朝のプールで ー 答えのない考え

2016年06月09日 | 随想

平日の朝、仕事場には顔を出さず、まず近くのサッカー場に走りに行く。



その後、村のプールに行くと近くの小学校の子供達の水泳の時間が
終わったばかりで、更衣室も、水泳場も人っ子一人いないような様子。
見渡せば、赤ちゃんを連れたお母さんが一組、二組、水泳を日課と
しているような年金受給者の70歳前後の男性が一人、二人、午前中の
光の中で、僕の目に映り始める。



僕の住むこの村は、ドイツの何処にでもよくあるような、都市生活者と
それなりの大規模農業従事者の混じり合った(耕地面積50〜100ha)、
保守的な、日本から見るとまるで田園都市のような、やや退屈な
落ち着いた生活圏だ。
多分、その住民達は生まれながらのドイツ人が多く、外国人や移民の
割合は比較的少ない。

現代の基準、僕達が習い教わった人生や社会を図る物差しからすると、
今、この国は地球上で最も豊かな国の一つなのだと思う。社会全体の
均衡もそれなりに取れている。



どんな社会も、ひとの人生の意味に答えることは出来ないだろう。

けれども、その問いかけが、
生きること自体の苦や、因襲的な差別、社会的な抑圧、既存の
価値構造の縛り付けから出発せざるを得ないか否かは、大きな違い
だと思う。

現代日本の問題は、生き辛さの一つはここにあるのだと思う。


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