熊本熊的日常

日常生活についての雑記

一文字の違い

2008年11月18日 | Weblog
仕事から帰ると郵便局からクリスマスカードのプロモーションのようなカードが届いていた。そろそろクリスマスカードを書く時期なのだろう。私はキリスト教徒ではないのでクリスマスを祝うという習慣はないのだが、年賀状の時期と近いこともあり、今年は年賀状の代わりにクリスマスカードを書くつもりでいる。尤も、普段の付き合いがある相手に改めて書く必要は無いと思っているし、原則として虚礼は無用だと思っているので、たいした量にはならない。

誰に書くか、今年の正月に頂いた賀状や去年のクリスマスカードを眺めていたら、クリスマスカードの差出人は留学時代の同窓生が多いことに気がついた。約20年前にマンチェスターに留学していたとき、1学年120名の学生がいて、そのうち日本人は私を含めて7名だった。全員企業派遣である。一つ前の学年では3人、一つ後の学年には5人の日本人がいた。以前にも書いたが、日本の企業が社員を留学させるとき、精鋭を送る先は米国のアイビーリーグか、シカゴ、UCバークレーといった名門校が多い。米国以外の国に送り出すのは、米国の学校に入学できなかったような奴とか、ちょっと変わり者系の奴であることが多かった。いろいろエピソードはあるのだが、マンチェスターの7名も妙な奴ばかりだったと思う。それが今は、私を除いて、みなすっかり出世してしまった。上場企業の子会社の社長をやっているのが2人もいる。

「できる人」というのと「できた人」というのとでは、わずかに「る」と「た」の一文字の違いでしかないが、その意味するところは文字数の違いを遥かに超えたものがある。人の上に立つ人というのは「できる」だけでなく「できた」人であるように思う。それは、具体的にどのような人、と説明のつくものではなく、そういう素質を感じさせる人と言うしか形容のしようがない。これまで生きてきた経験から言うなら、「できる人」というのはたくさんいるが、「できた人」というのは滅多にいるものではなく、「できる」上に「できた」あるいは「できた」上に「できる」人となると宝くじの一等に当たるくらいの確率でしか出会うことができないように思う。