「日本の美の精神、表現を支えていたもの」

2017年11月02日 | 随想

人生の秋の庭仕事に憶うこと。

かって、日本の普通の暮らしの中に根付いていた、
誰の身の回りにもあった春夏秋冬、各々の四季の風景。
桜、銀杏、楓、柿。
濃緑、浅黄、黄色、緑、赤、朱、紅、、、。

昔、日本ではそんな暮らしの中で花や草を見て、月夜を仰ぎ、
風の音を、雨の音を聞き、暗い闇の中、焚火や釜戸の火に手をかざし、
或いは朝陽の中に光を見て、そうした何千、何万の時間の中で、
五感の記憶、印象、憶い出を幾重にも積み重ねていたのだろう。

そのようにして紡ぎ出された感覚は自ずと工人達の眼と手に伝わり、
何世代にも渡り、彼らの美の源流となっていたのだろう。

そのような日本の美の精神は、自分達の身に纏うものや、手にする
器や道具、飾物、そして口にするものにも、その調えにも反映し、
その表現を見出してきた。

その美の形式、形象は具体的でかつ抽象性に富み、その両者を自在に
行き交いするかのようにして、ありとあらゆる表現を見出して来た。
その表現、造形の完成度は極めて高く、稀有なものだったと思う。

今日の夕餉の席には、庭で見つけた秋の八葉を散らそう。

かっての暮らしの美、その形骸だけが残された僕達のこの表相の世界で、
僕の稚拙な眼と手は、自分達の中に微かに残された一縷の糸を手繰るよう。

 


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