熊本熊的日常

日常生活についての雑記

名作の理由

2011年12月25日 | Weblog
「東京物語」を観た。日本映画の傑作のひとつに数えられる作品だ。その存在はずいぶん前から知っていたのだが、なかなか観る機会に恵まれなかった。先日、神保町で飲み会があった折、時間に余裕があったので靖国通り沿いの商店を見て回っていたのだが、そのときに大型新刊書店の前にあったワゴンのなかに並んでいた「小津安二郎大全集」に目がとまり、買い求めたのである。

有名な作品なので物語についても、映像についても、私があれこれ書くことは無いのだが、終戦から8年後という時代のことなのに古びたところが微塵も無いことに驚いた。登場人物の服装や映像のなかで描かれている習俗などは、確かに今の時代とは違う。そうした表層のことではなく、親子であるとか家族の有り様、さらに敷衍すれば人の有り様というものが冷徹に描かれており、そこに普遍性があるように思われる。

いろいろ不平不満があるのだろうが、穏やかな様子でにこやかに子供達のことを語り合う老夫婦。「私たちは幸せなほうですよね」とかなり本気で考えることができるのは、日本が焦土と化した時代を生き抜いたという時代背景もあるのだろう。主人公の老夫婦の子供達は長男が医者、三男は国鉄職員、長女は美容院経営、次女は小学校教諭ということで、確かに今の時代から見ても社会経済的には恵まれた階層を生きている。唯一、次男が戦死しており、その未亡人が伴侶を失ったという喪失感と不安を抱えつつも健気に生きている、というのはこの作品が制作された時代のリアリズムを与える設定なのだろう。

老夫婦が暮らすのは尾道。どのような事情なのかわからないのだが、約20年ぶりに上京して、東京で暮らす子供達や知人に会う。当時の通信手段は郵便、電報、電話。但し、電話はまだ普及途上で、東京で暮らす長男と長女の家には設置されているが、ほかの家にはまだない。次男の妻はアパートで一人暮らしだが、そこは電話がないばかりか、台所とトイレが共同で、浴室は無い。そういうアパートや下宿は今でも皆無ではないだろうが、すっかり稀少になってしまっている。そういうところに義母とはいえ、客を泊めるということが当たり前にあった時代というのが懐かしく感じられる。私が子供の頃に暮らしていた長屋は、六畳と四畳半に小さな台所と浴室やトイレがあるだけの狭い家だったのだが、正月などに遠方の親戚が遊びに来て、今から思えばパズルのように布団を敷いて10人前後が寝泊まりしたのである。先日、娘と訪れた日本民家園には何軒かの農家があったが、ごくありふれたような家であっても客間というのが必ず設けられていた。今の、少なくとも自分の身の回りで見聞する家に客を泊めることを想定したものは無いように思う。

郵便といえば、今はちょうど年賀状を書く時期だが、私信として郵便を使う機会が日常的にある人はどれほどいるのだろうか。電報に至っては、今や通信手段というよりは祝電や弔電のような特殊な場面での演出手段といえるだろう。現代の通信手段は携帯端末とメール。郵便や固定電話に比べればユビキタス性が格段に高まり、いつでもどこでも誰とでも通信を交わすことが可能になった。通信の発達で明らかになったことは、人間関係は通信で深まるわけではないということだ。3月の震災後、殊更に「絆」という言葉が脚光を浴びているようだが、そのことは「支え合えない私たち」という現実の裏返しなのではなかろうか。それどころか、常日頃からゴミのような通信を山のように飛ばし合うことで、人は相手の状況を想像する能力を退化させているのではないだろうか。手紙ならば、書く前に文面を考えなければならない。文面を考えるとき、相手のことをあれこれ想像しなければ文面はできあがらない。書いた後、それを封筒に収めてしまってよいかどうか読み直してみることになる。そして封かんし、投函する。内容によっては、さらに投函前に逡巡することもあるだろう。つまり書こうと思ってから送るまでの間に時間をかけて考えることがいくらでもある。電話となると口に出したが最後なので、思考の余裕は小さくなる。それでも固定電話の時代なら、相手に何かを伝えようと思ってから受話器を手にするまでに多少の時間はあり、そこに考え直したり逡巡する余裕は残されている。これが携帯端末となると、電話であろうが、メールであろうがSNSであろうが、思いついてから行動に移るまでの時間は直接的で、十分に思考する余裕があるとは思えない。結果として、自分の思い込みを押し付け合うだけの関係が肥大化しているというようなことにはなっていないだろうか。

物理的に向かい合って、言葉だけではなくて自分の持てる感覚を総動員して人と人とが語り合うという機会が、生活が小綺麗になるのに反比例するように少なくなっているような気がしてならない。「東京物語」の時代においてすら、家族は脆弱な関係として描かれている。それが今の時代ならどうなっているのか。家族関係ですら脆弱なら、他人との関係はどうなのか。そういう時代に我々が手にする「幸福」とはどのようなものなのか。この作品を観終わって、そんなことをふと思った。

ところで、この作品の最後は、東京の子供達を訪ねた後、尾道の家に戻ってほどなくして妻が倒れて帰らぬ人となり、独り残された主人公が、それでも穏やかな笑顔で通りかかった隣人と会話をする場面だ。隣人との会話は他愛の無いものだが、その後、主人公は深い溜め息を漏らす。何百何千という言葉よりも、その溜め息のほうがどれほど饒舌なことか。このシーンだけで小津という人が凄い人であるように思われた。

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