6時半頃起床。パジャマ代わりに着ているトレーナーを洗濯する。それから、ゆっくりと朝刊を読む。記事によれば、2月17日以来、バンガロールでは断水がないという。これは驚くべきことなのだそうだ。断水がない原因は、地方選挙が近いせいだと書かれていた。与党が都市票確保のため、水道の安定供給に注力しているのだろうという。確かに、駅前には国民会議派のシンボルである手のひらの形の巨大な看板が出ていたし、町中の至る所に手のひらや蓮の花の絵が描かれていた。いずこの国も、選挙というのは大変なことだと思った。
腹がへったので、8時半頃に駅のカフェテリアへ行く。昨夜、扇風機を強風にしたまま眠ってしまったせいか、少々下痢気味である。軽く食事をとった後、宿へ戻って持参してきた正露丸を飲んで休む。
そんなわけで、宿を出るのが昨日より遅くなってしまったが、市街地の南にあるLAL BAGHという公園を目指して炎天下を歩く。LAL BAGHには西門から入った。ここに至るまでの道中は、牛もいるし、適度に不潔な感じでインドらしい。今朝の新聞に、この西門周辺の悪臭のことが出ていた。公園の池にたまる滓のようなものが原因らしいが、なるほど臭い。そのまま公園のなかを歩いてゆくとやがて臭いもなくなり、爽やかな空気に包まれる。ずっと歩き通しだったので、どこかに休める場所はないかと探しているうちに北門へ出てしまった。
門のすぐ内側に大木が通路を隔てて2本立っており、その周りにベンチが並んでいた。木にはリスがいて、時々地上まで降りてきたりしていた。ベンチに座ってぼんやりと道行く人々を眺めていることにした。行き交う人々は学生風の若者が多い。西門の辺りは小学生風の子供たちが多かったが、こちらは大学生のようだ。そんな学生風の2人連れが近づいてきた。
確かに彼等は医科大学の学生だそうだ。日本から来たのかと話かけられ、自分たちは日本が好きなのでいろいろ話を聞きたいという。いきなり名前と住所の交換となった。日本はアジアで最もdevelopされた国だとしきりに感心して見せる。日本の何を知っているのかと尋ねたところ、真っ先に返ってきた答えはHONDAとYAMAHAのバイクとのこと。次ぎに出てきたのは、National-Panasonic、Sony、Sanyoといった電気メーカの名前だった。一人は、日本を紹介した映画と007シリーズの作品でも日本のことを知っているという。日本が舞台となった007シリーズは「007は二度死ぬ」である。これが公開されたのは昭和40年代の前半である。結論から言えば、やはり日本は顔の見えない遠い国ということであろうか。彼等は医学生なので、日本での医者の社会的地位のようなことも質問してきた。勿論、私も自分の主観でしか答えられないので、その旨は断りながら話を続けた。日本人の食事については身近なことでありながら答えに窮してしまった。いままで意識していなかったが、日本の食卓にのぼる料理は無国籍とも言えるほど多種多彩なのである。強いて特徴があるとすれば、米を主食にしていることぐらいではないだろうか。いずれにしても、外国の人と日本について話をすると、自分の無知を再認識することになり、少々恥ずかしい思いが残ってしまう。
私の方も彼等にインドについて尋ねてみた。気候、風土、衛生、治安どれを取ってみても、バンガロールがインドで最高であること。これが、彼等の話のエッセンスであった。確かに空気は乾燥していて、木陰などは快適である。街もよく手入れされていて、マドラスよりはるかに歩きやすい。また、町中に緑が多いのも印象的である。しかし、気温は連日30度を超えている。ここがインドで最もしのぎやすい場所だとすると、他はどんな所なのだろう。
これからどこを旅するのか、と聞かれたので、まだ決まっていないが、カルカッタから出国することだけは決まっていると答えた。すると、カルカッタは危険だから気をつけろとのことだ。ベンガル語を話す奴は信用できない、と思いきり顔をしかめたのが印象に残った。そういえば、コロンボで私にまとわりついていたオッサンも同じようなことを言っていた。カルカッタというところはろくでもないところらしい。
彼等とは1時間ほど話をして別れた。LAL BAGHの門の前に、スイカやジュースの屋台が並んでいたので、スイカやジュースで喉を潤した後、LAL BAGHを後にした。
マドラスほどではないが、暑さと埃と排気ガスはバンガロールでも場所によってはかなりひどい。そうした厳しい環境下を、LAL BAGHからシティーマーケットへ歩いていると、たまたま交通事故に遭遇した。前を走っている乗用車を追い越そうとした路線バスが対向車を避けようとして誤って追い越し途中の乗用車に接触してしまったのである。バスはいつものように乗客が溢れんばかりに満員だったので、運転手の視界が十分でなかったのかもしれない。そもそも、交通ルールなど殆ど無いような国なので事故は起こって当然なのだが、事故が起これば、例え珍しくなくても野次馬が集まってくる。事故の当事者である運転手と、目撃者や乗客の一部が集まって話し合いが始まった。そのまま成り行きを見届けようかとも思ったが、暑かったのでその場を後にした。
マーケットに近くなると、さすがのバンガロールもインドの街らしくなってきた。牛とハエが多くなる。人出もすごい。炎天下を歩いてきて、疲労もたまってきたので、食堂に入ってひと休み。冷たいものでも飲もうと思ったが、瓶入りジュースではつまらないし、生ジュースは高かったので、ホットミルクにした。とてもおいしかった。
マーケットから駅へ至る道には金物屋が多い。アルミの食器や水筒、弁当箱が並べられていたり、吊り下げられていたりする。弁当箱は円筒形の重箱型でである。三段くらいのものが多いが五段ほどの大きなものもある。恐らく飯またはチャパティ用に一段、カレー用に一段、ヨーグルト用に一段というように使うのであろう。
金物屋のほかに、果物の屋台も並んでいた。少し腹もへったのでバナナを食べることにした。屋台のニイチャンに1ルピー出したら2本よこした。バナナを頬張りながら、商店の店先を覗いて歩いていると、牛と正面衝突しそうになってしまった。つい、目と目があってしまい、お互いに少々照れて目をそらした。牛はすっかりインドの街角の風景に溶け込んでいた。そのまま歩いてゆくと、ミルクの屋台が出ていた。マドラスからの車中で飲んだ温かいミルクの味を思い出し、1本買って飲んだ。温かくはなかったが、おいしかった。この後、宿の近くの店で砂糖黍ジュースを飲み、長い散歩を終えた。宿の部屋に戻ると、午後3時ちょっと前になっていた。
昼寝をした後、夕食に昨夜行った食堂へ出かけた。今日は、チャパティとダルだけにして、近くのミルクスタンドでミルクを飲み、宿の1階にあるコーヒー屋でコーヒーを飲む。コーヒーの甘さは半端でなかった。あまり甘かったので口直しにスイカでも食べようと、昨夜、屋台が出ていた場所へ行ったが、今夜は誰もいなかった。しかたないので、リンゴを食べようとしたら、1個2ルピーもするので、これも食べず、そのまま宿へ戻った。
ところで、昼間、街角で古タイヤからサンダルを作っている少年を見かけた。インドでは何でも商売になるものだ。
腹がへったので、8時半頃に駅のカフェテリアへ行く。昨夜、扇風機を強風にしたまま眠ってしまったせいか、少々下痢気味である。軽く食事をとった後、宿へ戻って持参してきた正露丸を飲んで休む。
そんなわけで、宿を出るのが昨日より遅くなってしまったが、市街地の南にあるLAL BAGHという公園を目指して炎天下を歩く。LAL BAGHには西門から入った。ここに至るまでの道中は、牛もいるし、適度に不潔な感じでインドらしい。今朝の新聞に、この西門周辺の悪臭のことが出ていた。公園の池にたまる滓のようなものが原因らしいが、なるほど臭い。そのまま公園のなかを歩いてゆくとやがて臭いもなくなり、爽やかな空気に包まれる。ずっと歩き通しだったので、どこかに休める場所はないかと探しているうちに北門へ出てしまった。
門のすぐ内側に大木が通路を隔てて2本立っており、その周りにベンチが並んでいた。木にはリスがいて、時々地上まで降りてきたりしていた。ベンチに座ってぼんやりと道行く人々を眺めていることにした。行き交う人々は学生風の若者が多い。西門の辺りは小学生風の子供たちが多かったが、こちらは大学生のようだ。そんな学生風の2人連れが近づいてきた。
確かに彼等は医科大学の学生だそうだ。日本から来たのかと話かけられ、自分たちは日本が好きなのでいろいろ話を聞きたいという。いきなり名前と住所の交換となった。日本はアジアで最もdevelopされた国だとしきりに感心して見せる。日本の何を知っているのかと尋ねたところ、真っ先に返ってきた答えはHONDAとYAMAHAのバイクとのこと。次ぎに出てきたのは、National-Panasonic、Sony、Sanyoといった電気メーカの名前だった。一人は、日本を紹介した映画と007シリーズの作品でも日本のことを知っているという。日本が舞台となった007シリーズは「007は二度死ぬ」である。これが公開されたのは昭和40年代の前半である。結論から言えば、やはり日本は顔の見えない遠い国ということであろうか。彼等は医学生なので、日本での医者の社会的地位のようなことも質問してきた。勿論、私も自分の主観でしか答えられないので、その旨は断りながら話を続けた。日本人の食事については身近なことでありながら答えに窮してしまった。いままで意識していなかったが、日本の食卓にのぼる料理は無国籍とも言えるほど多種多彩なのである。強いて特徴があるとすれば、米を主食にしていることぐらいではないだろうか。いずれにしても、外国の人と日本について話をすると、自分の無知を再認識することになり、少々恥ずかしい思いが残ってしまう。
私の方も彼等にインドについて尋ねてみた。気候、風土、衛生、治安どれを取ってみても、バンガロールがインドで最高であること。これが、彼等の話のエッセンスであった。確かに空気は乾燥していて、木陰などは快適である。街もよく手入れされていて、マドラスよりはるかに歩きやすい。また、町中に緑が多いのも印象的である。しかし、気温は連日30度を超えている。ここがインドで最もしのぎやすい場所だとすると、他はどんな所なのだろう。
これからどこを旅するのか、と聞かれたので、まだ決まっていないが、カルカッタから出国することだけは決まっていると答えた。すると、カルカッタは危険だから気をつけろとのことだ。ベンガル語を話す奴は信用できない、と思いきり顔をしかめたのが印象に残った。そういえば、コロンボで私にまとわりついていたオッサンも同じようなことを言っていた。カルカッタというところはろくでもないところらしい。
彼等とは1時間ほど話をして別れた。LAL BAGHの門の前に、スイカやジュースの屋台が並んでいたので、スイカやジュースで喉を潤した後、LAL BAGHを後にした。
マドラスほどではないが、暑さと埃と排気ガスはバンガロールでも場所によってはかなりひどい。そうした厳しい環境下を、LAL BAGHからシティーマーケットへ歩いていると、たまたま交通事故に遭遇した。前を走っている乗用車を追い越そうとした路線バスが対向車を避けようとして誤って追い越し途中の乗用車に接触してしまったのである。バスはいつものように乗客が溢れんばかりに満員だったので、運転手の視界が十分でなかったのかもしれない。そもそも、交通ルールなど殆ど無いような国なので事故は起こって当然なのだが、事故が起これば、例え珍しくなくても野次馬が集まってくる。事故の当事者である運転手と、目撃者や乗客の一部が集まって話し合いが始まった。そのまま成り行きを見届けようかとも思ったが、暑かったのでその場を後にした。
マーケットに近くなると、さすがのバンガロールもインドの街らしくなってきた。牛とハエが多くなる。人出もすごい。炎天下を歩いてきて、疲労もたまってきたので、食堂に入ってひと休み。冷たいものでも飲もうと思ったが、瓶入りジュースではつまらないし、生ジュースは高かったので、ホットミルクにした。とてもおいしかった。
マーケットから駅へ至る道には金物屋が多い。アルミの食器や水筒、弁当箱が並べられていたり、吊り下げられていたりする。弁当箱は円筒形の重箱型でである。三段くらいのものが多いが五段ほどの大きなものもある。恐らく飯またはチャパティ用に一段、カレー用に一段、ヨーグルト用に一段というように使うのであろう。
金物屋のほかに、果物の屋台も並んでいた。少し腹もへったのでバナナを食べることにした。屋台のニイチャンに1ルピー出したら2本よこした。バナナを頬張りながら、商店の店先を覗いて歩いていると、牛と正面衝突しそうになってしまった。つい、目と目があってしまい、お互いに少々照れて目をそらした。牛はすっかりインドの街角の風景に溶け込んでいた。そのまま歩いてゆくと、ミルクの屋台が出ていた。マドラスからの車中で飲んだ温かいミルクの味を思い出し、1本買って飲んだ。温かくはなかったが、おいしかった。この後、宿の近くの店で砂糖黍ジュースを飲み、長い散歩を終えた。宿の部屋に戻ると、午後3時ちょっと前になっていた。
昼寝をした後、夕食に昨夜行った食堂へ出かけた。今日は、チャパティとダルだけにして、近くのミルクスタンドでミルクを飲み、宿の1階にあるコーヒー屋でコーヒーを飲む。コーヒーの甘さは半端でなかった。あまり甘かったので口直しにスイカでも食べようと、昨夜、屋台が出ていた場所へ行ったが、今夜は誰もいなかった。しかたないので、リンゴを食べようとしたら、1個2ルピーもするので、これも食べず、そのまま宿へ戻った。
ところで、昼間、街角で古タイヤからサンダルを作っている少年を見かけた。インドでは何でも商売になるものだ。