■友人から最近の僕のブログは相手批判が多くて感じが悪い、というようなメールをもらった(コメントではなく)。なるほどと反省することがある。書き手と読み手にはおのずと違いがある。読み手としては面白い内容を期待するが、書き手としては思いのたけをぶちまけてフラストレーションを解消したいという気持ちも確かにある。このところ僕がもっとも重視しているのは日記本来の記録という機能だ。大事な事件がいつ起きてどういう状況だったかを後で思い出すにはブログが役に立つのだが読者としては面白くもないだろう。
2年前に僕が理由なく懲戒請求された時、孤立無援の戦いの中で唯一の支えがこのブログだった。誰にも聞いてもらえないことでもブログの中では自由に言えるし、先の見えないプロセスの中でその時点での証拠を残せるし、記憶をたどって事件の流れを確かめ次の戦略をねることもできる。一歩まちがえれば無理やり犯罪者にされてしまうところを最後までぎりぎり気持ちをつなげて抵抗できたのはこれがあったからだ。以後、僕にとってブログは喧嘩に不可欠のツールとなった。相手を批判すればするほどアクセスは多くなることもわかった。一般の観客は正義正論など求めていない。下品な泥仕合が見たいのだ。
車庫証明の仕事のトラブルも売られた喧嘩を買うつもりで始めたわけではないのだが、敗戦続きでは文句もでるし愚痴もでる。みっともないことこの上ない。あきらめの悪いやつだと思われるのも癪だ、、、、、と、いうわけでアクセス数を犠牲にしても批判めいたと受け取られそうな特定の記事は非公開にすることにした。仮に公開することがあっても極く短期間だけにする。