熊本熊的日常

日常生活についての雑記

八丈島一日目

2012年03月22日 | Weblog
結局、昨夜は午前0時に消灯になるとすぐに眠りに落ち、途中、三宅島到着のアナウンスで目が覚め、その前か後か忘れたが自分の鼾で目が覚めた以外はよく眠れたと認識している。八丈島到着1時間前に船内の照明が点灯して目が覚めた。早速デッキに上がってみると、八丈島と小八丈島の島影がかなり近くに見えていた。

午前9時05分、定刻通り八丈島の底土港に船が到着して、初めての八丈島上陸を果たす。時刻表では午前10時に竹芝へ向けて折り返すことになっているが、今日は天候の急変が予想されているので出航時間を20分繰り上げるのだという。確かに、島に到着したときには雲一つない晴天だったのだが、午前中のうちにあれよあれよという間に雲が流れて来た。船を降りてすぐに事前に予約を入れておいたレンタカー会社に電話を入れて港に着いた旨を知らせる。15分ほどでレンタカー会社のボックスカーがやって来る。待つ間、港の荷役作業を眺めていた。さるびあ丸は貨客船で、船の前のほうはコンテナなどを積むようになっていて、船にクレーンも装備している。船から降ろされたコンテナと船に積むコンテナが忙しく行き交う。その荷物の往来を見ているだけでこの土地の生活を感じる。

レンタカー会社はガソリンスタンドのなかにあった。町役場などの公共施設が集まっている地域のなかに立地していて、便利でもありそうだ。車を渡されてどこへ行こうかと考えた。せっかくトレッキングシューズを持参したので、とりあえず八丈富士へ向かう。ちなみに車にはカーナビは付いていない。ざっくりとした観光地図をもらうが、それで十分だろう。

八丈富士は標高854.3メートルしかない上に、かなり上のほうまで車で登ることができる。鉢巻き道路と呼ばれる山の中腹を環状に走る道路まで車で行き、駐車場のような広場に車を停めて靴と靴下を履き替え、屈伸などの準備運動の後に登山口から登り始める。山頂までに2カ所のゲートがある。野山羊を捕獲すべくあれこれ対策を施しているらしい。山中には罠を仕掛けたところもあるので登山道から外れないようにとの注意書きが至る所に掲げてある。その登山道は階段状にコンクリートで固めてある。山を登るというより階段を上るといったほうがよいくらいだ。ただ、階段のほうが登りにくい。おそらく段のリズムと自分の歩幅とが一致しないからだろう。このところ運動不足であることもあり、加齢で体力が落ちていることもあり、登り始めてすぐに息があがる。無理をせず5分登っては一休みというようなサイクルでゆっくりと歩みを進める。それでも30分ほどで頂上に着いてしまう。その程度の距離の登山道なのである。山頂は所謂「お鉢巡り」になっている。ぐるっと回るのに約1時間と何かに書いてあったが、そこまで大きいものではない印象だ。ただ、今日は風が強く、少し危険を感じたので、時計回りに四分の一ほど回り始めたところで引き返し、そのまま下山した。山頂はもちろん、そこまで登らなくても島の全景を一望できる。なんとなく雰囲気が映画で観た硫黄島のように感じられるのは、どちらも火山の島である所為かもしれない。船で底土港に着いたとき、海岸が溶岩だらけだったことに気付いたが、島全体に土地が若いように感じられる。八丈富士が最後に噴火したのが1605年なのだが、400年程度では大地から吹き出したものは地表にあったものとは馴染めないということになる。昨年12月に失業して以来、戦火で灰燼に帰した土地の復興になんとなく注目しているのだが、既に地上にあるものが人為的な事情で喪失した場合には人為的な手段によって復興できても、自然の活動によって受けた打撃は人の力で回復させるのが容易ではないということのような気がする。少し前にこのブログにも書いたが、40億年の生命史のなかで人類の歴史というのはごく最近のことでしかない。我が物顔に振る舞ってはいても、しょせんは新参者の浅知恵しか備えていないということなのだろう。

山を下り、車で鉢巻き道路をぐるっと回る。山頂を中心にして西側に展望台があるが、展望台の立地が必ずしも比較優位の景勝地というわけでもなさそうだ。噴火から400年では土の堆積が薄いようで、八丈富士には低木と草しか生えていない。今日がたまたまそうなのかもしれないが、風が強いのも土の堆積を阻む要因だろう。それにしても、これだけ禿げ上がっているのも潔くて気持ちが良い。

山から下りて昼飯を食べようと思っても、島には商店街のような場所が無い。歩いてみればけっこうあるのかもしれないが、少なくとも車を運転しながら眺めている限りは見当たらないのである。仕方がないので空港へ行く。ターミナルビルの中にある食堂に入り、日替わり定食を頂く。今日はハンバーグ定食だ。島名物の漬寿司と明日葉蕎麦のセットというのもあるが売り切れていた。ハンバーグは期待以上に美味しかった。

腹が膨れて一息ついたところで予約しておいた宿へ向かう。午後3時チェックインということにしておいたが、多少早めに着いても大丈夫だろうと1時間前に行ったが、全く問題無かった。宿はバス・トイレ共用で部屋には水回りのものがない。食事は食堂でいただくようになっている。部屋はさっぱりとしていて気持ちのよい六畳間だ。畳の部屋に寝るのは久しぶりだ。今回はネットで予約を入れたが、簡単な朝食付きで一泊3,700円。

荷物を置いてすぐに出かける。宿の近くに廃墟と化したリゾートホテルがある。営業を停止してからどれくらいになるのか知らないが敷地には雑草が生い茂り、もう何年も使われていない様子だ。八丈島というところはその昔は「東洋のハワイ」などと呼ばれていたらしいが、海外旅行というものが一般の日本人にとって身近なものになると、「東洋のハワイ」ではなく本物のハワイに出かけるのが人情というものだ。それで島の観光産業は衰退し、人口も減少を続けているようだ。

午前中は八丈富士のある島の北半分を回ったので、午後は島の南半分、三原山の裾野を車で時計の反対方向へ巡る。宿のある三根地区から空港の南側に展開する島の中心街を抜ける。大里の玉石垣が続く道路を過ぎると山間部を縫うように走る長い橋が見えてくる。これが逢坂橋でその先の大坂トンネルを抜けると樫立という集落になる。この大坂トンネルは日露戦争の戦勝記念事業として開削されたもので、その後拡張されて現在の姿になっている。道路もかつては山にへばりつくように走っていたのを、立派な橋にして付け替えたのである。旧道は所々に残っていて、トンネル手前の部分は展望台として利用されている。ここから眺める夕日の風景は「大坂夕照」と呼ばれ八丈八景の一つに数えられているのだそうだ。

さらに南へ進むと「黒砂砂丘」という小さな看板が目に入った。一旦は通り過ぎたが、行ってみようとUターンして脇道へと入って行き、看板に従って進む。途中までは舗装された道路だったのだが、かなり荒れた道路になり、とうとう車が前進できないほどになってしまった。黒砂砂丘は断念して車を舗装されたところまでバックで進む。島の周回道路に戻りしばらく行くと「風力・地熱発電所」の道標が見えた。東京電力管内唯一の地熱発電所ということを聞いている。発電所に至る脇道に入ると所々に「閉館中」という札がある。かまわず進み発電所に至る。なんとなく硫黄臭が漂っているなかにそれほど大規模とは見えない施設がもくもくと湯気を吐いていた。門の向こうに見学施設があり、これが「閉館中」ということらしい。昨年の地震では島に高さ50センチの津波が来た以外はこれといった被害は無かったそうだが、それでも公共施設中心に「節電」の貼り紙がけっこうあった。地震があってもなくても節度をもって生活するというのは地球という大きな社会の一員として当然のことだろう。尤も、節度を守るというのはそれほど容易ではないのだが。

周回道路をさらに進むと末吉という集落に入り、名古の展望の駐車場が目に入る。車を停めて、展望台のほうへ行ってみる。駐車場から展望台に至る途中に大きな石碑が立っている。誰の書いたものかと署名を見ると「安倍晋太郎」とある。この展望台直下の洞輪沢には太平洋戦争末期に特攻兵器である震洋の基地が設けられていた。そのことについて書いたものである。ここからの眺望も八丈八景のひとつに数えられている。「名古秋月」と呼ばれているそうだ。

周回道路は末吉から今回の宿がある三根に至るのだが、これまでとは違ってこの区間は急カーブの多い山道だ。それでもきちんと舗装されているのだから、島がどれほど公共事業に力をいれているかということがわかる。

一旦宿に戻って車を置いてから、歩いて三根の飲食店がかたまって立地しているあたりへ出かける。まだ午後5時過ぎなので営業前の店もあったが、5時から営業というところもあり、そういう早めに営業をしているなかから梁山泊という料理屋に入る。島は全体としては静かなのだが、店の奥の座敷には団体客がいて、テーブル席のほうも予約で埋まっている。確かに雰囲気が良く料理も旨いので人気があるのはわかる。今日いただいたのは以下の料理。
 明日葉の胡麻和え
 島やっこ
 青海亀の煮込み
 飛魚卵フライ
 くさやチーズ
せっかくなので島の酒もいただく。頂いた酒は以下の2種類。
 小笠原ラムのラムコーク
 情け嶋(麦)
情け嶋は焼酎で、もともとは麦だが、後から芋のものがつくられるようになったのだそうだ。酒など普段は飲まないので、この2杯だけで酔ったのだが、宿まで30分ほど歩いているうちに落ち着いた。

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