熊本熊的日常

日常生活についての雑記

倒産

2008年11月21日 | Weblog
上場企業の場合、株価が一桁になると倒産する確率が高くなると言われている。実はこれには合理的な根拠はない。ただ、株価が多分に心理的な要素によって動くのは確かなことである。

株価というより、それに発行済株数を乗じた時価総額には注目する必要があるだろう。理屈から言えば、企業の時価総額は、少なくともその企業の解散価値よりは成長期待の分だけ高くて然るべきである。解散価値とは企業が解散したときに、総資産から負債を除いた純資産部分の価値のことである。業況や経営に問題が生じて、収益成長に対する期待感が剥落すれば、株価が下落して時価総額は解散価値を下回ることもあるが、健全な企業という認識が市場にあれば、その下値のめどは解散価値になる。例えば、欧米の景況悪化を反映して、急速に業況が悪化しているトヨタ自動車の今日の終値に基づく時価総額は10兆6,198億円であり、直近に開示された9月30日時点での純資産総額11兆9,269億円を下回っているが、乖離幅は11%である。一方、欧米の金融危機による影響が比較的小さいとみられる内需型産業の典型ともいえるアサヒビールの時価総額は7,988億円で、純資産総額5,364億円を49%上回っている。これだけでは十分なサンプルとは言えないのは承知しているが、株価は企業の解散価値を基準に、業績見通しに対する期待感をプレミアムとして形成されていると見ることもできるであろう。

今は規定が廃止されてしまったが、長らくの間、株式には額面というものがあった。多くの日本企業は50円額面であり、それに株数を乗じて算出される資本金に剰余金を加えたものが純資産額であった。その名残りで、「株価が50円を切ると」云々、「株価が二桁になると」云々、と今でも言われたりするのであろう。現実にその企業が倒産して上場が廃止されれば、その株はただの紙切れだ。株価が解散価値を下回って下落を続け、いよいよ一桁台に突入するというのは、株式市場がその企業の終焉を予見しているということでもある。企業の利害関係者は、当該企業の経営情報を全て把握しているわけではないので、株価が下落を続ければ、確証がなくとも、取引を控えたり、融資を引き上げたりして債権の保全を図ろうとするだろう。そうなると、その企業が従前通りの事業を継続するためには、より多額の現金を用意しないと商品や原材料の仕入れができなくなってしまう、というような事態にもなりかねない。つまり急速に資金繰りが悪化して、事業継続が困難な状況に陥ってしまうことになる。株価が企業の終焉を予見したのか、株価によって企業が終焉を迎えざるを得なくなったのか、実態はケースバイケースなのだが、いずれにしても株価が下げ止まらない企業に対しては警戒が必要なのである。

このようなことは日本に限ったことではない。米国でも株価が1ドルを下回ると要注意だと言われている。リーマン・ブラザーズの倒産が示すように、企業規模が大きいというのは何の安心材料にもならない。事実、巨大企業の倒産はリーマンに限ったことではない。

実は、自分の勤務先の株価が下げ止まらない。ただ、仮に本当に危ないとして、自分が幸運だと感じるのは、既に帰国準備が着々と進行していることである。もちろん、今から準備を始めたとしても、結果としては同時期に帰国することになるだろう。しかし、去る5月頃に来年1月に帰国することを決め、いろいろ準備をしながら物事を進めるのと、何の準備もなくこれから急に行動を迫られるのとでは、精神的な余裕が全然違う。どのようなことでも落ちついて対処できるということは、心地よく生きる上で大切なことだと思う。