
長石釉をかけて還元焼成に出した茶碗が、焼成の問題で還元が十分に進行せず、半分還元で半分酸化という状態で焼きあがってきた。怪我の功名、というのかもしれないが、なかなか格好が良い。焼成中の不測の変化ということで曜変とも言える。
還元焼成というのは窯のなかを酸欠状態にして焼くことだ。今回は還元操作を誤って途中で還元をやめてしまったのだそうだ。その結果、茶碗のほぼ半分が還元作用で釉薬が白濁して灰色になり、残り半分が酸化で釉が透明になって地の赤土の色が出て赤味を帯びた。この茶碗には自分の指の跡を残そうと高台を手で持って施釉したので、その指跡とも相俟って、思いの外良い景色に仕上がった。
陶芸の面白いところは、いくら上達しても最後は焼成という人間の力ではどうにもならない工程を経て作品が思わぬ変化をすることだ。勿論、長年やっている人は自分の作ろうとしたものを作ることができるのだろうが、私は初心者なので、本焼きに出す度に、どのようなものになるのか楽しみだ。土は同じ業者から同じ種類のものを仕入れているとはいいながら、全く同じものというのは無い。それを形にまとめるのだが、轆轤を使ったところで、陶工ならいざしらず、私は同じ形を二度と挽くことができない。その毎回微妙に違った土と、一見して違いがわかる形の器と、その時々の気分で選ぶ釉薬とが組み合わされて焼成されるのである。焼きあがる度に、こんなふうになるのかと感心してみたり驚いてみたり、とにかく楽しくて仕方がない。
還元焼成というのは窯のなかを酸欠状態にして焼くことだ。今回は還元操作を誤って途中で還元をやめてしまったのだそうだ。その結果、茶碗のほぼ半分が還元作用で釉薬が白濁して灰色になり、残り半分が酸化で釉が透明になって地の赤土の色が出て赤味を帯びた。この茶碗には自分の指の跡を残そうと高台を手で持って施釉したので、その指跡とも相俟って、思いの外良い景色に仕上がった。
陶芸の面白いところは、いくら上達しても最後は焼成という人間の力ではどうにもならない工程を経て作品が思わぬ変化をすることだ。勿論、長年やっている人は自分の作ろうとしたものを作ることができるのだろうが、私は初心者なので、本焼きに出す度に、どのようなものになるのか楽しみだ。土は同じ業者から同じ種類のものを仕入れているとはいいながら、全く同じものというのは無い。それを形にまとめるのだが、轆轤を使ったところで、陶工ならいざしらず、私は同じ形を二度と挽くことができない。その毎回微妙に違った土と、一見して違いがわかる形の器と、その時々の気分で選ぶ釉薬とが組み合わされて焼成されるのである。焼きあがる度に、こんなふうになるのかと感心してみたり驚いてみたり、とにかく楽しくて仕方がない。