珍しくこのブログにコメントが付いたので、今日はそれに応えるようなことを書こうと思う。
何が嘘で何が本当なのか、ということはさておいて、頂いたコメントのなかで面白いと思ったのは指の話である。「死の棘」の主人公夫婦のやりとりのなかで、亭主が妻への隠し事などないということの証拠に指を切ろうと言い出す場面がある。当然の如くに、そこでは小指を詰める話になるのだが、それが仮に親指だとしたら、物語全体の世界が違ったものになるだろうと、まるちゃん氏はおっしゃるのである。なるほど、それはその通りだと思う。
指を詰めるとしたらどの指を選ぶのか、と考えた時、確かにまんなかの3本というのは切りにくいだろうから、両端から切るというのは自然なことだろう。親指と小指とを比較すると、切るほうから見ても、切られるほうから見ても、小指のほうが切り易いと考えるのも自然だと思う。だから、物語中盤での全体の流れのなかでの要のひとつでもある、この指詰めのエピソードで親指を詰めるという話だと、少しばかりエグ過ぎて、却ってそれまで持続してきた緊張感が途絶えてしまうかもしれない。
「死の棘」とは全く関係ないが、指詰めで思い出すのは松田優作の遺作となった「ブラックレイン」という映画だ。松田演じる新興組織の組長が上部組織と対立し、一旦は上部組織への恭順を偽装すべく新興組長が親分衆の集まりで指を詰める場面がある。この新興組長は少しエキセントリックに描かれているのだが、その狂った感じが、親分衆の会合という静かな場面で活きていたように思う。狂人をいかにも狂人のように表現したのでは狂気が表現できずに滑稽になってしまう。何事もないかのようなところに潜んでいる何事こそが恐ろしいのである。そういえば「ブラックレイン」の監督はリドリー・スコットだった。
2年ほど前、私は誤って左手親指の先端を鋏で切り落としてしまった。長さ1センチ、最大幅4ミリ、最大肉厚2ミリ程度だったが、たったそれほどでも完治までには数ヶ月を要し、不自由なことこの上なかった。ミニマリズムという言葉があるが、生き物の身体には不足も過剰もない、ということを以前に聞いたおぼえがある。たとえわずかでも失ってしまえば、それに順応するまでは難儀をする。おそらく、身体に限らず、自意識を形成している要素に大きな変動が生じれば、均衡回復までの間には精神も肉体も脆弱な状況に陥ってしまうのだろう。
ところで、「死の棘」の指詰めの場面で使われるのは植木鋏ではなく鉈である。植木鋏と鉈とでは切るときの絵姿にかなり大きな違いがあるので、親指と小指の違い以上に物語の世界が変わってしまうかもしれない。尤も、人によって気になることというのは違うので一概には言えないのだが。
何が嘘で何が本当なのか、ということはさておいて、頂いたコメントのなかで面白いと思ったのは指の話である。「死の棘」の主人公夫婦のやりとりのなかで、亭主が妻への隠し事などないということの証拠に指を切ろうと言い出す場面がある。当然の如くに、そこでは小指を詰める話になるのだが、それが仮に親指だとしたら、物語全体の世界が違ったものになるだろうと、まるちゃん氏はおっしゃるのである。なるほど、それはその通りだと思う。
指を詰めるとしたらどの指を選ぶのか、と考えた時、確かにまんなかの3本というのは切りにくいだろうから、両端から切るというのは自然なことだろう。親指と小指とを比較すると、切るほうから見ても、切られるほうから見ても、小指のほうが切り易いと考えるのも自然だと思う。だから、物語中盤での全体の流れのなかでの要のひとつでもある、この指詰めのエピソードで親指を詰めるという話だと、少しばかりエグ過ぎて、却ってそれまで持続してきた緊張感が途絶えてしまうかもしれない。
「死の棘」とは全く関係ないが、指詰めで思い出すのは松田優作の遺作となった「ブラックレイン」という映画だ。松田演じる新興組織の組長が上部組織と対立し、一旦は上部組織への恭順を偽装すべく新興組長が親分衆の集まりで指を詰める場面がある。この新興組長は少しエキセントリックに描かれているのだが、その狂った感じが、親分衆の会合という静かな場面で活きていたように思う。狂人をいかにも狂人のように表現したのでは狂気が表現できずに滑稽になってしまう。何事もないかのようなところに潜んでいる何事こそが恐ろしいのである。そういえば「ブラックレイン」の監督はリドリー・スコットだった。
2年ほど前、私は誤って左手親指の先端を鋏で切り落としてしまった。長さ1センチ、最大幅4ミリ、最大肉厚2ミリ程度だったが、たったそれほどでも完治までには数ヶ月を要し、不自由なことこの上なかった。ミニマリズムという言葉があるが、生き物の身体には不足も過剰もない、ということを以前に聞いたおぼえがある。たとえわずかでも失ってしまえば、それに順応するまでは難儀をする。おそらく、身体に限らず、自意識を形成している要素に大きな変動が生じれば、均衡回復までの間には精神も肉体も脆弱な状況に陥ってしまうのだろう。
ところで、「死の棘」の指詰めの場面で使われるのは植木鋏ではなく鉈である。植木鋏と鉈とでは切るときの絵姿にかなり大きな違いがあるので、親指と小指の違い以上に物語の世界が変わってしまうかもしれない。尤も、人によって気になることというのは違うので一概には言えないのだが。