熊本熊的日常

日常生活についての雑記

炎天下に池袋・目白

2010年07月26日 | Weblog
昨日は子供と池袋界隈を歩いた。と言っても繁華街嫌いの私が池袋駅周辺を歩くはずは無い。池袋駅構内で待ち合わせ、地下鉄で要町に出る。まずは熊谷守一美術館を訪れる。

10時半の開館時間少し前に着いてしまったが、建物の前にある大きな木が気持ちのよい木陰を設けていてくれて、待つのはそれほど苦にならない。今の時期は常設展で、3階の貸ギャラリーではバンコク在住で熊谷の弟子筋である坂本修の個展が開催されていた。

熊谷の作品は「天狗の落とし札」と呼ばれていたのだそうだ。4号の作品が多く、ここでも展示品の多くが4号だ。戦後の作品は殆どが抽象画に近いスタイルだが、色の面で画面を構成するという点はマチスに通じるものも感じられる。理屈はともかくとして、芸術新潮2009年10月号の記事のなかで、岐阜の柳ヶ瀬画廊のオーナーである市川博一氏が語っている言葉が全てだと思う。

「この部屋はいつも熊谷守一だけを飾っているんです。なぜかというと、朝、戸をあけて電気をつけたときに、なんか気分がいいんです(笑)。疲れていてもね、画廊の掛けかえで熊谷先生の絵を1点掛けると、モヤモヤをすーっと吸いとってくれる。…」
(芸術新潮2009年10月号 159頁 小山登美夫の見た、訊いた、買った)

何故だかわからないが、私も熊谷の、特に所謂「守一様式」の油絵作品を見ていると、妙に気分がよくなるのである。熊谷守一美術館の1階に展示されている作品のなかでは、サイズが他のものより大きい所為もあるのかもしれないが、一番奥の正面にある「仏前」が印象深い。白いのは饅頭かと思ったら卵だという。それも家で飼っていた鶏のものだそうだ。熊谷の長女が亡くなって、その仏前に卵を供えたのを描いたという。そうしたエピソードまで知ってしまうと、なおさらのこと、忘れ得ぬ作品のように感じられてしまう。

熊谷守一美術館を後にして、エコール・クリオロに寄ってケーキとコーヒーでもいただこうかと思わないこともなかったが、歩き始めると、暑さについつい足が駅へ向かってしまった。

地下鉄で江戸川橋まで行く。江戸川公園を通り抜け永青文庫へ向かう。しかし、あまりに暑いので、江戸川公園を通り抜けて、川を渡り、永青文庫とは反対側にあるリーガロイヤルホテルで一服することにする。ちょうど昼過ぎだったので、ここで昼食にする。料理の種類を子供が選び、結果として入り口近くにあるファミレスのようなレストランに入る。

店の入り口には週末限定のビュッフェの看板が出ていたが、私がビュッフェ嫌いなので、メニューからオーダーする。なぜか子供が「大人のオムライス」で私は「オムレツライス」を食べる。要するにどちらもオムライスなのだが、ソースが違う、ということのようだ。味は値段相応の美味しさ、ということにしておく。

ビュッフェというのは、その姿が牛小屋や豚小屋あるいは養鶏場のようで、なんとなく食事を自分の皿に取っていると嫌な気分になってしまう。

腹と気分が落ち着いたところで、永青文庫に行く。現在開催中の展示は「神と仏 日本の祈りのかたち」。展示されているものは多くはないが、眺めていて飽きないものばかりだ。今回の展示のなかでは、中国古代の石仏からなんとなく目が離せなかった。

永青文庫を出て目白通りにあるバス停で目白駅方面へ行くバスに乗る。できれば練馬車庫行きに乗って下落合3丁目で下車したかったのだが、来たバスが目白駅行きだったので、それに乗って、目白から歩いた。歩き始めると暑いのですぐに休みたくなる。それでたまたまそこにあったLaCucina Caffeというところに入って小休止。落ち着いたところで再び歩き始めてアダチ版画へ。

アダチ版画は浮世絵版画の複製を手がける代表的版元のひとつで、かつて西巣鴨にあった。実は、「アダチ版画」の名前も先ほど言及した芸術新潮2009年10月号で初めて知ったのである。米国のとあるボンボンが日本の浮世絵に魅せられて、よりによって日米関係が険悪の度を深めている1940年3月に新婚旅行と浮世絵の買い付けを兼ねて来日したという。7月までの5ヶ月間を版画の買い付けやら作家との交流やらに費やし、当時は西巣鴨にあったアダチ版画でも17,850枚の版画を買ったという。この枚数は、そのボンボン、ロバート・ムラー氏が遺言により浮世絵とその関連品を遺贈したスミソニアン協会アーサー・M・サックラー・ギャラリーに残る領収書の記載に基づいたデータだそうだ。実際に購入したのは、それ以上である可能性が当然に高いのである。その記事のなかの「西巣鴨」という文字に思わず反応してしまった。自分が今住んでいる地域にあったというだけで、なんとなく興味を覚えていて、いつか訪れてみたいと考えていた。今日は目白に来る機会を得たので、ようやく念願がかなった。

住宅街の一角にある建物で、看板がなければそれとはわからない。地下がショールームになっていて、中に入ると、誰もいなかった。物音に気付いて出てきた店の人に一礼して、店内を見せてもらう。やはり江戸時代の誰もが知っているようなものが人気があるのだろう。そういうものの展示が殆どで、現代のものは数点だけだ。技術の継承という点では江戸時代のものも重要なのだろうが、複製は複製でしかない。もっと新しいものがあれば面白いのにと思ってしまう。

別れ際になって、子供が相談事を持ち出ししてきた。文化祭に小説家を呼んで講演をしてもらおうとしているのだが、電話をかけても応じてくれる人がいない、というのである。しばらく立ち話をして、あとでメールをすることにして別れる。西武新宿駅近くにある「みつばち」で「氷ごまミルク」を頂いてから住処へ戻る。

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