「重なり始める二つの時間 ードイツから日本、京都へ 」

2016年05月22日 | 随想

御所の朝。日本に戻って二日目。時差で朝5時前に目が覚めてしまう。



もう数時間経つのだろうか、松の巨木や青モミジの中を
縫うように歩きつつ、昨日からの日誌を書き続けている。





朝の光が照り輝いている。北山を遠望し、東山に目を移せば、
遠く長い時間と、今の僕の時間が重なり合うようだ。

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2016年5月22日

出発の前の日も、ドイツから日本への飛行機の中でもほぼ徹夜状態
だったので、今日は一日中何をしていてもボーッと、ポーッと
している。


そう言えば、子供の頃に、家でも学校でもいつもボーッとしている
子だねとよく言われていたことを唐突に思い出す。

三条の友達にお土産を届けても、自分が何を話しているのか、
何を話したのかもよく分からない、、、三つ子の魂百までも、、、。

そうやってひとりでフラフラしつつ、ニトリというホームセンターの
ような大きな家具センターのようなところに、生まれて初めて足を
運ぶ。



右も左も分からず、見るもの聞くもの知っているようで、よく知らない
ものばかりだ。



表面の美観ばかりで、無垢な素材の良さを忘れたありとあらゆる
工業製品に身の周りを囲まれて、どこまでが日本で、どこまでが
洋風、西洋の物真似なのか、もうさっぱり分からない。



そのようなものを日常の当たり前としている人達に囲まれて、
僕はやっぱり、自国でも他国でも異邦人として生きていると
つくづく思う。

何年か前から、いつかは日本に住むような時が来るのだろうか、
と思っていた。





あれは去年の冬、晩秋から冬への大原、冷たい透き通った空気の中、
残りの柿を、枝から落ちることを忘れたその紅い実のひとつひとつを
眺めながら、半日近く、夜の闇が降りるまで一人で歩いていた。

その次の日だったのだろうか、「あぁ、もうこの土地をひとりで歩く
のは止しにしよう。この京都の街に暮らしてみよう。」
何年か前からぼんやりしていたことが突然はっきりした瞬間だった。

この春、俄かにそのことが進み始めている。
約35年前、若い時の自分は、日本を、今から思えばそれはむしろ
東京の生活や社会環境のことだったのだろうが、そこから離れよう、
此処では自分の人生を送りたくないとはっきり思っていた。
それは今も変わらない。
変わったのは日本に関する自分の知識や経験だろう。





僕の生まれ育った国は稀なる美しい国で、その多くは壊され、
その社会の閉塞性は35年前よりもさらに一段と深まっている。
家具の買い方ひとつも分からず、押入れや布団の大きさにも
疎い自分が、今、京都吉田山の近くに住まいを構え始めよう
としている。




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今年の4月13日に記した随想、
「ドイツ春と日本の春 ー 二つの椅子、二つの桜」
から約一月経って記した文章です。

 


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