『民主主義の基本とはー 四年に一回のドイツの総選挙』

2017年08月21日 | 社会

9月23日、四年に一回のドイツ連邦議会総選挙まで、後約一ヶ月。
街を歩いても、新聞を読んでも、選挙戦真っ只中、いよいよラスト
スパートという感じ。

さて夕食の後、テレビをつけると、『アンゲラ・メルケル首相と
一つのテーブルに!』
という、民放の特別番組が目に飛び込んで来た。
ドイツの市民、まさに老若男女が、直にメルケル首相に次々に
鋭い質問を投げかける。

難民問題、年金問題、低所得層への不均等な課税、ドイツ産業史最大の
スキャンダルに発展しかねないディーゼルエンジンの偽装問題、
トルコの言論抑圧、エドガンの独裁、両国間の対立、トルコ制裁の可能性、
或いはトランプ政権に対しての評価など、次々に事前の準備原稿も
シナリオもなしで、厳しい具体的な質問が投げかけられ、メルケル首相が、
その一人一人の質問者に面と向かい合って、二人の対話形式で答えていく。

まさにフェイス・ツー・フェイスで、そこにはルックアップもルックダウン
もない。首相の答えも全て、自分の言葉、その場の即興である。それでも、
しっかりしたデータ、知識に基づいた分析、全体の主張にもロジックの
乱れがない。

ドイツと日本では、民主主義の基盤が全く違う。そして、国を率いていく
政治家の質、教養、知的レベル、人格、個人としての独立性など、どの面
を見ても比較にもならない。

日本の政治家の質の悪さ、人格の低さは日本の社会的悲劇、そのシステム
の致命的な欠陥だと常々思うが、今日は、それを改めて思わざるを得ない。
暗澹たる思い。

安倍政権の幼児性、低能性、官僚への依存性、メディアとの癒着、そして、
それらを生み出し、支える、日本社会全体に蔓延した上下思考と自らより
高い権力への追従性、個人の独立の脆弱さなどが、今日の晩はどうしても
頭を離れない。

 

 

 



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