くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

ケータイを持ったサル

2010年12月29日 | Weblog

■猿の研究者の書いた日本人論。ひきこもりとパラサイトシングルの若者がこれからどうやって少子化社会を生きていくべきかというテーマ。

今年ももう年賀状を書くとおしまいのような気分なのでふらっと立ち寄った渕町のブックオフで目に留まったので立ち読みした。アプローチのしかたが興味深かった。
サルの社会に家族という概念はないそうだ。つまり社会と家庭というような区別がない。

人間は安心していられる家庭から外の社会に出ることによって能力を獲得し仕事ををする。ところがいまどきの若者は社会に出たがらない。これは社会化してないサルと同じだ。

子の保育は雌のやくめで、雄は生殖行為が終われば不要となり、さっさと死ぬのが動物界の定めだが、人間は異常に長寿を全うするようになった。教育期間が長くなり、出産年齢が高齢化している。昔の女性の出産年齢は15歳ぐらいがいまや30歳になろうとしている。そうすると子供の思春期に母親がいい関係を保てなくなると言うのだ。

引きこもりやパラサイトシングルと電車内で平気で化粧ができる子は同類で、前者は社会に出て行けないことを自覚しているだけましで、後者は外の社会まで家庭内の自分の行動が広がっている自覚がないだけだ。いずれも社会化できない子供が増えているのだ。そしてその大きな要因として、女性の社会進出が遅れ、「専業主婦」の子離れができない妻と居場所のない夫が出てきたことにあるという。

動物の生存のための相手を判断する能力は40歳を過ぎると極端に低下するそうで、特に社会経験の少ない母親は能力低下が著しい。そこで専業主婦のマザコンが社会化できない子供を作っている、、、、という見解は女性差別のそしりを受けるかもしれない。しかし、そのようなそしりを受けるならば、それが女性差別が現存する証だともいえるということで、このような社会は女性差別があったからそうなのだという著者の立場を逆に正当化する。結論的には僕の認識にも近いので興味深く読めた。

著者の結論的提言は男女参画社会のなかで若者に保育経験を積ませることが少子化対策に繋がる、、、みたいな。しかし、サルの研究者のアプローチとしてケータイで個別のコミュニケーションしかできない日本の若者たちは進化を逆進してサルの社会にもどってしまったという見方は面白い。

僕は社会化できない日本人、というより全てにおいて「自立」不要の過保護文化が日本人社会だと思っている。しかし、外の社会では自立が必要とされるので自立ということを学ばなくてはならない。日本では自立は孤独とほとんど同義。リタイヤーした高齢者が余生を外国の異文化のなかで生きることが「孤独」を乗り越え新たな「自立」をまなぶベストな方法、、、というのが僕の数十年来の確信でもあり目標でもある。

コメント
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