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日常生活についての雑記

読書月記2018年8月

2018年08月29日 | Weblog

小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第一巻〜第二巻』岩波文庫

寺田寅彦といえば「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉。科学者であり夏目漱石に師事した文筆家でもある。昔は今ほどに物事が細分化されていなかったこともあるのかもしれないし、寺田の才能がもの凄かったのかもしれないし、あるいは全く違う理由で広く活躍したのかもしれない。寺田が生きたのは1878年から1935年。いつの時代の人が書いたものも、大きな違いはないように感じられる。心ある人が何を好ましいものと思うのか、どのようなことに心痛めるのか、そういう価値観が時代を超えてこうして今あたりまえに文庫本という手軽なメディアで伝えられるのは何よりの証左だろう。

人の考えることというのは数百年程度のオーダーで変わるものではないとの思いは「徒然草」や「エセー」を読んだ時に覚えたことなので、それよりも手前の作品である本書の読後感で特筆されることではない。むしろ、今自分が目にしているあれこれの100年近く前の姿に興味を覚える。例えば百貨店の商品券についての記述がある。

正面の階段の上り口の左側に商品切手を売るところがある。ここはいつでも人が込み合っていて数百円のを持って行く人もあれば数十円のを数十枚買って行く人もある。そうかと思うと一円のを一枚いばって買って行く人もある。ともかくもここは人間の好意が不思議な天秤にかけられて、まず金に換算され、次に切手に両替される、現代の文化が発明した最も巧妙な機関がすえられてある。この切手を試みに人に送ると、反響のように速やかに、反響のように弱められて返ってくる。田舎から出て来た自分の母は「東京の人に物を贈ると、まるで狐を打つように返してくるよ」といって驚いた。これに関する例のP君の説はやはりやはり変わっている。「切手は好意の代表物である。しかしその好意というのは、かなり多くの場合に、自己の虚栄心を満足するために相手の虚栄心を傷つけるという事になる。それで敵から砲弾を見舞われて黙っていられないのと同様に、侮辱に対して侮辱を贈り返すのである。速射砲や機関銃が必要であると同様に、切手は最も必要な利器である。」いかにもP君の言いそうな事ではあるが、もしやこれがいくぶんでも真実だとしたら、それはなんという情けない事実だろう。(第一巻 131頁 「丸善と三越」 )

物事を単一の尺度で表現するというのは本来的に無理な事だろう。液体の計量にはその容量に着目してリットルだとかccだとかで計ることもあれば重量で計ることもある。温度なら摂氏だとか華氏で計るだろうし、速さなら時速だとかbpsだとかだ。確かに数字というはっきりとしたもので表すというのは万人に伝えやすいかもしれない。しかし、それはあくまで便宜だろう。例え同じものの同じ計測でも、それをどのように受けとめるかというのは受け手側の事情による。「台風ン号が時速20キロでナントカ島の西100kmのあたりを北北東に進んでいる」という時、それが速いのかそうでもないのかということは自分とその台風との関わりによって違う。そもそも係数化できることというのは、その程度のことでしかない。人の暮らしには単純に計ることのできないことの方が圧倒的に多いものだ。だからこそ、人には知恵が必要なのである。数字に換算して安心しているような知能というのはものの数ではない。世の中がかつてに比べて暮らしやすくなっているのかいないのか知らないが、「情けない事実」が蔓延しているようだと暮らしにくいと感じるのではないか。

二巻読んで付箋を入れたところは他にもあったのだが、読み直してみると特にどうというほどのこともなかった。上に引用したところにしても、わかりきったことなのだが、なんとなく書いてしまった。

 


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