「ドイツの新幹線ICEの中で - 誰もいない空間」

2017年02月14日 | 随想

南独に向かうドイツの新幹線ICE の食堂車の中。
昔から仕事が忙しくなると、この移動の合間時間に食堂車でボンヤリとし、
ようやく自分を取り戻すようなことがある。

四人掛けのテーブルに一人で座り、目を上げれば紙の上の料理以外には
何もない、誰もいない空間。
明日からニュルンベルクのオーガニックフェアで二日間の仕事、
そのまま家にも帰らず、日本への短期出張。何で僕はまたこういうことを
するのだろう?

「あぁ、今日のお昼にはまだ家にいたのに、子供達と食卓に
ついていたのに…。」

50年以上も前に亡き母が着ていた、センスに富んだ、
品の良い黄色と黒のストライプのセーター、僕が持っている数少ない
形見の一つを、娘がいつからか着るようになった。
その姿を数年前に初めて見たときは、僕は心の中で号泣して
しまったように思う。
今回は自分が勉強しているウイーンの街に持ち帰るという。
「あぁ、それが良いね」と言いつつ、普段の生活の中で、大切に、
大切に着てほしいと思う。娘もそんな気持ちが分かったようだ。
「パパが作るタラコスパゲッティ、本当に美味しいね。昔の通りだね。」

僕はまた、心の中で二粒、三粒、また涙を流してしまった。
人は歳をとると涙もろくなると言う。
34歳の亡き母はそのずっとずっと前に逝ってしまった。彼女の涙の
いきさつも行方も、その哀しみも遠い昔、僕はかって知ることもなく、
今では何もたどり得ないこと。

東京、九段坂下の病院の廊下。
暗闇以外には何もない、誰もいない空間。
その果てに響いて止むことのなかった母の叫び声。癌の末期の痛みに
耐え切れなかったのか、誤った結婚への悲痛、人生への悔悟の慟哭
だったのか、ぼくはもはや其れを知ることはない。
それでも僕の耳は一生其れを忘れない。


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