回っておられる。ご自身で車を運転してどこへでもお出かけになるのだそうだ。尤も、警察のほうからは「そろそろ」という話が無いわけでもないらしいし、今日の講演もご自分で車を運転して来るおつもりだったようだが、台風直撃の最中ということもあり、主催者の強い要請に応えて主催者側が用意したタクシーでいらっしゃったとのことである。とにかく、活力が漲っておられるような印象で、その話ぶりに思わず惹き付けられた。こういう講演を聴くと、聴衆を惹き付けるのは、話術とかプレゼンの小道具類といった表層のことではなく、何事かを相手に伝えたいという熱意に勝るものはないということを思い知らされる。高山氏は今回の講演のためにパワポでプレゼン資料を準備され、ノートPCを持参されてきた。「パワポでプレゼン」というのは今や当たり前のようだが、氏の年齢を考えれば、その意気に圧倒される思いがした。翻って、自分は何事かを相手に伝えなければならないときに、どれほど伝えるための努力をしてきただろうかと、おおいに反省させられた。さらに、自分にはそこまでの熱意で誰かに伝えたいと思うようなものがあるのだろうかと悄然とした。

小谷真三氏は昨日、岡山県三木記念賞を受賞されたばかりだ。この賞は地域社会の発展に貢献した人や団体を顕彰するものだそうだ。今日の地元紙「山陽新聞」には小谷氏をはじめとする受賞者のことが特集されていた。氏が始めた「倉敷ガラス」は岡山を代表するガラス工芸ブランドのひとつだが、そのはじまりは知人に勧められて作ったコップを当時の倉敷民芸館長である外村吉之介氏に見せたことだそうだ。そのとき、外村館長が喜んでくれたのを見て、小谷氏の気持ちが動いたということらしい。物事の始まりというのは、人と人との出会いだと思う。倉敷ガラスは分業が当たり前の吹きガラス器制作にあって、全工程を一人で行う。作るのは一人でも、作ったものが作った人以外の目に触れないことには何も始まらない。目に触れただけでも始まらない。
「職人が作った物は、その魅力を自然に語る」
そういう語りかけてくるような物があって、その声を受け止める感性を持った人がいて、そういう出会いのなかから何かが始まるのである。出会いがなければ始まらないが、出会いがあれば必ず始まるというわけにはいかないところが悩ましい。

鼎談は日本民藝館の杉山氏が司会進行役で柴田氏と武内氏から話を引き出すという形式だった。柴田氏も武内氏も陶芸家なので、大変興味深くお話を伺った。ただ、鼎談なので内容にまとまりがあるわけではない。「大変興味深い」の中身は個別具体的な断片のようなもので、それは言葉できれいにまとまるようなものではない。生活のなかのけっこう大事なことというのは、そういう非言語的なものであったりするものだ。