20歳の誕生日に 向けて ー「若い人達を、抑えつけないでほしい。 がんばろう!日本 はもう要らないよ。」

2015年07月06日 | 社会

先週の金曜日に末の娘がタイ、ラオス、カンボジア、そしてネパール
の旅から約10週間ぶりに、元気な姿で戻ってきました。





旅の最後の4週間はタイでの予定を中止し、昨年の秋に初めて訪ねた
ネパールのカトマンズに戻り、震災後の復旧活動に外国人ボランティア
として参加することになりました。東南アジアの旅先から、
「予定を変えてネパールに行こうと思う。」という連絡を受けた時には、
多少心配しましたが、ドイツに戻ってきた娘の話を聞いていると、
本当に良い経験だったようです。
娘が参加したのは震災で家を失った現地の方々に、仮住まいの住居を作る
プロジェクトでした。壁の骨材となる竹を組んだり、土壁を塗ったり、
トタン屋根を拭いたり、ボランティアチームの一員として初めての大工
仕事に毎日励んでいたようです。



今日は20歳の誕生日を迎えました。
下の写真、子供の時から食べ続けてきた朝食のミュースリーも、
今は自分でその時々のフルーツやナッツを刻み込んで、器用に
作っています。その向こうには妻が用意しておいた誕生日の
プレゼントが置かれています。 



子供が大人になる過程においては、生まれた時代の価値規範や、
その国の伝統・文化的背景、社会の枠組み、学校の教育の仕組み、
家族との関係性、両親の経済力など、実に様々な要素が絡み合い、
一人の人格を形成していくのだと思います。
そのパターンはまさに千差万別で、偶然の運と不運が大きく左右する
ことです。30年余り前、僕にとっては20歳の生はあまりに重たく、
誰とも祝うことなく、辛いことが多かった人生の時期でした。

娘の場合には人生の幸運もあると思いますが、生の重みや社会的拘束
には拘りなく、自分の「今」を生きていることは、実に素晴らしいこと
です。娘が、「生きることが楽しいこと」をしっかり身につけて、それを
自然体として、毎日を暮らしていることにはつくづく感心します。



このように考える時、娘がお腹にいる時からの妻の毎日、毎日の
優しさの力、そして、それを妻に与えた義理の母の存在、実に
大きかったことと思います。



妻も義理の母もおおらかで人に優しく、学校の成績や世の中の順位には
全く無頓着で、娘を叱ることも殆ど見たことはない、そういうことが
娘の今の在り方に大きく関わっているのだと思います。

今日の晩ご飯の際、自然に出たこれからの人生への花向けの言葉は、
「20才おめでとう!」、
「これまでの20年間に乾杯!そして、これからの良き20年に向けて乾杯!」
でした。 




どの父親にとっても娘の20歳の誕生日は、感慨深いものだと思う。
そして一つのことだけでなく、様々なことに思いが及んで行く日だろう。

その中で今日、この文章を書きながら、頭の片隅で思い起こしていたのは、
「若い人達を、抑えつけないでほしい。」と「がんばろう!日本 はもう要らないよ」
の二つのフレーズだ。それぞれ、2010年10月末と2011年7月末に記したことに
つながっている。下記にその時の文章をもう一度、書き留めておきたいと思う。


2010年10月28日 「若い人達を、抑えつけないでほしい。」



(中略)
若者よ、大志を抱け」などと大声を上げる気はさらさらない。
また、外国に出ること、そこに住み着き働くことが特別に良いこととも
思わない。けれども、受験競争で若者の視野を狭め、一斉就職や「就活」
で心理的抑圧を与えるような社会。若い人生には無数の選択肢があり、
沢山の時間と大きな広野が目の前に広がっている、という当たり前の
ことを当たり前と感じなくなるような環境。それが今の日本だろう。

その中で、若者達が知らず知らず身を小さくして、精神の背丈を縮めている。
特に若い男の子達にそれが著しいのではないだろうか。
実に残念なことである。21世紀は閉鎖系でなく、明らかに開放系の時代だ。
日本は、毎日の生活の中では社会の技術や消費の移り変わりが凄まじいが、
その表面下では、硬直性が著しい。

子供達を、若者達を抑えつけないでほしい。生きていること自体に
価値があるのだから。すくすく伸ばしてほしい。
自分の好きなことや大切なことを見つけるのにはたっぷりの時間がかかる。

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2011年7月31日 「がんばろう!日本」はもう要らないよ。 ー19歳の未来のために




慶良間諸島、座間味島の小さな港。
昼下がりの船着場に一人で座っている。
シーカヤックで30分も漕げば、目の前の無人島に着くだろう。
真夏の明るい海、エメラルドグリーンの海。
Tシャツもバミューダも脱いで潮風に吹かれている。
波音の歌を聞いている。今のただひと時。
壊れた国のこともその歴史も今は忘れていたい。

那覇から約2時間。座間味島の小さな港。
夏雲の浮かぶ、青い大きな空。入港してきた
「フェリーざまみ」の真っ白な船体と見事なコントラストだ。
船腹にはしっかりした力強い書体で、「がんばろう!日本」と
大書きされている。
何をがんばるんだろう? 一体、それは何を意味するのだろう?
この国には震災の前にも、未曾有の原発事故の後にも、
空疎な言葉や掛け声が飛びかっている。

「がんばろう、日本」「オールJAPANの力で!」
そんなものには、なんの意味もない。

日々の生活の中で、子供達の生命を大切に、大切にしよう。
若者達が生き生きと、伸び伸びとした社会。
仕事ばかりにならず、毎日の暮らしがゆったりと。
一人ひとりが良く生きれるように。

7月初めから実習中の長男を訪ねてやって来た、この座間味の島。
66年前。沖縄決戦の前哨地として日米の支配層の政治的意図、国権の
犠牲となり、「鬼畜米英、女子供は全て凌辱される」ことを信じさせられ、
軍部の情宣イデオロギー教育の下、集団自殺を強いられた人々の島。

 
戦中、戦後、そして今日まで、一体、幾つのこのような言葉が使われてきたのだろう。

「国体護持」「大東亜共和圏」
「欲しがりません、勝つまでは。」
「ジャパン アズ ナンバーワン!」
「未来を運ぶ原子力、クリーンなエネルギー」
「がんばろう!日本」
「省エネでも電力不足。脱原発不可」




(敦賀半島、もんじゅと美浜原発を目の前にした水晶浜、ダイヤモンドビーチ。
原発事故の後でも此処で子供達と海水浴をする家族連れや若者達。)

村を街を壊し、車と家電に囲まれて、墓場の隣にマンションを建て、
田圃を潰して、郊外大型店やネオンのお化けをつくり、
何百年の砂浜を潰して、過疎地に原発をつくり、
その前で夏の海水浴をして平然としている国民や、それを子供達の
夏の思い出として何も訝らない親や、若者達を生み出して来た国。
こんな奇怪な、歪んだ社会はもう要らない。

日本とドイツの両親、文化の間に生まれた長男には父親の国、日本の風土や歴史、
暮らしの文化、人々の優しさを知ってほしいと思う。
けれども、この社会に住んでほしいとはどうしても思えない。
人は何かの能率や成果の為、国の経済的発展やモノの為に生きている訳ではない。

日本に来て約一年、長男の浩太は北海道の自然農場と慶良間の海、日本の自然と
その中で生きる人々に囲まれて、良く成長したと思う。
18から19歳の貴重な時をこのように過ごせたことは、本当に有難いことだと思う。

これからも若い時を、生命の溢れる時を、今を伸び伸びと十分に生きてほしいと思う。
そして、人との交わりの大切さを知り、その中に自分を、自分のやっていきたいことを
見出してほしいと思う。



座間味の港で、約2ヶ月ぶりに会った長男、海焼けして逞しくなっていた。
若者の生命は将来のためだけではなく、「今」を生きるためにあるのだ
とつくづく思う。











 


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