熊本熊的日常

日常生活についての雑記

暑中見舞い

2010年07月27日 | Weblog
毎日暑いが、夜中の風には秋の気配が感じられるようになった。以前にも書いたかもしれないが、私が今住んでいる部屋は四方に窓があるので、無風で無い限り、必ず風が通っている。その方向は毎日微妙に変化している。北側は浴室や脱衣場などが固まっているところなので、その窓はブラインド式になっていて、普段は多少隙間を設けておく程度にして開放することはないので、こちら側から風が吹き込むようなことはない。主に東側の窓から風が入るか、西側の掃き出しから入るか、によって温度の上がりかたが違うように感じられる。西側から風が吹き込むときはたいてい暑いのだが、今週は西側から吹いても苦になるほどの暑さは感じない。身体が暑さに慣れたということもあるのかもしれないが、梅雨明け後の一週間こそ辛かったものの、土用を境に大気が夏から秋へと移ろい始めたように感じられるのである。

何度か暑中見舞いのことを書いたが、結局、梅雨明け直後に16通発送できた。他にメールで1通だけ出した。メールのほうはさすがにすぐに返信が来るが、はがきで出したほうにも既に2通の返信と1通のメールがあった。今週はそのメールの主と昼食を共にすることになっている。不思議なもので、はがきの返信は2通とも手書きでびっしりと書かれたものだった。

面倒だと思いながらも手書きでせっせと書いたものに、手書きの返信があると、なんとなく文字面以上のものが感じられる。年賀状とか暑中見舞いというのは、もともとは実際に相手のもとに訪れることだったのが、はがきという姿に簡略化されたものだそうだ。誰が考えたのか知らないが、はがきの大きさというのは手に取るのにちょうどよいような気がする。そのはがきの上に綴られている文字を目にすると、それを書いている人の姿が想像される。これなら簡略化されていても挨拶として十分に通用すると、妙に腑に落ちた。

四季の移ろいがあり、そのなかで人の生活も変化する。その節目に縁のある人々と心通わすというのは、自分もその自然の変化のなかに自然とともに生きているということを感じさせる。活字の文章も当然それを書いた人がいるのだが、手書きのほうが書き手の存在をより強く感じるものである。ちょっとしたことなのだが、はがきの往来があるといだけで、日々の雑事に追われがちな生活に花が咲いたような心持になった。

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