熊本熊的日常

日常生活についての雑記

さくらさく

2010年03月05日 | Weblog
昨日の帰りにタクシーの運転手さんと話をしていて、丸紅の角の桜が満開だということを聞いた。私は車がその角を曲がったとき、丸紅とは反対側を眺めていたので気付かなかった。まだ3月になったばかりで桜のことなど意識になかったので、妙にその桜が気になり、今日の出勤前に遠回りをして眺めてきた。

午前中に家を出て、新宿の映画館で「人の砂漠」という映画を観てきた。映画のことは明日、このブログに書くつもりでいる。映画の後、新宿駅のルミネにあるつばめグリルでグラタンを食べ、中央線で神田に出て竹むらで粟善哉をいただき、腹が膨れたところで、歩いて丸紅まで行く。

世の中は、やれコスト削減だ、やれ競争だと、物事が薄っぺらいほうへ薄っぺらいほうへと、それこそ狂騒のように向かっているように感じられ、情けない気分になることがある。そういう毎日だからこそなのかもしれないが、近頃は、精魂込めた手仕事に触れると砂漠でオアシスを見つけたような嬉しさを覚える。竹むらの善哉などは、まさにそういう仕事だと思う。

神田から大手町にかけては小さなビルが軒を連ねているなかで、ところどころに昔ながらの古い木造家屋や建物丸ごと骨董のような味わいのあるビルが散在していて、面白い風景が広がっている。そんな裏通りを、阿弥陀籤を辿るように歩いて堀を越え、如水会館の裏手から丸紅へと回ると、建物の裏手に1本、そして昨日の会話に登場した角に1本、桜が咲いていた。

どのような種類なのか知らないが、ソメイヨシノに比べると、かなりピンクの勝った花で、昨夜の雨で少し散ってはいたが、見事な咲きっぷりである。西に傾いた陽に照らされて、そのしっかりとしたピンクが力強く感じられる。日々いろいろなことが起こり、自分の生活も不安の種には事欠かないが、そんなこととは無関係に季節が巡り、今年もこうして花を拝む時期になったのだと思うと、なんとはなしに刹那の安堵を覚えて、心安らぐ。