30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

ビールのためのエダマメづくり

2011-03-31 | エダマメ

「亡くなられた方々」を見るのはつらい。新聞のそのページをまともに見られない。この世に生まれればいつかはこの世を去ることはわかっていても、無念さが伝わってくる。私のような年寄りからすれば、もっともっと生きてほしかった若い人を見つけると、とくにつらい。

東京の桜は咲いたが、私が住む我孫子市の桜の蕾はまだかたい。それでも赤く染まってきた蕾がある。まもなくだ。

家は建て替えたばりなので新しいものの、庭は生け垣を残してすべて掘り起こされてしまい、無様な姿をさらしたまま残された。この春に向けて元に戻すべく作業をしてきた。以前植わっていた球根の芽があちこちから出てきた。重機で掘り起こされ、投げ出されたものだ。つぶされてしまった庭の緑を復元するのには時間がかかる。いくども春を迎えなければならない。

エダマメのタネをまいた。新しい品種を試してみたいのだが、どうしても「湯あがり娘」(カメコ種苗)を手にしてしまう。いったん気に入ってしまうと、ほかに目が行かなくなる。品種改良が盛んだから、ためしにほかの品種にも挑戦すべきだとわかっているのだが。

2010年のエダマメ

ウネを立て、条間60センチ、株間20センチで2粒ずつまいていく。水をまき、ビニールでトンネル掛けしてやる。これもいつも通り。今年は黒マルチを敷いたうえに、ビニールトンネルをしてみようかと思ったのだが、つい面倒になり、ことしも黒マルチを敷かないでビニール掛けだけにした。

ビールのためにもエダマメ作りに失敗は許されない。念のためにもう一度タネをまくから、そのときは黒マルチを敷いた上にビニールトンネル掛けをやってみよう。エダマメは好きだからいくらあってもいい。しかし、好きな野菜ばかりにスペースを与えていると、狭い菜園ではこれから先、多くの野菜が登場してくるからやりくりが大変になることは目に見えている。


 

       

 


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桜開花でトウモロコシのタネまき

2011-03-29 | トウモロコシ

外はこんなにもうららかな春の日差しに満ちているのになあ、と畑で鍬をふるっている。震災のテレビを離れて外に出ると、一時のことにしろ心身ともに軽くなる。またもかみさんのいいつけでスーパーへお使いに行く。主婦同士が情報交換するのをしきりに聞く。なにが入荷していて、なにが棚にないのか。スーパーは、意外にもいまを知る場所であった。

きのうの昼飯は、菜の花のスパゲティ。まいど菜の花の丼物でもないだろうと。少しおしゃれに見えるかな。季節限定のハクサイの菜の花を使った。粗末なものだが、いざ手に入れようとしてもなかなか手に入らない。それだけに貴重といえば貴重なのだが、しょせんは捨てるものを食材として利用している。最後の菜の花までも、うまいうまいと食べているのだから、ハクサイだってここまで愛されたら本望だろう。

きのうは、トウモロコシのタネをまいた。栽培法は毎年変わらない。黒マルチを敷き、ビニールをトンネル掛けする。黒マルチは穴開きを用いている。「オークラのホームマルチ」で「95-15」という型番。これは幅95センチ、穴が15センチ間隔で5列に開いている。トウモロコシのタネまきには便利なもので、両端の穴の中に、1つおきにタネをまくと、2条で株間30センチになるからちょうどいい。黒マルチを敷くのは面倒なのだが、この後の作業がぐっと楽になる。家庭菜園にはお勧めである。

今年はなんかせかされている感じだ。ジャガイモの植えつけもそうだが、このトウモロコシのタネまきもいつもりずっと前倒しだ。早いからいいというものではなく、気温を見ながらやらなければならない。きのうは東京で桜が開花した。農作業もこれから一段と忙しく、楽しい季節を迎える。


 

       

 


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若い苗にバトンタッチの下仁田ネギ

2011-03-27 | 下仁田ネギ

スーパーへお使いに行って思い知らされた、世間はいまこんな状況なのかと。自分がなんとも世間知らずで能天気なオヤジに思えてならなかった。

おとといの夕方のことだ。「本屋に行くならついでにスーパーに寄って納豆を買ってきて。たぶんもうないと思うけど」。納豆が手に入らないという。それならオレがウオーキングも兼ねて探してみせると、夕方にスーパー3軒を回った。意気込みは立派だったが、玉砕だった。
きのうことだ。スーパーの開店時ならあるだろうというので行ってみた。開店と同時に納豆売り場は黒山の人だかりになった。われ先にと手を伸ばして納豆をつかんでいる。世間はいまはこんな状態なのか、ホント知らなかった。

さらに驚いたのは、同じスーパーでの行列だった。なんの行列かと尋ねたら「大型ペットボトルを買うために整理券をもらうためだ」という。水道水の汚染は知ってはいるが、よもやこのような並ぶまでの事態になっていようとは。正直のところ、長い行列をあんぐりと眺めていた。帰ってから知ったことだが、私の住む我孫子市の一部地域の水道水が放射能物質に汚染されていることが23日にわかり、乳児に対する水道水摂取制限が出たということだった。そうか、そのために並んでいたのか。しかし、若い夫婦ではなく、ほとんどが私と同じ年寄りばかりだった。この制限指示は本27日に解除された。

福島原発事故は、事態の様子を知りたいのだが、一所懸命に聞いても読んでも、隔靴掻痒の感があり、いま一つ危険の事実を飲み込めないでいる。もちろん原因は私自身の知識不足によるものなのだが、それでも多くの原子力の専門家が出てきているのだから、もっとわかりやすく事態の説明があってもいいはずなのだが、奥歯にものが挟まったようなもの言いばかりだ。ネットでは最悪の事態を想定しているのをよく見かける。そんないらいらした中で、京都大学の小出裕章さんの説明は出色だ。いまはこの人の発言をネットで探して聞いている。

百姓の話が、こんな状況だからついそちらの話が長くなってしまう。
きのう書いたように、冬ネギにトウが立ってきた。そろそろおさらばだ。その傍らのウネでは昨秋まいた冬ネギの3種の苗が育っている。命のバトンタッチである。

きょうは風がやんだので、3種の冬ネギのうちの下仁田ネギの苗を植えつけた。苗を掘り起こし、隣りにウネを立て、そこに植えつけた。一本一本を10センチぐらいの間隔で植えつけていく。腰をかかめての作業だ。さすがに長い時間おなじ姿勢でいるとつらい。たまに立ちあがり、腰に手をあてて、背と腰を伸ばす。空を見上げれば青く、春の陽光を浴びて気持ちがいい。春なんだよな。


 

       

 


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とうとうトウが立ってきた冬ネギ

2011-03-26 | 冬ネギ

 

震災後、2週間が過ぎた。自粛していた企業のPRもそろそろと動き出してきた。私もそろそろかなと思いながらも、山に行けない、いや行かないでいる。この春も「青春18きっぷ」で早春の山を楽しむつもりで、切符を買ったものの、まだ1回しか利用していない。4月10日までの期限なのだが、そのことを気にするより体のほうがむずむずしてきている。今週末はそのつもりでいたのだが、こんな状況では、行きたくとも、ここは自重すべきだという気持ちが強い。テレビを見ていると、自分にできることは義援金ぐらいなものしかないから、気分は重い。本音をいうと少し軽くなりたい。私もそろそろ動きたい。

冬ネギの一部にトウが立ってきた。とうとうやってきた。この時期になるとそうなることはわかっているから、その前に食べてしまおうと、ほかの冬野菜とおなじくどんどん収穫して、どんどん口の中にいれてきた。

ことしの冬ネギはよく食べた。というのも作り過ぎてしまい、たぶん無駄にするだろうなと思っていたが、残り少なくなっているのを見ると、大げさないい方になるのだが、よくぞここまで食べたもんだと感心してしまう。他人からすればその無計画が滑稽に映るだろう。

ネギの味は正直だ。トウが立つと、冬ネギ特有のあのとろりとした食感が一転する。えっ、と思うほど、硬く、ガリガリとしたものになる。この変わり身はなんなんだ。いつも不思議に思う。あんなにうまいうまいと惚れていたのに、突然の心変わりだ。そりゃないよといいたくなる。トウが立ったといってもそれは一部だ。食べられる冬ネギはまだまだある。トウが立つ前に、はやく食べなきゃ。この時期はいつもこうだ。

トウが立ったネギはすべて処分はしない。自家採種するためだ。花が咲き、タネができる。このタネをこの秋にまくのである。


       

 


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芽が出てひと安心のジャガイモ

2011-03-25 | ジャガイモ

ところでと、私はホウレンソウを収穫しながら考えた。私の菜園のものは安全なのか。私の住む千葉県我孫子市は、出荷停止措置が取られた茨城県とは利根川を境にしている。利根川が県境だ。手が届くところに茨城県がある。だから私の住む町は千葉県だといっても、このあたりの柏市や我孫子市は「チバラギ県」といわれる。

それだけ近い距離にあるのだから、わが菜園のホウレンソウも危ないかなと考えるのが普通だ。しかし私は、出荷停止指示があったのが4県で、そこに千葉県が入っていないことをいいことに、うまいうまいと食べ続けている。安心して食べているわけではない。不安もある。だが安全だといわれているのだから、「あなたの町のホウレンソウは食べないで」といわれるまでは、残りも少ないことだし、せっかくだから食べることにしている。

きのう、近くのガソリンスタントが営業を再開した。商売物のガソリンが空っぽになりこれまで店を閉めていた。上限4000円まで給油できるようになった。耕運機のガソリンがなくなったので、専用の金属容器を自転車に載せて自動車の列に並んだ。待つまでもなく私の番になった。「まもなく普段の状態に戻りますよ」

ジャガイモの芽が出てきた。ことしはいつもの年よりも半月以上も早く、2月19日に植えつけてしまった。自分でもわけがわからずやってしまった。ボケたんだろうね、きっと。それからは冷害が心配だった。ジャガイモはこちらが心配するほどヤワなやつではないと聞かされていてもだ。ここにいたってはもう冷害はないだろうから、これでひと安心、といったところか。


  

       

 


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ブロッコリーを細々としつこく

2011-03-24 | ブロッコリー

 

「金崋山」はどうなったのだろう。宮城県女川町の知人の無事を確認できてからしばらくして、ふとその沖合に浮かぶ金華山が気になった。金華山には黄金山神社のお参りというより、登山で行ったことがあるからだ。あの島に大津波はどのように押し寄せたのだろうか。想像しただけで恐ろしい。ニュースにはその被害状況がまったく出てこない。観光客もいただろうに。ネットで探してみたところ、宮司さんはじめ皆さん無事だったという。

かみさんはきのう茨城の親戚を見舞いに行った。津波被害地区はまだまだ避難生活が続く。車で行ったので、帰りのガス欠が心配だが、きのうは現地では15リットルまでガソリンを入れてもらえたということだ。

かみさんが留守のときは、このところきまって「菜の花丼」だ。菜の花を摘めるようになってからというものこれで3回目。簡単に短時間にできて「うまいんもんだな」と自己満足しているのだから、あきもせず食べている。バリエーションがいろいろ考えられるのだが、やはりシンプルに仕上げるのが一番だ。

20株ほどあるブロッコリーが次々と小さな花蕾を出してくれている。収穫できる冬野菜がめっきり減ってきているので、これはありがたい。じつにあるがたいのである。腰をかがめて1つ1つ摘んでいく。いまはすべて側花蕾だ。それも小さい。

春のタネまき、植えつけの準備のために、そろそろ抜いて片づけなければならないのだが、いつまでも花蕾を出してくれるから、もったいないくてなかなかそれができないでいる。それでも準備のため半分ほど抜いて片付けた。かみさんはブロッコリーが好きで、それもだれもが見向きもしない少し蕾が膨らんできたのが好きなものだから「もったいないわねえ」という。しかし、こちらにも狭い菜園をやりくりしている都合があるから仕方がない。 残りを細々と食べ続けることにしよう。


 

        

 


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あっ、あの農家もチヂミホウレンソウだ

2011-03-23 | ホウレンソウ

ハクモクレンが、コブシが群舞している。春が生まれている。しかしあいかわらず余震が続き、テレビを見ていると涙を流すばかりだ。

「あっ、あれはチヂミホウレンソウだ」
きのうNHKのニュースで茨城県小美玉市のホウレンソウ農家が「出荷停止だから廃棄処分するほかない」といっていた。ホウレンソウ畑がアップされたから、栽培されているのがチヂミホウレンソウだとわかった。
「あんなうまいもの捨ててしまうなんて、もったいないよなあ」とつぶやいてしまう。

わが菜園のホウレンソウもそれである。ホウレンソウは2種作っているが、チヂミのほうに軍配を上げる。特に12月に入り寒くなるといっそううまくなる。

昨年9月から10月中旬まで4回に分けてタネをまいてきた。この計画生産がうまく行き、出来もよく(→ホウレンソウ)、途切れることなく食べ続けることができた。いまもそうだ。ホウレンソウのおひたしは私の酒のさかなの定番だから、なんともありがたい。

一時期暖かくなり、この調子だと2月末から3月上旬まで持たないと思っていたのだが、また気温だ下がってくれたおかげで、いまも食べていられる。しかし、もうすぐ限界だ。寒いときは葉がべッたと地面にくっついていたものが、いまは葉がたちがってきつつある。トウが立つのは時間の問題になった。

ここにきてラストスパート、残して捨てることがないように食べ続けている。まさに時間との競争になった。だいぶ残り少なくなってきた。それがここにきてホウレンソウの出荷停止措置が出て供給もだいぶ減るだろうから、あわてて食べ尽くさないで、ぎりぎりまで大事に食べ続けたほうがいいかなと思っている。


  

       

 


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春まきタネの買い出し

2011-03-22 | その他


きのうはスーパーにお使いに行った。野菜に規制値を超える放射性物質が見つかったというニュースがあったばかりだ。野菜売り場をのぞいてみて驚いた。値段を見ることはめったにないのだが、野菜ってこんなに高いものかと。わが菜園では春まき野菜の準備のため、いまある冬野菜を処分しなければならない。もったいないので残さないようにと、がむしゃらに食べているところだ。ホウレンソウやネギの値段を見て、わが家の食べっぷりは、たとえ残り物とはいえ贅沢なもんだなと思わざるを得なかった。

近県の特定野菜が出荷停止となると、その供給が減るばかりか、野菜全般が高騰するようなことにならなければいいのだが。ちょうど野菜の端境期に入る。冬野菜が終わり春野菜の収穫までしばらく間がある。わが菜園でも野菜不足になるから、いまある野菜ーホウレンソウ、ネギ、ブロッコリーを食べ急ぐこともないかと思うのだが、季節が巡れば冬野菜は不味くなるからどうしようもない。

気分は春から夏への畑の準備にある。家の冷蔵庫の野菜室に保管している野菜のタネを取りだす。これからまく計画のタネが空っぽのものは買わなければならない。野菜はタネから育てるのがわが菜園のモットーである。できるだけそうしている。それだけにタネの種類が多く、早春と晩夏の時期はすべて点検しなければならない。

タネは冷蔵庫の野菜室に保管しておく。タネにも寿命があるのだが概ねすぐにダメになることがなく数年使える。50坪のわが菜園でもタネ袋を1回で使いきってしまうことはない。ましてや5坪や10坪の菜園ならタネを買ってはみても、もてあましているはずだ。それならと苗を買ってしまえば手っ取り早いというのもわからないわけではない。

まく時期の関係からすぐに必要なタネがある。近くのジョイフル本田へ自転車をこいで行った。私の自転車はポンコツだから、遠出するとパンクが心配だ。買い物をすませて駐輪場に戻ると後輪の空気が抜けてぺしゃんこになっていた。心配した通りになった。そこから家まで1時間30分、押して帰ってきた。まあ、いつものウオーキングだと思えば気は楽なのだが・・・。


   

       

 


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今年は頼むぜと、サトイモの芽だし

2011-03-20 | サトイモ

大地震から1週間ほどがたって、私が住む我孫子市の被害状況がしだいにわかってきた。私の住む地区から大分離れているのだが、そこでは液状化現象があり、家屋や道路の損壊がひどく、水道、ガス管が破壊されたという。家屋の被害は250件におよび、30人が避難しているということだ。たしかに恐ろしい揺れであったが、そんなに被害があったことに驚いている。私のふるさと茨城も、時間がたつに従って私の想像を越える被害状況らしいことが親戚や知人からの話で分かってきた。

こんな気分を紛らわすには山を歩くのが自分には一番だが、さりとて状況からして山を歩く気にはなれず、かりに登山姿で歩いていたら破廉恥と白い目で見られてしまうだろう。そこできのう一日は、野良仕事に精を出した。花粉症の身としては屋外に出ることを避けなければならないのだが、薬の効果があったせいかこれまで通り外に出ている。気分を紛らわせるには外がいい。

そろそろ春の植えつけの準備をしなければならない。そのために畑を耕した。手足となるのはすっかり使い古した耕運機だ。昨年末に黒煙を吐きだすようになり、いよいよダメかと思っていたのだが、ここにきてまた元気に働くようになった。廃棄しようと思っていただけに助かった。ガソリンは不足しているというから、残量に気を使う。

次はタネまき。レタスのタネをまいた。サクラの便りを聞くころになると作業が目白押しになる。気がついたことは先に延ばさないですぐにやることを心掛けてはいるのだが・・・。

最後はサトイモの芽だし作業だ(→昨年の例)。昨年のサトイモの収穫は最低だった。あの猛暑と少雨のせいである。食べる分はほんのわずかで、あとは種イモに回した。冬の間、地中に埋めておいた種イモを掘り出す。傷み具合を見て、腐っているイモを選別していく。それらを再度埋め戻してビニールシートで覆い発芽を促進させる作業だ。

家に戻れば、また大きな余震があった。怖いものは山でのカミナリと思っていたが、こんどは地震だ。怖いものはできれば経験したくない。ここ当分は覚悟しなければならないなと思わざるを得ない毎日だ。


  

       

 


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春色満載の菜の花丼

2011-03-17 | ハクサイ

ふるさと茨城の海岸線の被災は思った以上にひどいようだ。かみさんも茨城なので親戚知人が多い。水道の復旧は今月いっぱい無理だという。床上にまで海水が入り、家は住める状態ではないので、一時親戚に身を寄せている人が多い。

私の住む我孫子市では3月22日まで「計画停電」が中止になった。計画停電が発表されてからというもの、節電のため各家の門や玄関に明かりがともることはなく街は暗い。それ以上に余震がいまも続いていてなんとも不気味である。

寒さがぶり返し、いっそう心がふさぐ。菜の花が咲いてきたから丼でもつくって一時の明るい日差しを入れよう。

「菜の花丼」をつくる季節がやってきた。アブラナ科の花を総じて菜の花というが、菜の花丼に使うのはハクサイの菜の花を使う。菜の花のなかで一番うまいからである。

2007年に菜の花丼を知った。それ以来毎春この丼を作る。このブログには、菜の花が咲くと必ず出てくるおなじみのネタである。しつこいようだが今年も登場だ。

この丼をつくるころになると、やっとこさ本格的な春がそこまで来たんだなと実感させてくれる。その喜びを表し、味わうにはふさわしい一品だからどうしても取り上げざるを得ない。材料もハクサイの菜の花だけという、まさに清貧な私にぴったりである。

ハクサイの菜の花を摘むためには、ハクサイをすべて収穫しないで、数株残しておかなければならない。いまごろトウが立ってくる。これを摘むのである。立派なハクサイを菜の花のために取っておくのはなんとももったいないのだがいたしかたない。

ほかの畑を見ると、タネまきが遅れて、とうとう葉を巻かないでいるハクサイを見かける。残すならこんな失敗作のできの悪いハクサイがいい。最後は、お詫びにと菜の花を提供してくれるからだ。

この菜の花丼は4月の初めまで味わうことができる。食べるのは春が来たという喜びである。舌よりは心で味わうべきものなのかもしれない。


  

       

 


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冬ネギの苗がすくすくと

2011-03-15 | 冬ネギ

 

宮城県の女川町に知人がいる。町は壊滅状態だと知り、急に不安になった。なんども安否確認の電話をしてもつながらない。なんどもやるがつながらない。繰り返すたびに不安は増幅する。昨晩、やっとケータイがつながった。無事だった。

茨城県の大洗町に出かけていて被災したかみさんは、町民が避難している高台の中学校の近くで、車の中で2晩を過ごし、一昨日に帰ってきた。

私の住む町は大きく揺れたものの、海から遠いだけに津波の影響はまったくなかった。どこにも被害はなかったように見えるが、町を歩いてみると、瓦が落ちたり、塀が崩れたり、室内のものが落ちたりと、小さな被害はそこここに多かったはずだ。それよりも思わぬことが起きている。ガソリンスタンドはガソリンが売り切れ、スーパーでは食料品は品薄になっている。大きな余震の不安がこのような行動に走らせるのか。さらにスーパーに買い物に行ったら「計画停電」の予定時間のため一時閉店になっていた。こんな事態になるとは思いもよらなかった。

わが家の野菜はそのほとんどをわが菜園にたよっている。小さな小さな供給基地だが、こんな状況下でこそ、その底力を見せたいのだが、ちょうど冬野菜がほとんど終わってしまっているので、肝心な時にふだんの実力を発揮できない。

いま収穫できるのは、ネギとブロッコリーとホウレンソウの3種だけになった。それでも夫婦2人が食べるにはまだまだ十分の量がある。きのうはホウレンソウとネギをごっそりと収穫してきた。この2種は暖かくなると不味くなるから急いで食べなければならない。だからこちらの意志とは別に「ごっそり」取らざるを得ない事態になっている。

その傍らで昨秋にタネをまいたネギが育ってきている。この時期になると成長は目覚ましい。ずっと先のことだがこれらは今年12月からの冬ネギになる。おいしいものを自分の口に入れるためには面倒でも計画をきちんと実行しなければならない。野菜は待っていてくれない。時期を逸するとアウトだ。口ではうるさいことをいってはいるが、じっさいのところはなまけものだから、なんども失敗してきた。それだからこそ「面倒だがやるしかないか」と重い腰を上げて、計画をきちんとこまめにやるようにしている。


  

       

 


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いまも揺れる

2011-03-13 | その他

おぞましくも空恐ろしい光景だった。NHKテレビの画面を食い入りように見つめた。津波が名取川をうねるようにさかのぼっている。まるで大蛇だ。田んぼを、整然と並んだビニールハウスをのみこみ、さらに走行中の車を襲う…。絵空事のような世界が現実になっていることを思い知らされた映像だった。

はげしい揺れを感じたのは、ちょうど用事で家を出かけるときだった。このまま家が壊れてしまうのではないかとさえ思えるほどのはげしい振動だった。いまも体か常に揺れているように感じる。これはきっと絶えまなく続く余震に敏感になっているからだろう。

かみさんは茨城の大洗町に用事で出かけていた。津波は大洗町も襲った。高台に避難していると連絡があってひと安心したものの、道路事情でいまも帰れないでいる。

被災者のこんごの生活再建の苦労に思いをはせると、太平楽なブログを書いている場合じゃないだろうという思いとともに、つくづくわが身の幸運に感謝しなければいけない。


 

       

 


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厳寒まきニンジンが芽を出した

2011-03-10 | ニンジン

目がかゆく、鼻水が出て、くしゃみをする。これはまちがいなく花粉症だ。「とうとうわが身にも花粉症がやってきたな」とため息まじりにつぶやいた。花粉症とは縁がないと思っていた。ところが5、6年前から花粉症になった。それも遅れて5月中旬から6月中旬までおかしくなる。しかし、今年はなんといま花粉症である。これからさきずっと6月中旬までこの症状が続くのか。気が重くなる。

ニンジンの芽が出てきた。この寒いのに健気なものである。2月上旬にタネをまいた。ニンジンはいつも夏まきだが、今年は「厳寒まき」に挑戦。いつもの黒マルチを敷き、寒さ対策に穴開きビニールをトンネル掛けしていた。

芽がなかなか出てこない。寒いからこんなもんだろうなと思うのだが、やはりこの先はたして芽が出るのだろうかと心配になる。同じ方法でニンジンを栽培している近くの農家に尋ねた。「そんなもんだよ」。

待つことしばし。芽が出てきた。「へえ、芽が出るんだ」。なにを言っているのか自分でもわからない言葉が出てきた。これで安心だ。ニンジンは芽がでたら、これまでの経験でいえば成功間違いない。よっぽど下手なことをしないかぎり育ってくれる。この厳寒まきニンジンは100本を収穫する予定でいる。

寒さ対策で地中に貯蔵していた昨夏まきニンジンは残りをすべて掘り起こして、ちょうどいま食べ尽くしているところだ。


    

   

 


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黄昏60きっぷで、城山~葛城山~発端丈山(2)

2011-03-08 | 登山



発端丈山からの眺め。頂上からではなく、その「下降路」からである。
春の海にまっ白な富士。なかなかの眺めだ。どうにか富士が雲に隠れる前に間に合った。
 


山行日 2011年3月5日(土)日帰り
天気 
山域 伊豆
メンバー 単独
コース&タイム
我孫子4:42=5:13日暮里5:16=5:27東京5:46=7:57三島8:09=8:40大仁駅8:45-9:10城山登山口9:20-10:00城山10:10-10:35城山林道-11:09葛城山分岐(山城山ルート)-11:27葛城山11:50-12:15山城山ルート分岐-11:45発端丈山13:30-14:30長浜-14:40三津シーパラダイス14:52(バス)=15:16伊豆長岡駅15:27=15:49三島15:57=16:11熱海16:15=18:09東京=御徒町(OD BOXに立ち寄り)=上野18:43=19:17我孫子駅


←城山~葛城山~発端丈山(1)から続く

富士は昼を過ぎると決まって雲が出てくる。その前になんとか発端丈山からの眺めを楽しみたい。ちょうど昼飯時なのだが、発端丈山まで我慢して先を急ぐことにした。待っててくれよ。

葛城山から発端丈山への分岐に戻る。
ここからの道はなかなか気分がいい道だ。

最後の急坂をがんばると発端丈山の頂上に着いた。
事前情報だと絶景ポイントは、頂上からではなく、三津浜方面への道を3,4分下ったところだという。頂上に着いたものの、休む間もなく素通りしてその絶景ポイントへ急いだ。

左「長浜 三津中央口」、右「三津北口」の分岐の道標があった。そこを左に曲がってすぐ下のところだった。
見晴らしのいいところに出た。ここだなというのがすぐわかった。撮影に適している場所はほんの数㍍の間だ。
この道はきょうの下山コース上にある。
絶景である。カメラを向けた。
富士にかかる雲は多くなったが、どうにか間に合った。昼飯を食わないで急いだかいがあったというものだ。


手前下のビルが邪魔になる? トリミングしたのが下の画像。

満足して頂上に引き返した。
頂上にはひとりの登山者がいた。観光客でいっぱいだった葛城山とはえらい違いである。
「いい眺めでしたよ」
「私もこれから行くところです」
その人が戻ってきた。
「あの景色は、ヤマケイの分県登山ガイド・静岡県の表紙に使われているものです」
そうか。私もどこかで見た風景だなと思っていた。

帰って確かめたところそうだった。「発端丈山の下降路から」とあったからまちがいない。
この本はなんども見ているのだが気がつかなかった。
たしかに同じ場所から撮っているのがわかった。

そこで、この本の構図と同じようにトリミングしてみた。
富士の位置が微妙に違うような気がするのだが・・・。 

  

話を頂上へ戻す。
頂上は広々としている。これならテントも張れそうだ。
ここからの眺めはさきほどの絶景ポイントに比べると格段に劣る。

 

発端丈山から葛城山を望む。



さて、心ゆくまで絶景を満喫したので、遅めの昼飯をとった。
足慣らしといいながらも、ちょっと歩き足りない。
絶景も楽しんだことだし、予定通り三津浜へ下るよりは、もとの道を戻れば距離を延ばせるはずだ。
どうしようと悩んだものの、三津浜を30年ぶりに見るのもいいだろうと予定のコースを行くことにした。

さきほどの撮影ポイントを通過。ほんのちょっとの時間差なのにもう雲が頂上近くにまで及んでいる。
ここらあたりから急な下りとなる。濡れていて滑る。いつものへっぴリ腰で慎重に下った。
道がゆるやかになったところでミカンを上げ下ろしする策動が出てきた。そこに道標があり、左「長浜」、右「三津中央」とある。左の長浜への道を取るとミカン畑があらわれた。ミカンが食べたいなと思いながら下っていくとすぐに声が聞こえ、道端にミカンが入ったかごが出てきた。
声がするほうに行くと夫婦と思われる2人が休んでいた。
「ミカンをゆずってくれませんか」
ハッサク4個を200円。ミカンは色が悪いが完熟して甘く、こちらはタダだった。
そこに腰をおろしてハッサクをいただいた。話好きのご主人だった。
よもやま話をしながら、わったしはあっという間にハッサクを一個食べてしまった。

歩いて汗をかいた体には酸っぱい果物は最高だ。
「よほどハッサクが好きなんだね」と感心していた。
「おしかったですよ」

長浜に出た。目の前は漁港だ。淡島が正面に、その背後に富士。

長浜からは、長岡温泉行きのバス停のある三津シーパラダイスには右へ行く。トンネルを抜けるとすぐだった。

この三津浜には30年以上も前に来たことがある。太宰治ゆかりの「安田屋旅館」に泊まった。部屋は太宰が「斜陽」を書い部屋で、そこは角部屋になっていて海の眺めが良かった。なにせ若かったものだから、飲んで騒いで酔いつぶれて寝てしまい、それ以上のことは思い出せない。翌日は目の前の海で船釣りを楽しんだ。しかし、釣り餌をめがけて海鳥がダイビングしてくる。ウミウ? 驚くとともに怖かった。針に引っ掛かって取れるのは魚ではなく、鳥だった。興がそがれた。ヒッチコックの「鳥」を見ていただけに、さすがに大きな鳥は怖かったというのがいまも思い出される。


太宰が出てきたところで、私も言おう。春の富士にはハッサクが良く似合う、と。

 

3つの山を巡る山旅は、富士をめでる山旅になった。というより、海を前景にした富士を眺めるには絶好の山だった。自分で計画を立てたもののあまり乗り気ではなかったのだが、すばらしい春の景色に出会えて、こころがはずんだ。

「黄昏60きっぷ」でゆく最初の山旅は気分よく歩けた。次はどこへ行こうか。


 

    

 


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黄昏60きっぷで、城山~葛城山~発端丈山(1)

2011-03-06 | 登山

 

葛城山からは富士と駿河湾のパノラマが広がる。
左手前に淡島、駿河湾の向こうに富士山。
そして左手には南アルプスがオールキャストで長い銀嶺を見せていた 

名前が気になっていた伊豆半島の発端丈山を歩いてきた。春の暖かくて明るい日差しに包まれ、すっかり春の気分を味わうことができた。富士の眺めは期待した以上に良かった。「おお、なかなかのもんじゃないか」。ひと足早く春の到来を感じながら富士をめぐる山旅になった。

建て替えたばかりの家の雑用にかまけて、2カ月以上も山から遠ざかっていた。少し春めいてきたのでそろそろ歩きたいなという気分だった。寒さで体が縮こまり、心までも干からびてしまっている。虫と同じくそろそろ寒い地中から這い出したくなった。


 山行日 2011年3月5日(土)日帰り
天気 
山域 伊豆
メンバー 単独
コース&タイム
我孫子4:42=5:13日暮里5:16=5:27東京5:46=7:57三島8:09=8:40大仁駅8:45-9:10城山登山口9:20-10:00城山10:10-10:35城山林道-11:09葛城山分岐(山城山ルート)-11:27葛城山11:50-12:15山城山ルート分岐-11:45発端丈山13:30-14:30長浜-14:40三津シーパラダイス14:52(バス)=15:16伊豆長岡駅15:27=15:49三島15:57=16:11熱海16:15=18:09東京=御徒町(OD BOXに立ち寄り)=上野18:43=19:17我孫子駅


「黄昏60きっぷ」を利用しての山旅。JRは団塊の世代を対象に最近そんなきっぷを売り出した。と、いいたいのだが、これは期待であって、残念ながらこんな気のきいたきっぷ?は売っていない。昨春と同じ「青春18きっぷ」を買ってきた。5回使えるので、この春もこれで春の山を5つほど歩く予定でいる。

最初に選んだのは発端丈山だ。伊豆半島の西側の付け根、駿河湾に近い。すぐ北には沼津アルプスの低山が走る。発端丈山も低山である。足慣らしのつもりだからこれでよいのだが、ついでに近くの城山と葛城山をあわせて歩くことにした。

コースは伊豆箱根鉄道の大仁駅から城山、葛城山、発端丈山を経て、三津長浜へ下る。
ネットで見ると山中に入ると問題はないのだが、大仁駅から城山登山口までの道がわかりにくいとある。たしかに登山口が見つからないと余計な時間がかかってしまう。道順ならネットにたくさん載っているだろうと思ったのだがこれがない。やっと見つけた。
これをプリントアウトした。

「黄昏60きっぷ」の一回目の乗車スタンプ。春の日差しを浴びて気持ちよさそうだ。


プリントアウトした道順を見ながら城山登山口を目指す。道標はまったくない。この資料のおかげで迷わずに登山口まで行けた。感謝である。この「おむろばし」が目標になる。


城山はロッククライミングで有名な場所らしい。たしかに切り立った岩山。登山口近くの駐車場は装備の大型ザックを担いだそれらしき人たちが大勢いた。見上げるとすでに岩場に取り付いている姿を見つけた。

 



 

 

 

 

 

 

 



山の中に入ると「城山発端丈山ハイキングコース」の道標があちこちにあった。道は整備されている。

城山頂上。
富士は見えるか。途中の車窓から富士山に雲がかかってきていたので気になっていた。

この眺めにひと安心。



箱根の山も。


天城山も。ただ逆光のためぼんやりとしか見えない。

城山から葛城山を目指す。
城山林道にぶつかったら左折するのだが、そのまま林道を行かないで、すぐ右手の登山道を登る。道標があるから見逃さないように要注意だ。


神島小富士


葛城山への道が右手に出てきた。「背面」登山口。ここは急登だいう。この先にも葛城山へのルートがあるからそちらを選ぶことにする。
その道標。

登っていくと、海が見えてきた。富士の裾野に海が見えてきた。駿河湾だ。
その向こうに見える連続した白い峰?
あっ、南アルプスだ。私の安カメラではこの通りにしか撮れないのだが、肉眼では実によく見えている。
すっかり忘れていた。南アルプスが見えるんだった。
富士に、駿河湾に、南アルプス。いい眺めである。
この景色にしばし足を止めてカメラに夢中。

南アルプスをアップで、右から左へ撮ってみた。私のカメラではこれが限度だが、肉眼で白根三山、塩見、悪沢、赤石の山を同定できて、はっきり見て取れる。海を前景にして南アルプスの豪華な顔ぶれがそろった。



すぐに葛城山の頂上。
山ろくからロープウエーがあるので、頂上は観光客ばかりですごい人出だ。登山姿は私ひとり?


葛城山頂からの眺めは抜群だった。


葛城山をあとにして、発端丈山へ向かう。葛城山の斜面を下っていると、ちょうど富士の雲が取れてきた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葛城山で正午近くになり、眺めを楽しみながら昼食をと考えていたのだが、次の発端丈山からの眺めがまたすごいと聞いたものだから、富士が姿を隠してしまわないうちにと先を急ぐことにした。

ブログのほうはここで休憩。
次回は発端丈山へと続きます。


 

    

 


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