くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

沈まぬ太陽

2011年02月15日 | Weblog

■TVでは山崎豊子の「沈まぬ太陽」が始まっていた。御巣鷹山のジャンボ機墜落事故の物語だ。NYで危機管理を勉強していたときクラスの課題として航空機事故を選んでいろいろ調べたことがある。その当時、話題になったこの本を知人が持っていたのを借りて一気に読んだ思い出がある。航空機会社経営陣の不正経理に使われたモデルらしいANAホテルはセントラルパーク南通りにあってよく知っていたのでますます興味がわいたものだ。

この話をもしペーパーに使っていたらきっといい点数がもらえただろうと思った。事故原因が会社のマネジメントに起因しその解決に日本独特の労働組合とその活動員がかかわることによって成果をだすという筋書きはアメリカ社会からみると極めてユニークに思えるからだ。そのためには企業内組合という日本独自の制度を説明しなければならない。われわれ学園紛争に関わった世代にとって、学生運動とその後の企業内労働紛争は密接に関わって人生の暗い記憶として残っている。

主人公の恩地は第一組合の活動家だったのでアフリカ駐在に飛ばされる。「恩地」という名を著者は世渡りのオンチという意味でつけたんじゃあないだろうか?同志の副委員長だった行天は転向し経営陣の顔をうかがい組合をスパイしながら不正に関与していく。

セキュリティーと遺族補償のため地に落ちた会社の信用の復権を図るべく新社長がとった対策は企業経営陣から隔離されていた恩地を呼び戻し、中央で安全対策と組織内部の不正解明に当たらせたことだ。その成果が出揃う前に政治的圧力がかかって新社長は辞任する。

瀬島龍三らしきフィクサーが新社長に登用しておきながら中途で辞めさせるのだ。瀬島は山崎の著作「不毛地帯」の土岐として登場するが、いかにもありそうな話になっている。そして、不正に関わった役員が失脚すると、まもなく恩地は行天により再びアフリカに飛ばされてしまうというストーリーだ。

一緒に見ていた博幸は出版社の20年にわたる労働争議に関わってきた。僕も労組には苦い記憶が付きまとう。僕が会社を辞めた本当の理由は同盟系労組の反共宣伝に利用干渉されることに嫌気をさしたからだと言ってもよかった。労使双方が押す組合長の議員選挙に非協力だとかで組合のなかでは妙な中傷や圧力をいつも感じていたいやな時期だった。


当時僕の直接の上司Kは昔この第二組合の中で赤狩りの特攻隊長だった。僕と彼とは不仲で、彼の言うことを聞かなくなった僕が共産党員だといううわさを社内に流したのは彼だと思っていた。僕は社長の息子と懇意で、設計部の中でもかなり期待されていたようで部長、課長、さらに当時資材部長だった現社長からも辞めるときにはどうして辞めるのだと残念がられたが、司法試験受験を理由に飛び出したのだ。

退社後受験勉強中に当時中央労働審議会委員長の東大法学部の石川教授の労働法を聞いたことがある。東大法学部の卒業生は企業に入社した時に社長から「君は将来、わが社の社長を務めてもらわなければいけないので、まず次の労組組合委員長選挙に立候補してくれ」と言われるが君たち東大生の諸君はこの話を信じることができるか?という語り口ではじまった。

日本独自の春闘というやりかた。太田薫のこと、第二組合のこと、、、、、会社の御用組合の妙な雰囲気を経験している僕にとって目から鱗の数々。はじめて会社とはこんなところだ、社会はこういうものだ、ということを教えてもらった。こんなことを学生に教えているのでは誰も東大卒にかなわないのは当然だろう、と思ったものだ。

当時、コンピュータ会社に勤めていた友人Sが職場のなかで環境改善を求める動きがあるという話を聞いて彼に組合を作るアドバイスをしたことがある。案の定、彼はすぐに管理職に昇進し、取締役として定年を迎えることになった。、、、、、そんなことなどいろんなことをしばし思い起こしてしまった。

コメント
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