「クリスマスの後の一日、美術館にて」

2016年12月28日 | ドイツの暮らし

クリスマスの後、久し振りにデユッセルドルフの街に出て、美術館に
足を運びました。
西洋の絵画史を中世から今日まで、「カーテンの背後、隠蔽と
露出の間で」をテーマとして振り返る特別展示会でした。

僕はこの美術館の中央の吹抜け、天井まで一気に立ち上がる
大胆な空間構成がとても素敵だと思いました。

そして、人生を一芸にかけた様々な画家達が何百年に渡って遺した作品を
見ながら、そこに現れた人間の達成の素晴らしさと同時に、
全ての生の儚さを、まさにその両方を目の前にした気持ちです。

この世の儚さと素晴らしさをもっと大切にしよう。
一回限りの人生なのだから。
今日の午後は、一人で村のプールに行っていた時から家族と美術館の中に
いる時まで、ずっとそんなことをはっきりと感じ取れる貴重な時間でした。

それで、こんなこともあらためてメモしておきました。

毎日、人生の旅に出るように生きよう。

毎日が心平らかに充足していること。その日一日の時間に満足して
いること。その日にしたことが自分の心にそったことであること。
そして、好きなことを、自分の心に大切なことを続けていくこと。
何かを達成できるかは実に相対的なこと、その目的も、内容も、
質的レベルも、歴史の無常の中で全て相対的なこと。


「クリスマスの日曜日、外はとても静か」

2016年12月26日 | ドイツの暮らし

今日はクリスマスの日曜日、外はとても静か。
しーんとしている。家の中では、昔からのドイツのクリスマスの歌が
静かに流れている。

この二日間、いろいろなことが頭を巡る。家族のこと、自分のこと、
日本のこと、友達のこと、これからのこと、、、

クリスマスの樅の木。今年も友人のオーガニック農園から23日に
運ばれて来て、昨日、飾り付けをした。これから新年まで2週間くらい
は居間に鎮座している。それは常に家族が集まるところでもある。

東西の文化の表現の違いはあれど、日本で昔、お正月を祝ったことと、
人の心はほぼ同じだろう。

日本ではなんで、自分たちになんの関係も歴史もないクリスマスを
あんな風に不思議な形で祝うのだろうか?

今、日本ではコンビニでおせちを注文し、元旦からデパートや商店が
店を開けているという。

もう、何十年も日本の正月を経験したことがないけれど、
それが本当だとしたら、僕が子供の頃のあの日本の正月は、
何もかもが静かで、子供心にも何か身が引き締まるような、
清い気持ちの元旦の朝はどこに行ってしまったのだろうか? 

 

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(補足)

クリスマスの2・3日前に、友人の農園から樅の木が運ばれてきます。 
長男より3学年くらい下で、同じ学校に通っていた友人の三男も
すっかり大きくなり、高校を卒業した。
年末の忙しい中、家業を手伝って樅の木の配達係をしている。
赤ん坊や幼稚園頃から知っている近所の子供達が皆、このように
しっかりした若者になってきている。 

 


『今日はクリスマスイブ − ケストナーの「飛ぶ教室」と家族の風景』

2016年12月25日 | ドイツの暮らし

昨日のクリスマスイブ、僕達の小さな家族の風景。

ドイツの戦前の文筆家、ワイマール時代の社会世相を辛辣に突き刺す
風刺に始まり、ベルリンの頽廃的黄金時代の雰囲気を軽やかに
映し出す粋なシャンソンも何本も作詞したエーリッヒ・ケストナー。
社会への厳しい眼と人情味兼ね備え、ヒューマニスティックかつ
アイロニカルな精神に自ら潰れそうになっていた骨の芯からの
文学者だったエーリッヒ・ケストナー。彼だからこそ、
書くことの出来たドイツ児童文学の傑作、『飛ぶ教室」、日本でも
子供の頃の愛読書の一つだった方も少なくないかと思います。

戦前のドイツのギムナジウム、旧制高校の寄宿舎生活の生き生きした
描写と共に、昔からクリスマスの行事がどれほどドイツの人達に
大切なものだったのか、家族のつながりの結節点だったのかが
切々と伝わってきます。その精神の底流は、それから世界史上の
大きな戦争を幾つか経てもう80年以上も経った今も変わらず、
現代ドイツ人の暮らしの中に根付いているように思います。

さて、2016年12月24日の晩。

僕達夫婦の、ふだんは外で勉強している三人のすっかり大人ぽくなった、
独り立ちしてきた子供達も年末年始ということで実家に戻り、
来年2月には90歳を祝う皆の「オーマ」も今日は認知症もどこ吹く風、
元気溌剌、それはそれは愉しい、幸せな家族一同揃っての晩となりました。

一方でこんな時、僕はドイツでの生活がもう35年になろうとしているのに、
心の中はやっぱり家族の中で一人、ドイツの外で生まれ育った
外国人かなとも多少思います。

そんな背景もあるのか、もともと鈍感なのか、あるいはその両方なのか、
ともかく幼少期、思春期を母子家庭の長女として寂しく過ごすことも
あった妻が、自ら母親となって準備する家族のクリスマスに秘めた
深い想いが、どうしても肌感覚でしっかり感じ取れず、互いにバタバタ
したり、すれ違ったりして、各々哀しい思いをすることも少しあります。

それでも、今日はクリスマスイブ、妻が腕をふるった特別な夕食。

家族の宴たけなわ。僕達としては珍しいしっかりと伝統的なドイツの
ご馳走を楽しんだ後は、家族の贈り物の時間。

長男からは2015年、16年の二人の日本旅行、自転車の旅の
自作写真アルバム、次男からは日本の映画のDVD二本、
末娘からはビーガンの料理本とエスプレッソマシーン、
妻からは上質のセーター、義母からはベジタリアンの分厚い本格的な料理本、
そして其々に心のこもった手紙が付いていました。
父子家庭で育ち、その父親を一度も尊敬することなく、家に居ないこと
を常に福としていた自分には
「父さん、大好き.いつも有難う。いろんな時に自分の手本だよ!」
などと書かれると、心の中は涙ボロボロとなるのです。
子供達三人がここまで真っ直ぐに育ったのは本当に妻の広く
優しい心根のおかげだなあとつくづく有り難く思う瞬間です。

僕は日本の私小説はあまり好きではありませんが、今日はクリスマス、
ケストナーさんの『飛ぶ教室」を思い出しつつ、倖せなことは倖せとして、
自分のためにも、家族のためにも、こんな気持ちをしっかり
書き留めておこうと思いました。

ちょっと照れ臭い文章となりました。でも、ドイツ、そして多分、
ヨーロッパの他の国々でもクリスマスは本当に家族の幸せを祈るお祝いで、
サンタクロースや忘年会のメリークリスマスの帽子や、
苺のショートケーキとは全く関係のない大切なことなんだということも、
日本の友人や知人に少しでも伝えたいと思ったのでした。

 


「ママラインの誕生日 - 家族でケルンに遠出」

2016年11月06日 | ドイツの暮らし

秋深まるドイツ、今日は家族の中心、ママラインの誕生日、普段は足
運ばないケルンに遠出しました。

「ケルン大聖堂、リヒターさんのステンドグラス」
本当に見応えがあります。

 

さて娘と妻と三人でケルンで開催されているビーガンのメッセを覗いた後は、
息子達二人も加わって家族全員で大聖堂近くの昔々からの古いビール
酒場で珍しくドイツの郷土料理を楽しみました。



その後、全員でケルン放送交響楽団のコンサートに行きました。 



曲目はオルフェウスの神話。

黄泉の国から再び現世に自らの最愛の人を取り戻すのに、その道中一度
でも振り向いてはいけないという話。
今の時代からすれば本当に昔々の
純愛物語かもしれません。
とは言え、何十年と暮らした夫婦でも、日常、
互いを見つめ合うことや
手を握り合って散歩に出かけるようなことがあ
る方がいいですね。

互いに人生一度限りなのですから。

 

 


一足先に来た秋 - ドイツから日本につながる思い

2016年11月03日 | ドイツの暮らし

今から8年ほど前、今の自宅を購入し全面改修を計画している際に
「この土地で、これからもずっと歳をとって生きていくならば、
ここをひとつの終の住処とも思い、子供達三人にも日本の住まい
の文化を伝えたい、残していきたいなあ」と思いました。 

それで、東京、京都と日本の木造、伝統建築を中心とした建築事務所を
2年ほどかけて探しましたが、皆、西欧由来の現代建築に軸足があり、
自分の感覚にはどうしてもしっくりきませんでした。
その中で最後の最後、ようやく出会ったのが京都の四条河原町を少し
下がったところにあった「アトリエ Ryo」という建築事務所でした。
所長の木下さんとスタッフの近さんにはその後大変お世話になりました。 

室内の地下の和室の空間だけでなく、掘り下げた内庭とも
ひと連なりの連続的な空間として基本設計を頼みました。

それから約8年たった今年の秋、その内庭もだいぶ落ち着いた
感じとなりました。

当時、近さんには京都、滋賀高島から大工さんと左官さんを
引き連れて、改修の仕上げに3週間ほど来てもらいました。

今考えても僕の人生ではまさに一世一代の大仕事だったなあと思います。
その後、今年になって思いもかけず、京都の吉田山の近くに小さな
住まいを求めることとなり 、今はひとりで独立した近さんに
もう一度お願いできることとなりました。

今回の方が、前回よりもさらに大きな仕事かもしれません。
僕自身も経済的にもギリギリのところで、乗るか反るかの
大変な作業となっています。

それでも、家族一同、自分の判断と近さんの技量、人柄を信頼し、
なんとか日本、京都に初めての住まいを築こうとしています。
真如堂の三重塔が見える落ち着いた場所です。 

そんないろいろな気持ちが、今年の秋はドイツの庭にいても
頭を巡ります。 


ドイツの秋 - 「みんな違って、みんないい」

2016年10月15日 | ドイツの暮らし

雨上がりの土曜日の午後。
ドイツの秋の風物詩、形も色も大きさも様々のカボチャ達。

「みんな違って、みんないい」

日本の社会の古い拘束、因習、不条理の中で、ひっそりと独り詩文を綴り
続け、その中にしか自らの魂の居所を見出せず、三歳の愛娘を残して夭折、
自死した若き女性詩人の言葉。

「みんな違って、みんないい」

この自然界
の摂理が、いつか社会の、毎日の生活の当たり前になるように、
僕は日々
の暮らしを送りたい。
日本の社会はもう長らく、その正反対の道を進んでいるとつくづく思う。
そして、
それは今の政治の狂気をもたらしている、一つの大きな歴史的
病巣でもある。


ゲストハウス「樫の木」から、日本の若い人達へ

2016年10月04日 | ドイツの暮らし

数年前から、ドイツの自宅で小さなゲストハウスをしています。
「樫の木」という名称です。

日本からいろいろな若い人がやってきます。ドイツでの1年間のワー
キングホリデーや長期滞在のスタートで2、3ヶ月居る人達が殆どです。
今回は京都から二人の若い娘さんがやってきました。



ここはドイツ中部の小さな村で、周りはジャガイモ、ニンジン、トウ
モロコシ、カボチャ、キャベツ、菜の花、ヒマワリなどの畑が一面に
広がっています。しっかりしたオーガニック農園も有り、僕達の日常の
拠り所ともなっています。





戦後ドイツ70年間、1970年代後半からのオルタナティブやオーガニック、
市民の運動が作り出したてきた今のドイツ、その暮らしの良いところに
直に触れて、若い人の感覚で、日本の生活に持ち帰ってもらえたらと思います。
僕達もゲストハウス「樫の木」を続けていく意味や楽しみが少し見えてきました。
そんな気持ちが少し響いた文章です。 

………………………………………………

あいちゃんさんへ

ヨーロッパの旅、中距離ちょっと駆け足旅行、ドイツ、ビュットゲンの
滞在も楽しかったようで何よりです。旅はいいですね。新しいものに出
会い、珍しいものに触れると、自分が本当は何が好きなのか、それを感
じ取ることもできる時間だと思います。旅から戻ってその感覚を毎日の
日常の中で伸ばしていけると、それは素敵なことですね!ドイツは秋、
真っ只中になって来ましたよ。大人の頭の二倍も三倍もというよりは、
関取のお腹のようなオレンジ色のカボチャが畑にごろごろして、八百屋
の店頭や街中のあちこちに、顔を覗かせ始めました。



姉貴分⁉︎のさっちゃんも元気にしていますよ。
こんな感じ(下の写真)です。
ではまた近いうちに!
秋から冬に向かう頃、京都に戻ります。楽しみにしています。ご自愛下さい。


 









 

 


ドイツで30年ぶりにクライミング再開 -老若男女、家族皆でボルダリング

2016年08月27日 | ドイツの暮らし

日本から戻ってきて約2週間、ほぼ毎日水泳やジョキングに行って
体調も体力もだいぶ戻ってきました。 

今年の春、30余年振りにまた始めたクライミング、
息子や長男、次男、末娘だけでなく、その彼女や友人達を巻き込んで、
わいわい一緒に汗を流すボルダリング。

本当に楽しいなぁー!

今や毎日の運動でも、もう一度、垂直壁やハングを登りきる体力、
筋肉をつけようとジョギングや水泳の際の励みにもなってきた。

今日は次男の親友と長男の彼女も加わって、計5人で夜の9時から、
各々の身体能力、壁に立ち向かう自分の筋力を計りに乗せるような
『モンキータイム』人生30年の差があっても、壁の前では皆同じ。
年の差は関係なし!

勝負は『ムーブメント」!

互いに腕や脚の使い方、重心の移動、バランス感覚を教え合いながら、
沢山笑って、丁シャツビッショリになるまで汗かいた。
あぁー、愉しい一晩だった。

その後皆で行った、息子達が小さい頃から大好きなギリシャ料理屋、
みんなよく食べた。

僕の財布はまたまた軽くなった。でも今年の初めよりは僕の体も少し軽くなった。

6月29日の文章「自分の力で登ること!」も合わせて読んでみてください。
 

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6月17日と19日にもボルダリングに行きました。
ドイツでのボルダリングは、とてものびのびとした感じです。
その雰囲気が写真からも伝わると思います。
よければご覧下さい。 

【6月17日】

今日は、企業実習から週末帰ってきている次男と二人で
夜の10時過ぎから、ボルダリングに行きました。



20年近く忘れていた遊びですが、今年こそもう一度再スタートと思って、
今日で4回目。
実に愉しいです。一回一回、登れるところも増えてきました。
歳だけで言えば、いつも僕が圧倒的に最年長。でも、あまり関係
ありませんね。
下手でも何でも、登ることが楽しい。今日もまた少しうまくなった。
また新たに、ほんの少しでも体が動き始めた

 

【6月19日】

次男と二人で、一昨日に続いて週末のインドアクライミング。

今年の夏、京都でも一度長男とボルダリングのスタジオに行きました。
狭くて、登るルートや規則が事細かに決められていて、
その上、若い人たちだけでグループをつくり、
仲間内だけの会話が飛び交っていました。
ボルダリングの醍醐味でもあるオープンで自由な精神があまり
感じられず、まるで今の日本の閉鎖的な社会の縮図を垣間見るようで
だいぶがっかりしました。 

ドイツの僕の家の近くのクライミングスタジオは、
ほぼその正反対のように感じられます。
いろいろな面で、開放的でのびのびとした感じです。 
こういうところはドイツの方がずっと素敵だなあとつくづく思います。 

小さな娘さんとお母さんの二人組。

体育館のような広さのクライミングスタジオ



今日は日曜日、家族連れで賑わっています。
若い人も歳のいった人も隔てなく、屈託無く言葉を交わしています。

各々気ままに休憩したり、食事をとったり。

日本と違い男子だけなく、大概、カップルや男女の
グループで来ています。





21歳の誕生日 - 健やかで良い一年になりますように

2016年07月06日 | ドイツの暮らし


長男、次男がそれはエコひいきだ!と言う、僕と末娘の合言葉
「大きくなった、ちっちゃなマイ・プリンセス」





今日(7月1日)から、娘を訪ねてのウイーンの旅のスタートです。





一昨年の秋、オーストリア・ハンガリーの旅から帰ってくると、
「パパ、ここで勉強するよ!」と、自分で撮ったウイーン大学の写真を
見せてくれました。そうして、約半年後、めでたく入学。
すると、「パパ、自分のスタートだから、一年目は来ちゃダメだよ!」と
あっさり言われました。 それから、クリスマスやイースターの時には
何度か家には戻ってきましたが、まさにヨーロッパの歴史を刻んできたこの杜の都、
古都ウイーンがよっぽど気に入ったのでしょう。 すぐにトンボ帰りしてしまいます。





初めての彼氏も出来ました。民俗学の勉強も、その講義を時々サボるのも、
全てが楽しそう。 まさに「青春の街、ウイーン」





僕にとっても三十何年前、初めてドイツに来た頃からの、いろいろな想い出の街です。
今日からの四日間が本当に楽しみです。

この一年間で本当に大きく成長したと思います。



「人生は今を楽しむこと、先をポジティブに見据えること。
自分の感覚、思いを信じること。」

50半ばの父親より、21歳の娘の方が人生のこのモットーと生きています。
嬉しいことです。 

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(2015年7月6日、ちょうど一年前の文章)

先週の金曜日に末の娘がタイ、ラオス、カンボジア、そしてネパール
の旅から約10週間ぶりに、元気な姿で戻ってきました。



>続きを読む


月の明かりと朝の光の間で ー「大きな区切り」

2016年07月01日 | ドイツの暮らし
 

下記の文章はちょうど一年前のものです。 その朝、「大きな区切り」という思いが、
そのまま表現になりました。
一年前のこと、それが現実になることが確かにあります。
「自分の深い思いを意識化、言語化すること」は、よく言われることですが、
毎日の生活の中で大切だと思います。


 




















朝の6時。久し振りの徹夜仕事の後、4時過ぎに漸く家に戻れば、
麦畑の向こうの、大きく、大きく丸い黄色の月が目の中に飛び込むよう。
一人で残りの赤ワインを取り出し、庭に座って、朝の光を浴......
 

 


「娘を訪ねてウィーンの夏へ - ドナウ川、エゴンシーレ、オーガニックのワイナリー」

2016年07月01日 | ドイツの暮らし

今日から、娘を訪ねてのウイーンの旅のスタートです。 

「 GKP - Große kleine Prinzessin, 大きくなった、ちっちゃなマイ・プリンセス」
僕と末娘の合言葉。
長男、次男が明らかにそれはエコひいきだ!と言います。

(長男と娘が勉強する街区からは少し離れた今回のウィーンの僕らの宿。
内庭の夏の紅葉が見事で、少し日本趣味のアールデコを思わせます。)

一昨年の秋のことです。
末娘の美弥はオーストリア・ハンガリーの旅から帰ってくると、
「パパ、ここで勉強するよ!」と、自分で撮ったウイーン大学の写真を
見せてくれました。
そうして約半年後、めでたく入学。

すると、「パパ、自分の初めてのスタートだから、一年目は来ちゃダメだよ!」と
あっさり言われました。

それからは、クリスマスやイースターの時には何度かドイツの実家に
戻ってきましたが、まさにヨーロッパの歴史を刻んできたこの杜の都、
古都ウイーンがよっぽど気に入ったのでしょう。
すぐにトンボ帰りしてしまいます。

初めての彼氏も出来ました。民俗学の勉強も、その講義を時々サボるのも、
全てが楽しそう。まさに「青春の街、ウイーン」
僕にとっても三十何年前、初めてドイツに来た頃からの、
いろいろな想い出の街です。今日からの四日間が本当に楽しみです。
(ところで、上の写真のピアノを弾いている綺麗な娘さん、
うちの娘とは特に関係ありません。ウイーンは音楽の街です。)

【7月2日】

 ウイーンの旅の二日目、日曜日。

旧市街の中心部、シュテファン大聖堂からドナウ河まで。
朝から皆で自転車で遠乗りをしました。

昔とは違って、子供達、娘達の後を追いかけながら。

「老いては子に従え」という訳ではないけれど、
どこに連れて行かれるのもよく分からず、愉しく後ろをついて行きました。 

「蒼きドナウ」というにはずいぶんくすんだ色でしたが、
ゆっくりした川の流れで、向こう岸まで往復して遠泳を楽しみました。

 ドナウ河の運河で泳いだ後、市内への帰り道。

同じくウィーンで勉強する長男と二人で記念写真。

去年の夏、二人で奥能登に行ったことを思い出す。
特売の自転車をホームセンターで買いこんで、一泊二日、
珠洲から輪島まで、奥能登半周のツーリングをしました。

二日間とも酷暑の日で1日に5リットル位、水を飲みながら朝から夜まで走りました。
今年の夏は次男と、本州から四国へ、しまなみ海道を走ろうと思う。
後、何回、こういうことができるだろう。
いやいや
健康でさえあれば、あと10回はいけるだろう。
20年前に一人で行ったヒマラヤももう一度、次回は皆で一緒に行きたいな。

【7月3日】

昨日の夜、ヨーロッパカップでドイツは準決勝進出。
ワールドカップ、ヨーロッパカップで一度も勝てなかった
宿敵イタリアをとうとう打ち破りました。 

夜から激しい雨の中、戸外での熱いパブリックビューイング、
真夜中の12時を過ぎて戻りました。 

 長男と、長男の彼女、そして末娘はウィーンでルームシェアをして
暮らしています。実に中のいい三人です。

パブリックビューイングの前に訪ねた街の食堂です。
ウィーン風カツレツの大きさには目を見張りますが、
本当に美味しいものにはなかなか当たりません。 

 

 【7月4日】

ウイーンのレオポルド美術館に行きました。
グスタフ・クリムトの絵も少しありますが、
エゴン・シーレがあまりにも圧倒的な迫力で迫ってきました。
展示内容も建築のデザイン、もなかなか出会うことのない素晴らしい美術館です。 

19世紀末のウイーン、ヤポニスム、ユーゲントシュテイール、
クリムト、シーレへと続いた独創的な芸術運動。
その中でシーレはクリムトの影響から脱皮し、独自境地を
描いたと思います。百年経った今も全く古びた感じがありません。

この美術館はまず、建物自体も素晴らしい。

ユーゲントシュティールの家具や調度品も見応えがあります。

 

 【7月5日】

ウイーンから車で北西へ約一時間。
ヴァグラム郡のキルヒベルクというところにある、
オーガニックのワイナリー「チェルニー」さんのところに向かっています。

オーストリアの白ワインの主な葡萄の品種は「グリューナー・ヴェルトリーナー」です。
ウイーンでもまず、どこの酒場やレストランにも置いていますが、
このチェルニーさんのワインを7、8年前にドイツ・ニュルンベルクの
国際オーガニックフェアで試飲した時は、圧倒的な印象でした。

グーグルを探ってみると
こんな風に表現されていました。
・Gruner Veltliner グリューナー・フェルトリーナー
胡椒のようなスパイスの混じる、リンゴとパイナップルといった果実の香り。
辛口から高貴な甘口まで、非常に幅広いワインとなる。
オーストリアでは最も生産量の多いぶどうの品種。

さて、それから数時間、チェルニーさんでのワインのテースティングが
終わりました。フェルトリーナーに加え、リースリング、ヴァイスヴルグンダー、
ソビニョン・ブランと飲み進めましたが、どれもしっかりした個性を持ちつつ、
きれいなつくり。一言で言うと「素晴らしい!」

どう素晴らしいかと言うと、
チェルニーさん自身、作る人がまず素晴らしい。
謙虚で妥協なし。
味はフレッシュでしっかり、奥行きがある。変な例えだけど、白葡萄の清澄さに
純米生酛の力強さが加わったような感じ。
とても良い、人に優しいワイナリー。試飲をしただけで、今日はすっかり酔っ払ってしまった
それにしても、いいワインだった。

夏の晩にまだ蒼い空を眺めながら、親しい人達と人生のひと時を分かち合う。
そんなワインだと思う。

(下の写真はチェルニーさんのワイナリーの入り口、
全てオーガニックで、デメターの認証も受けています。)

 

ウィーンの観光メインルートからは少し外れていましたが、
子供達のウィーンでの暮らしぶりもよく分かり、
とても印象に残る 旅でした。


大さん、2年間どうも有り難う!!

2016年07月01日 | ドイツの暮らし

昨日は2年間、一緒に仕事をしたキッチンスタッフの大さんの送別会でした。


 

日本で栄養学を学んだ後、病院で栄養管理士として、
その専門分野と厨房での調理の仕事をしていた方です。
なかなか進まない「ドイツで作る、毎日健やか&美味しい和食」の
仕事をこの2年間、しっかり支えてくれました。

僕が、それでしかお金が稼げない事務所側の仕事についつい時間を取られ、
なかなか厨房に顔を出せなくても、朝から一人で昆布水を用意し、
ぬかみその手入れをし、米を洗い、野菜の準備、下ごしらえをし、
そういうことをいつもきちっとこなしてくれました。
もっともっと一緒にいろいろな料理を作りたかったのだけど、その上、
二人で進めていたレシピや食材の整理もまだ途中のままです。
それでも、二年前よりはずっとずっと進みました。
ベースは出来たと思います。必ず実現します!
大さん、本当にどうも有難う。

 

 

いつでも、ドイツに戻ってきてください。
ゲストハウス空けておきますよー!
京都に遊びに来てください。案内しますよー!
日本で出来ること、応援しますよー!
また一緒にご飯作ろうね!

 

 

 


「自分の力で登ること!」

2016年06月29日 | ドイツの暮らし

今日は特別な日でした。





長男が学士試験に合格し、二人で夕方からお祝いをしました。
まずはボルダリング。






自分の力で登ること。その瞬間に自分の力を集中すること。
その成果を喜ぶこと。次のステップを想像すること。
自分の弱さ、強さ、今の自分の出来ること、まだなところをしっかり
感じ取ること。
まさにこれからの人生に全て大切なこと。僕のように年を取っても
大事なこと。
その後は二人で昔から通っているイタリアンで食事に。




「浩太、よくやったなあ!
今と未来に向けて乾杯!」
家に帰ってから、妻も入って3人で乾杯!
18でドイツの高校が終わる前に外に出て、札幌、沖縄座間味、
ニュージーランドで都合二年間実習をし、その後、オランダの大学を
選んだこと。
在学中にベルギー、ブルュッセルで企業実習し、スペイン・バルセロナ
に留学し、最後、学士論文をオーストリア・ウィーンのグリーンピース
での実習の中で自分のテーマを見つけ出し、書きあげたこと、そんな
全ての一つの区切りが、昨日の学士論文の最終口頭試問、見事に
やりとげてきた。
それで、今晩は二人でクライミング、自分の力をその場に集中すること、
家に戻って、妻と一緒に三人でもう一度、乾杯!





三人それぞれに、たくさんの思いがあった。
大事なことは、浩太がこの4〜6年間を振り返って、自分に自信を持ち、
人生の良い時期だったと自ら思うこと。
浩太はそう思っている、感じている。素晴らしいことだ。





人生は今を楽しむこと、先をポジティブに見据えること。
自分の感覚、思いを信じること。
浩太、よくやった。父さんはとっても嬉しいぞ。母さんも嬉しいぞ!