30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

カボチャは放ったらかしがいい

2010-08-31 | カボチャ


カボチャが豊作だった。この春に2粒のタネをポットにまいた。育てた苗を植えつけ、実を結んだのは大小取り混ぜて約30個だった。この中には小さいものも含まれているから、それらを除くとまあまあの大きさのものは約20個になった。2粒のタネからおよそ20個のカボチャがとれた。今年は結構とれたもんだと満足とともにこの数にちょっとばかり驚いている。

秋野菜への移行に伴い夏野菜をひとつひとつ片付けていく。カボチャは放ったらかしにしておいたから雑草に埋もれている。その中を分けて探しだす。これまで5個ぐらいは収穫して食べた。いくら好きでもカボチャばかり食べられないから、だいぶ畑に残っているのは分かっていた。しかし収穫してみてびっくり。これほどの数ができていたとは思わなかった。

カボチャは、初期に親ヅルを摘心して子ヅルを3本伸ばす作業を終えたらあとはなにもしない。そのまま放ったらかしにしておく。肥料は前作のままで与えないし、もちろん授粉も虫まかせだ。

カボチャは最初にツルの整理をすれば、あとは放任して、ヘタに手をかけないほうがいいとこれまでの経験で分かってきた。こんなに手間のかからない野菜はないのだが、それだけに栽培の面白みはない。タネから育ているのがカボチャ栽培のせめてもの救いで、これで苗を買ってきて植えつけたら家庭菜園の楽しみを自ら放棄しているようなものだろう。手がかかるものほどかわいいというのは人間の子どもばかりでなく、野菜の場合もそのようだ。

小さいものはー握りこぶしぐらいの大きさのものから握りこぶし2つほどの大きさのものだがー捨てるのはもったいないので持って帰った。食べられたらそれに越したことはない。あとの加工はすべてかみさん任せだ。



   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猛暑と乾燥でサトイモが危ない

2010-08-30 | サトイモ

雨が降らないためにいま一番深刻な状態なのがサトイモだ。サトイモは熱帯性の植物だから湿潤の土壌を好む。夏の乾燥にはめっぽう弱い。このためサトイモ栽培の一番のキーワードはウネを乾燥させないことにある。ウネを乾かさないためマルチや刈り取った雑草なんどで覆うのだが、この程度の対策ではこの夏の乾燥には負けてしまったようだ。

どこの畑でも茎が腐って枯れてしまっている。壊滅の畑も見られる。もう駄目だという状態にある。もちろん私のところのサトイモもそうだ。よもやこんなに暑く乾燥の日が続くとは思わなかったから、ウネは抜き取ったトウモロコシの茎で覆っている程度だった。葉は茶色に縮れ、中には葉も茎も腐って枯れているものがある。

サトイモは大好物だから必ず作る。長年作っているがこんなひどい被害は初めて経験する。これは困ったと、応急措置として、いまさらやってもたぶん間に合わないのだが、周辺の雑草をいっぱい刈って、ウネにかぶせた。

この秋、すなわち10月から11月の収穫時はあまり期待できなくなった。質も悪く、量も少なくなるだろう。そんな見通しだ。


   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハクサイの苗づくりはむずかしい

2010-08-29 | ハクサイ
困っている。雨がぜんぜん降らないからだ。これでは秋野菜の作付けの見通しがまったく立たない。本当に困った。雨が降らないから畑はカラカラに乾いている。土は流砂状態で、風が吹くと舞い上がり、体中が埃だらけになる。

わが菜園の夏野菜はほとんど終わった。残って収穫できているのはナス、キュウリ、クウシンサイ、モロヘイヤの4種だけになった。あとはすべて片付けた。これらに取って代わって順次秋野菜になっていく。

雨はいずれ降るのだろうが、当面困ることはダイコンのタネまきだ。9月上旬がその適期になる。ウネを作ってみても芽を出させるためには相当の水をやらねばならない。流砂状態なのだから半端な水の量ではない。畑に水はないから家から持っていかなければならない。その労力は回避したい。そうなると「雨乞い」しかない。今週の天気予報を見ると相変わらず晴れマークばかりで雨マークはまったく見えない。どうしようと思ったところで、こればかりは天の神様に頼るほかない。



秋野菜は、すでにキャベツとブロッコリーのタネまきと植え付けを済ませた。1週間前の8月22日にはハクサイのタネをポットにまいた。このところハクサイは直まきではなく、ポットにタネをまいて苗を育て、それを植えつけている。ハクサイはタネを直まきして育てていくのは、私にはむずかしい。乾燥と害虫で、なんどもまき直しをしなければならない。もちろん直まきで育てることができないことはない。毎日朝晩水やりをして害虫を防除していけばいいのだが、大ざっぱな私にはとてもできない。

ハクサイの直まきの失敗をいやというほど味わいながら、それでも直まきに挑戦してきたが、いつのまにかポットまきに落ち着いてきた。ポットではできるだけ大きな苗を作ってから植えつけている。小さな苗だと植えつけても害虫にやられてしまう。もちろん植えつけたら寒冷紗ですっぽりと覆うのだが、虫はどこからともなく入り込んでくるから油断できない。

ハクサイのタネまきの適期は9月上旬までだ。このポットまきが失敗したらあとがない。そうそう、ハクサイは害虫の被害などで必ずといっていいほど欠株が出るから、かならず予備苗をできれば多く作っておくことだ。

   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖岳と光岳(4)-茶臼岳から光岳を経て易老渡へ

2010-08-27 | 登山

茶臼岳から光岳を経て易老渡へ 

予定変更。光小屋に泊まらないで一気に易老渡まで下山した。
長丁場だった。わき目も振らず全力で跳んで跳んで光岳を往復 


←8月19日から続く

8月20日(金)曇り時々晴れ
茶臼小屋5:35-6:05茶臼岳6:10-6:24仁田池-6:42希望峰-7:59易老岳-9:43静高平・水場-9:51イザルヶ岳分岐-10:00光小屋-10:20光岳-10:30光石-11:07光小屋11:25-13:09易老岳13:15-14:56面平-16:10易老渡-16:45便ケ島・聖光小屋(テント泊)


茶臼小屋の水は手がしびれるほどの冷たさで、うまさも格別だった。
きょうの予定だが、迷った。光小屋に泊まるか、それとも泊まらないで下山口の易老渡まで一気に下りてしまうか。出発時点では、きょうも午後から天気が悪くなるというので、光小屋に泊まる予定で出発した。ところが易老岳に意外に早い時間に着いてしまった。これなら光小屋に泊まらずに光岳を往復して易老渡まで下山できるのではないか。がんばれば下山できそうだ。そうしよう。それからが長丁場だった。夢中で全力で歩いた。体調は日を追うごとによくなってきたのだが、それでも下山口に無事に着いた時がさすがにほっとした。


昨晩はよく眠れなかった。そのきっかけはかみさんが私の鼻をつまんだことにある。私のいびきがうるさくて、周囲の皆さんに迷惑をかけてはいけないのでそうしたらしい。それで目を覚ました。「余計なことをするなあ」と思いながら、またやられてはたまったものではないから、かみさんの横を離れて別の寝床に移動した。この日は空いていたのでスペースはいくらでもあった。これで安心して眠れると思ったのだが、それからが行けなかった。眠りに陥りるときに起こされたものだから、それと他人のいびきに悩まされたせいもあるが、とうとう明け方までよく眠れなかった。

私が小屋を避けてテントにするのは、「いびき」を避ける目的もある。もちろん私のいびきではなく他人のいびきである。小屋に泊まるときは必ず耳栓をする。耳栓は私にとって登山の必須アイテムなのだ。耳栓をしていてもいびきは頭の中に響く。轟音のようないびきは頭にくる。枕を投げたくなる。しかし年を取るにつれてこんどは私がいびきをかくようになった。疲れて酒を飲んだときなどいびきをかくらしい。そうなると他人に迷惑をかけずかつ迷惑を受けないためにはテントが一番である。この日は私が他人に迷惑をかけ、他人からも迷惑を受けた。小屋泊まりとなると、いびきに対して神経質と思われるくらい構えてしまう。

茶臼小屋の明かりは4時に灯った。朝食は5時からだ。すぐに起き出さないでいましばしと寝袋にくるまっている人が多い。この小屋のトイレも遠い。前日の聖平小屋ほどではないにしろりトイレに行くのが億劫になる。起きだして用足しをして手を洗っていて、ふと振り返ると朝焼けのなかに山が見える。富士山? そうだ、富士山だ。あわてて小屋にカメラを取りに行き、皆さんにも富士が見えるよと伝える。

この朝焼けはすぐに消えた。予報ではきょうもあまり天気がよくない。この朝焼けに期待したのだが、すぐにガスが出てきた。家を出るときの天気予報では晴れマークばかりが続いていたが、変わったのだろう。2日続けて夕立があったからがきょうも気をつけなければならない。

4時37分、モルゲンロートにそまる富士山。


5時35分、茶臼小屋出発。
すぐに茶臼岳への登りとなる。「あれ、雷鳥じゃない?」。かみさんの声にほんまかいなと指差す方を見ると、ほんとうだった。雷鳥が2羽ちょこちょこと歩いている。この山域にも雷鳥がいることを知った。ガスの中を歩いているだけに、こんな遭遇は気分転換になって大歓迎だ。



茶臼山からは展望がいいという。しかしガスだ。あきらめていたのだが、ふとガスがはれるような気配だ。晴れ間が見えてきた。このチャンスを逃してたまるかと目の前の茶臼岳を撮ることができた。しかしそれもつかの間でまたガスの中に消えた。
このとき残念だったのは目の前の茶臼岳ばかりに気をとられて後ろを振り返らなかったことだ。たぶん、上河内岳をはじめとする南アルプスの山々を眺めることができたんだろうなとちょっぴり悔やんだ。




6時5分、茶臼岳。
2604㍍の茶臼岳を過ぎれば、この先には展望のいいところはないはずだ。せめて最後にもう一度南アルプス南部の山を見ておきたい。しかし山頂はガスだ。後ろ髪を引かれる思いで山頂をあとにしようとすると、待てよ、うっすらとガスがはれてきたぞ。これはいけるかな。駄目だ、またガスだ。期待してしばらく足をとめた。



こんどはほんとうにガスがはれてきた。このチャンスしかないなと上河内岳方面に向けてカメラのシャッターをなんどもきった。



「茶臼岳からガスの晴れ間に写真を撮ったのだが、やはりいい写真はないなあ」といいながら、この報告を書いているいま、その時の写真をよく見て驚いた。これはもしかして聖岳か。そうだ、聖岳だ。まちがいない。そうするとその右は赤石岳、次は悪沢岳だ。右の大きいのが上河内岳となる。へえー、偶然とはいえうまく捉えることができたんだとうれしくなった。聖、赤石、悪沢の3000㍍峰の3役揃い踏みという豪華さだ。上河内岳からはこの3山が並ぶ姿が見えるというのだがあいにく見えなかった。残念だった。それが茶臼山から偶然にとらえることができた。なにが幸いするかわからない。感心しながらこの写真を眺めている。



6:24仁田池
茶臼岳を下ると仁田池だ。この池は大きいのか小さいのかガスのためよく見えない。


6:42希望峰
茶臼岳から希望峰まであっという間だった。ここはシラビソに囲まれて展望はきかない。


希望峰からぐんぐん下る。こんなに下ってしまってはこのあとの苦労が思いやられる。高度計を見ると、とうとう2300㍍まで下りてきてしまった。やっと易老岳との鞍部になった。そこからまた登り返すのだが、これが苦労もなくすぐに易老岳に着いた。
易老岳に8時に着いた。ここでひと休み。
意外に早く着いてしまった。疲れてもいない。きょうは光小屋に泊まるつもりでいたが、この時間なら泊まらないで易老渡まで一気に行けるんじゃないかと思った。この3日間前後して抜きつ抜かれつの西宮の夫婦もやってきた。話しているうちにこの夫婦もその気になり、それなら下山してしまおうということになった。

7時59分、2354㍍の易老岳


そうと決まったらゆっくりしてはいられない。すぐに立ち上がった。それっと、先を急ぐ。ここからは休むことなく光岳まで一直線。まさに韋駄天のような?速さで歩いた。かみさんも私以上に速い。西宮の夫婦もピタッとついてくる。みんな元気だなと思いながら一心不乱に歩く。
9時43分、静高平の水場。
呼吸を整えて、水をたっぷりと飲んだ。




9時51分、イザルケ岳分岐
ガスなのでパス。先を急ぐ。


センジケ原の木道が延びる。


光小屋が見えてきた。



10時に光小屋。
急いだだけに易老岳からここまで2時間できてしまった。
ザックを小屋において光岳の頂上に向かう。


10:20光岳
ここが2591㍍の光岳山頂だ。樹林に囲まれて展望はまったくない。そう聞いていたのだが、それにしてもさえない頂上だった。


写真を撮ってもらい、光岳の名前の由来になった光石を見てこよう。ここから7分という標識があった。


10時30分、光石。
これが光石。岩の天辺までのぼれる。向こう側は絶壁だ。かみさんはすぐに上がった。後ろ姿がそうである。一緒に易老渡へ下山することになった西宮の夫婦は写真を撮り終える人を後ろで待っている。


私はこういうところは苦手だ。しかしせっかくなので光石の天辺まで上がった。内心コワイのである。


11時7分に光小屋に戻った。
光小屋に着いてから光岳山頂、光石を巡って戻ると一時間があっという間にたってしまう。
小屋から易老渡の登山口までは約5時間だという。ここを正午までに出ると夕方までには下山できる。正午までは一時間もある。やっと余裕が出てきた。昼食のパンを食べた。早めに出ることにした。

11時25分に下山開始。
ずっとガスっていたのだが、この時間になると日が差すようになり、晴れ間が見えてきた。しかしスカッとした青空にはならなかった。



イザルケ岳分岐
帰りもわき目を振らず急ぐ。イザルケ岳も見えた。展望がいいと聞いているのだが、この天気では期待できない。




この縦走路にはキノコが多く生えている。急ぐばかりが能じゃないと、立ち止まってパチリ。


途中、これから光岳を目指す人たちが大勢やってきた。易老渡から登ってきたのだろう。それにしてもテント組が多い。光小屋の手前にテント場はあったがそれほど広くない。あれで収まるのだろうかとそう心配するほどテント組が目立った。

13時9分に易老岳。
11時25分に光小屋を出てからここまでノンストップでやってきた。易老岳への登り返しかきつかった。易老岳から光小屋への往復はとにかく頑張った。それができているのだから体調はかなりいい。

易老渡の標高は850㍍。2591㍍の光岳山頂からだと標高差1700㍍を一気に下ることになる。いまいる易老岳2354㍍からでも標高差1500㍍を下る。ここからの下り時間は3時間だという。明るいうちに登山口に着くことができる。先が見えてきた。もうひと頑張りだ。

13時15分に易老渡へ向けて下山開始。


この下りは長丁場のうえ、急斜面が続いた。最初は飛ばしたのだが、このままいけば膝がやられると思い速度を落とした。ここまででも相当歩いているのだから疲労がたまっている。下りが一番神経を使う。慎重に慎重にと自分言い聞かせながら。


14時56分に面平。
2時間近く下った。順調だ。ここからあと1時間の歩きだ。さすがに足が重くなり大休止。


16時10分に易老渡。
易老渡の赤い橋が見えてきたときは、さすがに着いたなと安心した。予定通り下りにちょうど3時間かかった。


易老渡の駐車場。金曜日ということもあるのか駐車場はいっぱいだった。


易老渡から便ケ島の聖光小屋までさらに歩いて30分かかる。
16時45分に便ケ島・聖光小屋に着く。
5時35分に茶臼小屋を出てからずっと歩きっぱなしだ。よく歩いた。



すぐに出発前夜と同じように休憩室にテントを張り、夕飯の準備に取り掛かる。縦走の余韻にひたりながら、充実した山歩きができたこと、無事に下山できたことをかみさんとビールで乾杯した。


  8月21日(土)晴れ
聖光小屋=和田宿・かぐらの湯=飯田IC=中央道(諏訪SAで休憩)=首都高速=常磐道=柏IC=我孫子市・自宅


この日は車で帰るだけである。その前に4日間の汗をきれいに流したい。旧南信濃村の「かぐらの湯」に立ち寄ることにした。

出発して間もなく振り返ると聖岳が見えた。あの山をこの足できのうまで歩いてきたのに、いま眺めてみると、それは遠い遠い遥かな山に感じられた。


 


152号線に出て「上島トンネル」を抜けてかぐらの湯へ向かう。途中に「池口岳入山口」の標識があった。池口岳を歩いてみたいという強い希望をずっと持っている。コース状況はすでに頭の中に入っているのだが机上計画だけで実現していない。その入山口がこんな近くにあった。登山口まで行ってみようと152号線を離れて山の斜面を駆けのぼり奥まで行く。今後、池口岳を目指すことがあるのだろうか。自分の意思しだいなのだが、下山してきたばかりなのでその意欲ははなはだ心もとなく感じられた。





「池口岳入山口」前のバス停は瓦屋根の立派な作りだ。車を止めて見入ってしまった。身障者用のトイレもある。なんとも素晴らしいバスストップだった。


「かぐらの湯」は10時オープンなのだが、一時間前ほどに着いてしまった。駐車場わきに足湯があった。これはいい。4日間も酷使した足をゆっくり養生できたのがよかった。さらに湯船に入りすっかり心身ともにすっきりし、やり終えたなという気分でさわやかであった。



(完)


(1)南アルプスの奥深き山へ        (2)便ケ島から聖平小屋へ 
(3)聖岳から上河内岳を経て茶臼小屋へ (4)茶臼岳から光岳を経て易老渡へ


   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖岳と光岳(3)-聖岳から上河内岳を経て茶臼小屋へ

2010-08-25 | 登山

聖岳、上河内岳を経て茶臼小屋へ 

小聖岳を踏んでヤセ尾根に入る。いよいよだ。
聖岳に手が届くところまできた。頂までもうすぐだ 


←8月18日から続く

8月19日(木)晴れのち曇り夕立
聖平小屋5:10-5:20薊畑-6:05小聖岳-6:25水場-7:05聖岳7:15-7:25奥聖岳7:30-7:40聖岳7:55-8:19水場-8:35小聖岳-9:10薊畑-9:30聖平小屋10:00-11:36南岳-12:26上河内岳-12:59竹内門-13:15草原・亀甲状土-13:40茶臼小屋分岐-13:55茶臼小屋(小屋泊) 


 きょうの予定は、朝一番に聖岳を登り、いったん小屋に戻ってから、10時までには小屋を出て南岳、上河内岳を登り、15時ごろに茶臼小屋へという腹積もりである。

小屋の明かりは4時に灯った。これを合図にいっせいに起きだし準備に取り掛かる。静かだった小屋全体が急にあわただしくなった。朝食は4時半からで急いで食べた。
小屋から聖岳をピストンする。不要な荷物はできるだけ小屋に置いてザックを軽くする。

気になるのは天気だ。山頂では天気に恵まれたい。きょうの予報は午前中が晴れて午後から曇って雨になるという。それだけに早く小屋を出たい。それに加えてきのう下山してきた人から9時になると山頂はガスってくるから、それまでに山頂へは着いていたほうがいいという話も聞いていたからだ。

5時10分、出発。
小屋の標高は2260㍍、聖岳は3013㍍だから標高差は約800㍍だ。歩き始めてすぐに聖岳が見えてきた。雲がない。明るい。このままの天気でいてくれればいいのだが。




5時16分。朝日が出てきた。いいぞ、いいぞ。


雲ひとつない。これだと期待できるかな。


5時20分、薊畑。
速いペースだ。きのうは最後にばてた。こんなはずではないと思いながらも、きょうもいくぶん心配になる。しかし山歩きは2日目のほうが体調がいいから大丈夫だろう。南アルプス南部の山並みを振り返ると、雲海だ。思わず「うわあ―」。そのすばらしさにしばし見とれる。


同時刻、薊畑から望む聖岳。


5時30分。
朝日が昇るとともに青空が広がってきた。いい感じになってきた。


5時58分。近づいた。山肌が見えてきた。


6時5分に小聖岳。
ここから聖岳への登り口までは20分ほどヤセ尾根が続く。ヤセ尾根といっても特に問題はない。この尾根は花が豊富だった。岩場には小さな花が多く、その可憐さゆえ見入ってしまう。カメラを向けたいのだが先を急ぐので撮るのをあきらめる。


ヤセ尾根を渡り終えるといよいよ聖岳への登りとなる。その登り口となる地点からヤセ尾根を振り返る。奥が小聖岳である。


聖岳への登りに取り掛かるところの左手の岩場に水場がある。これでは水筒をいっぱいにするには時間がかかってしまうなと思えるほどの細い流れだ。


その水場の手前にタカネビランジが咲いていた。南アルプスを代表する花だ。この時期は岩場やがれ場でよく見るのだが、今回はこれが最初で最後であった。


タカネビランジを見られたことに気をよくし、最後の登りに取り掛かる。道はジグザクに切ってある。広大な斜面だ。砂礫の道だ。空との境のあの岩の果てまで登らないといけないことは分かっているのだが、目当てになるものがないから、ただひたすらじっくり登るしかない。単調な登りだ。あきてくる。たまには後ろを振り返る。なんともいい眺めである。上河内岳から茶臼岳、光岳への山並み。南アルプス南部の稜線をきのうといい、きょうといい、目に焼き付けることができて大満足だった。






山頂はまだかまだかとつぶやきながら登っている。見上げると空との境まで間もなくだ。トップのかみさんの声がした。「着いたよ」。

7時5分、空が大きくなって私も山頂だ。
前聖岳の3013㍍の山頂だ。山頂標識は目の前にあった。青空が広がっている。どうにか間に合ったようだ。天気を心配していただけにこの晴天がなんともうれしい。すぐに写真だ。目の前の北方面にひときわ大き迫っているのは赤石岳。惜しいかな、雲だ出てきて半身を隠している。そろそろ雲が湧き出してきそうな気配だ。2人の写真をあわてて撮ってもらい、ガスらないうちにと奥聖岳へ急いだ。


7時25分。ここが2978㍍の奥聖岳。
三角点はこちらにある。前聖岳とは目と鼻の距離にあり10分とかからない。ケルンがある。ここでも先行者に写真を撮ってもらう。「前聖と奥聖の間はお花がきれいなところ」という。しかしすでに咲き終わっていた。
やはりというか、南からガスが上がってきた。ゆっくりもして居られない。すぐに前聖へ戻る。




奥聖から前聖に向かう途中でガスが前聖にも上がってきた。ガスに包まれるのは時間の問題だ。


北へ延びる南アルプスの縦走路。大沢岳の下に百間洞山の家の赤い屋根が見える。

しだいにガスが聖岳の山頂を包んだ。あれほど青空が広がっていたのに、周囲の景色がすべてガスの中に消えてしまった。7時50分になるとすっかりガスに包まれた。上河内岳から続く南部の山並みも見えなくなった。

続々と登山者が山頂に着く。この時間ではもう山頂からの展望を楽しめない。ほんのわずかな時間差なのに残念だろうなと思う。私たちの幸運がありがたかった。

7時55分、下山開始。 

8時35分。小聖岳。すっかりガスだ。


9時10分、薊畑。
なんども書くようだが、このあたりはお花畑が続く。


9時30分、聖平。
下山には1時間30分要した。小屋に置いた荷物を回収しザックに詰めて昼食をとり、10時に出る。予定通りで順調だ。


10時に小屋出発。今夜の宿の茶臼小屋に向かう。15時ごろに着く予定でいる。
ここからはまた登りになる。この先の縦走路での最高点は上河内岳で2803㍍。少なくとも500㍍は登らなければならない。つい「またかよ」といいたくなる。縦走は原則稜線を歩くのだから山の形に従って登ったり下ったりしなければならない。わかっちゃいるけどつい口にしてしまう。


まずは南岳を目指す。途中にトリカブトの大群落。これはすごかった。
向こうから私たちと同じ中高年の夫婦がやってきた。
「きのう泊まった茶臼小屋のマグロはうまかったわよ」
えっ、夕飯にマグロが。
どんなものか、こりゃ楽しみだ。


11時36分、南岳。小屋から1時間30分。
ガスでなにも見えない。本音はここからの眺めだって楽しみたいのだが、こればかりはどうしようもない。あきらめるしかない。あっさりとあきらめきれるのも、聖岳の山頂でいい思いをしているからだろう。


南岳からすぐにお花畑だ。ここは今回のコース中一番よかった。ただし東側が切れているのであまりお花に見とれないように。


12時10分、上河内岳の肩。
ここにザックを置いて上河内岳をピストンする。頂上まで25分程度で往復できる。
縦走していると同じコースを歩く人と言葉を交わすようになり仲良くなる。この上河内岳の肩に西宮から来た中高年の夫婦がいた。きのうから抜きつ抜かれるしながら歩いている。
「このガスで展望がないからパス」という。
たしかにそうなのだが、私たちは話のタネにと登った。あっというまに頂上だ。


12時26分。上河内岳山頂。
やはりなにも見えない。この山頂は南アルプスを北に南に展望するには一番恵まれていると聞くだけに残念だ。

12時35分、縦走路に戻る。
ザックを担ごうとしたまさにその時、ぽつぽつ体にあたるものがある。雨かと思う間もなく、大粒の雨が降ってきた。あわてて雨具とザックカバーを取り出し身につけた。それにしても幸運だった。上河内岳にいたら、ぬれ鼠になっていた。ちょっとの差で全身ずぶ濡れ状態になるところだった。

雨具は文字通り雨に機能するのだが、このところもっぱら防寒具として使っていた。雨で雨具を使うのは何年ぶりのことだろう。このところ山で雨に降られたことがないのである。「晴れた日にしか山に行かないのだからそうでしょう」とかみさんはいう。たしかにそうなのだ、それにしても久しぶりに山で雨にあった。雨は嫌いではない。風がなければ、雨もまた楽し、である。しかし結構な降りだ。

12時59分。竹内門通過。
雨脚は衰えない。
向こうから10人以上の登山者。ツアー登山だとすぐわかる。
 

13時15分、「ここが亀甲状土か」と。
かなり明るくなったが、いぜん雨脚は強い。登山道は小川状態だ。



雨がやんだ。かなり降られた。その雨もやんで、茶臼岳が見えてきた。茶臼岳への登りになった。
茶臼小屋分岐が見えてきた。すぐその直前に「ハイジの丘」の案内標識があった。かみさんをモデルに50年後のハイジを撮るのも悪くない。そちらに行こうとしたら、突然ゴロゴロと雷鳴があった。飛び上がった。山でなにが怖いかって雷ほど怖いものはない。即、ハイジの丘はやめて小屋に急いだ。いやあ驚いた。

13時40分、茶臼小屋分岐。


13時55分、分岐から15分ほどで小屋到着。予定の15時よりだいぶ早く着いた。
きょうの体調はよかった。安心した。
すぐにずぶぬれ状態の雨具と靴を脱いで服を着替えた。小屋に乾燥室はなく、ただ部屋にぶら下げるほかなっかた。畑薙大吊橋から来た人は雷と雨でやられたらしい。
この茶臼小屋は光岳だけを歩くのによく利用されていることが分かった。畑薙大吊橋から入り、この小屋に泊まり、翌日光岳をピストンして、もう一泊して翌朝下山するというものだ。

この日はかなり空いていた。そのわけは翌日わかった。光岳をピストンして泊まるはずの人が、雨のため光小屋に泊まったためだという。なるほど。



夕飯には、やはり刺身が出た。ビンチョウマグロだった。刺身はもっぱら酒の肴でしか食べないから、ご飯のおかずになるのかと心配したが、これがうまかった。魚目利きのかみさんは「ふつうよ」という。山小屋で刺身とは、なんか不思議な世界だ。



→(続く)あした20日は光岳へ向かう

   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖岳と光岳(2)-便ケ島から聖平小屋へ

2010-08-23 | 登山

便ケ島から聖平小屋へ 

急登の樹林帯を抜け、がれ場上部の薊畑に飛び出すと、
そこから聖岳を見上げることができた。泰然として大きかった 


←8月17日から続く

8月18日(水)晴れのち曇り夕立ち
聖光小屋6:10-6:40西沢渡-6:55廃屋-7:35「1400㍍」-9:24「2000㍍」-10:15「2200㍍」-11:00薊畑12:45-13:05聖平小屋(小屋泊)


きょうは薊畑を経て聖平小屋まで行く。聖岳を登るのは次の日の予定だ。出発地点の便ケ島の標高は980㍍で、薊畑が2400㍍だから標高差1400メートルを登る。

3時を過ぎると、
がさごそと準備をしている気配が伝わってくる。4時半には明るくなり出発していった人がいた。

きょうの行動時間は6時間ほどだ。あわてて出発していくこともなく、遅くとも9時までに出ても十分間に合うのだが、山は早出が原則であり、次々と出発されるとこちらも落ち着かない。5時に起きだし、朝食をとったら6時には準備ができてしまった。そうなると出ざるを得ない。

気になることがあった、体調が万全ではないのだ。きのうの車の中でずっと頭が重く、なんか気分が悪かった。かみさんは「熱中症にかかったのよ」という。たしかに思い当たる。家を出る前の日の16日はこの夏一番の暑さだった。ふとんに横になっても汗が噴き出す。寝られなかった。

調子が悪かったらゆっくりいけばいい。時間はいやというほどたっぷりあるのだ、と自分に言い聞かす。水を1.5リットル持ってさあ出発だ。

6時10分、便ケ島出発。熊に注意!の看板あり。カウベルを鳴らしながら行く。


西沢渡まではゆるやかな登りなのだが、水平道と思えるほど快適な道が続く。



暗い樹林の中に赤い花が咲いている。


6時40分。登山口から30分ほどで西沢渡に着いた。向こう岸に渡る。木の橋が渡してあるが、荷物用のかご渡しがあった。かみさんはこれに乗って綱をひっぱったがなかなか前に進まない。あきらめたようだ。


6時55分。営林署の廃屋。広い建物だ。かつて人が住んでいただけあって、その気配を感じてしまい、なんとも不気味だ。


廃屋をすぎるといよいよ急登になる。薊畑まではこんな具合かなと
覚悟を決める。体調がいまひとつと自覚しているわりには快調だ。ゆっくり行こうよといいながらもトップのかみさんは先行者を抜いていく。ちょうと速いんじゃない。ゆっくりだと疲れちゃうのよ。まるで私へのあてつけだ。

7時35分。1400㍍地点到着。


蒸し暑い。汗が出る。すぐに頭に巻いたタオルがぐっしょりだ。ときどき絞らないといけないくらい汗が出る。登山道にはいたるところに「滑落注意」の看板がある。道のどちらか一方が切れているのだが、私のような高所恐怖症でも注意しながら通過できたのだから99%の人は問題ない。

9時24分。2000㍍地点到着。


登山道の両わきに花は少ない。ズダヤクシュが涼しげだ。


展望はまったくなく、樹林の中をひたすら高度をかせぐ。


10時15分、2200㍍地点到着。ここからがいけなかった。ばてたのである。心配していた通りだ。10歩進んでは歩みを止めて休む始末。かみさんには先に聖平小屋へ行ってもらう。この日の最高点の薊畑の2400㍍まであとわずかだ。時間はたっぷりあるのだからゆっくり行こう。すぐにかみさんの姿が消えた。絶好調のようだ。


荒い息遣いが続く。先のほうが明るくなり空が見えてきた。もうすぐのようだ。お花畑も出てきた。
11時。薊畑に到着。かみさんの姿はない。ばてたといいながらもここまで5時間で来た。上等だ。ザックが4,5個置いてある。空身で聖岳を目指している人のものだろう。



この薊畑からの眺めは格別だ。青空が広がり、目の前に聖岳が大きくそびえている。あれが頂上か。明日にはあそこに立つ。


振り返れば、上河内岳をはじめとする南アルプス南部の山並みが続いている。なんとも気持ちがいい展望だ。ばてた体も急速に回復した。さてどうしようか。まだ正午前だ。ここから小屋までは20分ほどだ。いま行ったところでなにもすることはない。それならしばらくこの景色を見ていたほうがよほどいいに決まっている。
しかし、あれほどいい天気だったのに、急速にガスが広がり、あっというまに周囲の景色を飲み込んでしまい、まったく見えなくなってしまった。聖岳の山頂部もガスに隠れてしまった。それでも気持ちがいいし、
便ケ島からは次々とやってくるから話し相手に困らない。

1時間ほどいてそろそろかなと腰を上げて向かうまもなく、下からかみさんが登ってきた。小屋の宿泊手続きを済ませ、昼御飯を展望のいい薊畑で食べようと登ってきたのだという。それならというので私もまた薊畑に戻り昼飯を食べた。

結局は腰を上げたのは12時45分で、1時間45分も長居してしまった。


薊畑から小屋までの道もお花畑が続く。多くの種類が咲いている。あまり期待していなかっただけにうれしいものである。道々ひとつひとつ撮ったのだが、顔なじみの花ばかりなので省く。
聖平を見下ろしようになる。降り立って左の木道を行くとじきに小屋だ。


14時ぐらいだろうか。いきなり夕立があった。大粒の雨だ。小屋の前はテント場で、この雨では撤収の時が大変だろうと同情してしまう。というのも、このところ泊まり山行は避難小屋かテントばかりをやってきたから大変さがよくわかる。

小屋は立派だ。サービスがよく、働いている人も好感が持てる。小屋泊まりなんて久しぶりだからなんとも勝手が違った。夕飯も朝飯も出てくる。なにごとも自分でやらねばならないこれまでのスタイルとは違う。

この日は宿泊者は少なく、寝る場所もかなりゆったりできる。ただトイレが遠かった。夜中に起きだしていくのが面倒だ。しかし我慢にも限度がある。ヘッドランプを点けて用を足して戻ってくるとすっかり目が覚めてしまう。

久しぶりの小屋泊まりは快適だった。ただこんな小屋泊まりに慣れてしまうと「オレはテントに戻れるのかな」と心配になる。

あすはできるだけ早く出発したい。聖岳を登ってから上河内岳を経て茶臼小屋まで行くからだ。夕飯を食べてしまうとあとは横になるだけである。


→(続く)あした19日は聖岳登山


 (1)南アルプスの奥深き山へ        (2)便ケ島から聖平小屋へ 
(3)聖岳から上河内岳を経て茶臼小屋へ (4)茶臼岳から光岳を経て易老渡へ


   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖岳と光岳(1)-南アルプスの奥深き山へ

2010-08-22 | 登山



3013㍍の前聖岳。晴れてほしいという願いが通じた

聖岳と光岳を歩いてきた。この2つの山は赤石山脈、いわゆる南アルプスの南部に位置する。これで南アルプスの高峰はすべて踏むことができた。この山域に最初に足を踏み入れてから何十年になるのだろう。最初は北部の仙丈ケ岳と甲斐駒ケ岳だった。それからひとつひとつ南部へと高峰を歩いてきた。残ったのは聖岳と光岳だった。ずっと気になっていた。しかしどうしても登らねばという気持ちはなかった。それからだいぶ年を経た。年をとるにつれて、同じ南アルプスでもむしろ地味な深南部の池口岳や大無間山のほうに関心を持つようになっていた。

この夏山はかみさんのほうが活発だった。東北の山、北アルプスと歩いてきた。その勢い?でこんどは聖岳と光岳へ行きたいという。元気だなあと思いながら、私にとってもいい機会だった。やはり意識下でいつかは歩きたいという気持ちがあったのだろう。それならと久しぶりに2人で歩いてきた。

問題はアクセスだった。この2つの山へのルートは長野県の便ケ島ルートと、静岡県の椹島ルートがある。どちらも登山口までのアクセスが長い。どちらも1日かかる。マイカーを利用して前者のルートを取ることにした。

アクセスの次に気になるのが天気だ。予報では予定した日程すべてに晴れマークが並んだ。当然のこと「連日晴天に恵まれた稜線歩き」に思いを馳せたのだが、実際の山中の天気はちがった。どうなるもんかと気をもんだが、そこそこ満足できる天気で推移してくれた。胸をなでおろした。

ルートは便ケ島をベースにして聖岳から光岳を経て便ケ島に戻るラウンドコースとした。1日目が便ケ島~聖平小屋、2日目は聖平小屋~聖岳~上河内岳~茶臼小屋とした。3日目は光小屋に泊まるか、それとも泊まらないで一気に便ケ島へ下山するか迷った。途中の易老岳に思いのほか早く着いたので、光岳をピストンして一気に下山することにした。がむしゃらに歩いた。意志を実行できる余力があった。「まだまだこれだけの頑張りができるんだな」と自信を持たせてくれた。

この2つの山はやはり奥深い。そんな山に、「行こう」とする意欲があれば行けるんだという当たり前のことを、前回の平ケ岳に続いて実感している。


期日 2010年8月17日(火)~8月21日(土) 4泊5日テント泊&小屋泊
メンバー かみさんと2人
日程
 8月17日(火)晴れ
我孫子市・自宅8:30=柏IC(常磐道)=首都高速=中央道(談合坂SA、諏訪SAで休憩)=飯田IC=易老渡=15:20便ケ島・聖光小屋(テント泊)
 8月18日(水)晴れのち曇り夕立ち
聖光小屋6:10-6:40西沢渡-6:55廃屋-7:35「1400㍍」-9:24「2000㍍」-10:15「2200㍍」-11:00薊畑12:45-13:05聖平小屋(小屋泊)
 8月19日(木)晴れのち曇り夕立ち
聖平小屋5:10-5:20薊畑-6:05小聖岳-6:25水場-7:05聖岳7:15-7:25奥聖岳7:30-7:40聖岳7:55-8:19水場-8:35小聖岳-9:10薊畑-9:30聖平小屋10:00-11:36南岳-12:26上河内岳-12:59竹内門-13:15草原・亀甲状土-13:40茶臼小屋分岐-13:55茶臼小屋(小屋泊) 
 8月20日(金)曇り時々晴れ
茶臼小屋5:35-6:05茶臼岳6:10-6:24仁田池-6:42希望峰-7:59易老岳-9:43静高平・水場-9:51イザルヶ岳分岐-10:00光小屋-10:20光岳-10:30光石-11:07光小屋11:25-13:09易老岳13:15-14:56面平-16:10易老渡-16:45便ケ島・聖光小屋(テント泊)
 8月21日(土)晴れ
聖光小屋=和田宿・かぐらの湯=飯田IC=中央道(諏訪SAで休憩)=首都高速=常磐道=柏IC=我孫子市・自宅
  


聖岳と光岳へのアクセス 

 
登山口となる便ケ島へはどう行くのか。簡単に言えば下記の通りなのだが、ここまできちんとわかるには道路マップとにらめっこして検討しなければならない。

中央高速・飯田ICを出て、右折(塩尻・飯田市街・天竜峡)して153号線=251号線または83号線=矢筈トンネル=152号線の上島トンネル手前を右折してトンネルの上部を登る道に入る=便ケ島・聖光小屋
 
ポイントは矢筈トンネルを抜けて152号線に出ること。次のポイントは152号線から便ケ島への分岐点に注意すること。分岐は「上島トンネル」の手前で、そこを右折する。

152号線を少し走ると上村小中学校が左手に見えてくる。ここから最初のトンネルが「上島トンネル」になる。「おっ、トンネルだ」。「あれが上島トンネル」か。




このトンネルの手前を右折する。右を見ると案内板がある。「南アルプス登山口 ・聖岳・易老岳」。ここだ、間違いない。口に出しながら確認している。トンネルに並行して右手に屋根つきの道がある。そこに入ると便ケ島までは道なりに進めばいい。

ただし道幅が狭いから対向車があるとやっかいだ。一部舗装なしの悪路もあるから運転は慎重にならざるを得ない。上島トンネルの分岐から1時間ほどで、光岳の登山口の易老渡。駐車場があり、水場もある。そこを過ぎるとじきに便ケ島の聖光小屋に着く。


8月17日(火)晴れ
我孫子市・自宅8:30=柏IC(常磐道)=首都高速=中央道(談合坂SA、諏訪SAで休憩)=飯田IC=易老渡=15:20便ケ島・聖光小屋(テント泊)

きょうの目的地である聖光小屋は道のどん詰まりにあった。そこが聖岳への登山口になる。やっと着いたなといった感じである。やはりここまで遠かった。聖光小屋はその左手にあり、テント場や炊事場は右手にある。

車は聖岳の登山口に行きつく。ここが終点だ。



登山口を左に行くと聖光小屋があり、ここでテント場利用の500円を払う。


聖光小屋前の駐車場。


車中泊をする人やテントを張る人は登山口の右手にある駐車場を利用する。そこにはトイレ、炊事場、休憩室がある。いずれも立派で清潔だ。ビールなどの自動販売機まである。想像していたよりかなりすばらしい施設なので内心驚いている。写真左が炊事場、同右が休憩室。


テントは休憩室の中に張っていいという。かなり大きな建物で椅子とテーブルがあり、そのスペースにテントを張る。屋根つきだから雨でも安心だ。さっそく夕飯を作って食べる。夜になって5台ほどの車中泊組とテント組がやってきた。暗くなっても車がやってくる。というのはあの暗い道をやってくるなんて怖いもの知らずだなと思っているから感心してしまう。あすは登山開始。早々に横になる。


→続く。次回(8月18日)は、便ケ島からり聖平小屋へ 


(1)南アルプスの奥深き山へ        (2)便ケ島から聖平小屋へ 
(3)聖岳から上河内岳を経て茶臼小屋へ (4)茶臼岳から光岳を経て易老渡へ


 

   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猛暑を避けて南アルプスへ

2010-08-17 | 登山


   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブロッコリーの植えつけ

2010-08-16 | ブロッコリー

畑は日々夏野菜が消えて秋野菜との端境期に移行している。
キャベツに続いてブロッコリーを植えつけた。これは7月20日にタネをまいたもの。キャベツと同じ苗床で育てた。こんなにきれいに、害虫の被害もなく育ったのもめずらしい。ホント、気持ちいいくらいだ。

これを植えつける。ブロッコリーは本来植え替えには強いのだが、暑さのためたっぷり水を与えながら植えつけた。やはり一部の葉が枯れるなどのダメージがあった。

ブロッコリーも害虫被害を受けやすい。やはり寒冷紗ですっぽり覆う。アブラナ科野菜には害虫対策として寒冷紗は欠かせなくなった。

お盆の時期はそろそろハクサイのタネをまかねばならない。


土日の高速道路1000円を利用して墓参りをしてきた。行きも帰りも渋滞時間を避けたので、すんなりドライブできた。

帰りの15日には長男が同乗した。「我孫子の利根川河川敷で野外コンサートがある。友だちと待ち合わせているので、そこまで乗せて行ってほしい」。長年、我孫子に住んでいるが、そんなものあったっけ。そこは「利根川ゆうゆう公園」だった。長年我孫子に住んでいるが、この公園に足を踏み入れるのは初めて。それにしてもかなり広い河川敷だ。車を先に進めるとしだいに人と車の数が多くなる。最寄り駅の天王台駅からは送迎バスが出ている。駐車スペースはすでにいっぱいだ。テントを張ってくつろいだり、屋台が並んでいる。大がかりなイベントだなとわかってくる。ところどころに「TONE RIVER JAM」とある。これがこのイベントの名前のようだ。

みんな若ものだった。私のような年寄りはだれひとりいない。たまたま私は夏のラフな格好をしていたからよかったものの、年寄りが立ち寄るところではないなと思いながら、会場周辺を歩き回った。すでにステージでは音楽が始まっている。大ぜいの若者がリズムに合わせていた。私もやってみるかと思うほどいい雰囲気だ。

それにしてもだ、こんな野外コンサートが、地元であるなんて初めて知った。それもこんなに大勢の若者が集まるなんて。こんな大勢の若者を見るのも久しぶりだ。熱気に包まれると、こちらも元気になり足取りも軽くなるというもんだ。



   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋冬どりキャベツの植えつけ

2010-08-13 | キャベツ


苗床で害虫の被害もなく育った苗。これを植えつける

8月10日。秋冬どりのキャベツを植えつけた。苗は7月18日に畑の苗床に直接タネをまき、防虫ネットをかぶせて育てたものだ。害虫の被害を受けずにきれいに苗が育った。うまくいった。

本葉が4、5枚になった。そろそろ植えつけなければならない。しかし雨が降らないので畑はカラカラに乾燥している。雨が降るのを待ってから植えつけたほうがいいかなと思ったのだが、先延ばしにするとつい怠けてしまうからか「やるしかないな」と決行した。この暑さだと意欲も萎えてくる。

キャベツは移植に強い。しかしあまり大きくなってから移植すると傷みが出てくるから本葉4枚から6枚ぐらいがちょうどいい。

植えつけ作業は夕方がいい。ウネを作り、株間45センチ程度に植えていく。植え穴には水をたっぷりと、それも意識的に多めに与える。少しの水では根の先端まで水がいかないから注意しなければならない。

植えつけが終われば、寒冷紗ですっぽり覆う。キャベツ栽培で寒冷紗はなくてはならない資材だ。害虫の被害を受けやすいから、収穫までこの寒冷紗はずっとかぶせ続ける。さらに寒冷紗の上から水をたっぷりと与えた。

8月11日。強い日差しだった。心配しながら夕方に畑をのぞくと、やはり苗はぐったりとしている。これはやばいぞとあわてて水をたっぷりやった。この暑さでダメージが大きかった。さてどうなるか。心配は続く。

8月12日。待望の雨だ。ありがたい。すべて枯れ死してしまうのではないかと心配したがこれでひと安心だ。間違いなく根づくはずだ。雨が降って土が湿った状態のときに植えつければなんのことはない作業なのだが、どうもせっかちでいけない。反省するのだが、これができない。

(植え終えたら虫が侵入しないよう寒冷紗で覆う)


   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

建前を迎えた家づくり

2010-08-12 | その他

家を建て替えている。きのうはその建前だった。午前8時からスタートするというので、施主のほうだってなにかとあわただしい。寓居は現場から歩いて2分ほどのところを借りることができたから、現場まではすぐそこである。

重機や建材が運ばれてきて、大工さんたちも10人以上集まり、その熱気はまさに“お祭り”気分だ。きのうは暑かった。日陰に入ってその作業を見ているだけでも汗が噴き出してくる。ましてや炎天下で作業している大工さんたちは、見ているだけでたいへんなことが分かる。

こんどの家はかみさんの意向で、というよりも強い意志で「在来工法による木造注文住宅」となった。大手プレハブメーカーは敬遠して、最初から昔の家づくりで、それも無垢材をたくさん使う家を作ることにした。施工は木造注文住宅を手掛ける地元の工務店だ。かみさんがこの会社の家づくりに惚れてしまったようで、早くからここにまかせると決めていた。

同じ町内でわが家を含めて3軒の家づくりがあった。スタートは同じで、ほか2軒は大手プレハブメーカーに頼んだ。その一軒がちょうど寓居の斜め前になるので進捗状況がよくわかる。作業はなんともはやい。手回しがいいというのか。基礎が終わると建材が運ばれて、ぺたぺたと四方を囲んであっという間に家の形ができてしまう。もうほかの2軒は完成したといってもよく、そのうちの一軒はきのう入居した。こんなにも速く家が建ってしまうのか、という印象をもった。

一方わがほうはといえば、遅々として工事が進まない。どうしたのかと心配するほどだった。それに着工が実際遅れたこともあり、やっときのう上棟を迎えたといった感じである。

棟梁は次々と組み上げられる家を見ながら私に言う。「家づくりは骨組みが一番大切。どんなに見た目が良くてもなかの骨組みが悪けりゃどうにもならない」。こんな親方だから、かみさんは気に入ったのだろう。夕方の5時には無事に上棟をすませた。家の骨格ができた。これでひと安心だ。竣工は11月末だというから、あと4カ月近く先である。これが新しい家になるのかと、その骨組みを見上げていた。








   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

更新剪定で秋ナスを作る

2010-08-10 | ナス


これは6月にタネをまいたナス。夏バテしないで若々しい 

ナスの漬物はうまい。私にはもったいないほどのうまさである。それほど好きだから最後まで食べずに残して、晩酌の締めの熱いご飯をこれで食べる。ショウガ醤油がご飯にしみるようたっぷりつけてのせるのだが、他人からみればなんともみみっちい食べ方に映るだろう。これがたまらない。漬物は好きなんだがかみさんが作ってくれないから、なんてことをよく聞く。漬物は売っているものはどうもいけない。やはり自家製が一番だ。

これほどナスの漬物はお気に入りだから、ナス栽培には力を入れる。これからは秋ナスだ。秋ナスを食べるためわが菜園では2通りの準備をする。1つは更新剪定をすること。もう1つは秋ナス用に事前に苗を育成しておくことだ。

1、8月の上旬はちょうど更新剪定をする時期になる。どこの菜園でも最初のナスは5月初旬に植えつけたものだ。8月の暑い時期になると木も疲れて実なりが悪くなり葉も黄色く変色してくる。夏バテといってよい。これを再生するため“更新剪定”をする。更新剪定は、枝を3分の1から3分の2ぐらいに切り戻す作業だ。強く剪定して丸坊主にしてしまうと枯れる枝も出てくるから、枝に葉が1、2枚残した状態にするといい。こんなにして大丈夫かと思うほど全体を思い切ってやるのがコツだ。剪定を終えて再収穫できるようになるまでに40日ぐらいかかる。いまやれば9月中旬ごろに秋ナス誕生となる。

2、更新剪定とは別に、秋ナス用の苗を作っている。これはタネをまいて、ビニールトンネルで苗を作る。私は5月と6月にタネをまいた。そして6月3日と7月9日に植えつけた。これで今年は5月、6月、7月と3回に分けて植えつけたことになる。6月に植えつけたものはいま収穫中だ。7月に植えつけたもの(写真上)は若いだけに活発に伸長し夏バテ知らずで9月が待ち遠しい。

ここまでやれば秋ナスは万全、安心なのだが、心配は台風襲来だ。一夜にしてだめになることがある。


   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ことしのカボチャはどうなっているの

2010-08-09 | カボチャ



「今年はカボチャはどうしたの」
かみさんが急に思い出したかのようにいう。
「カボチャか。すっかり忘れていた」
それならとすぐに畑に飛んで行った。夕方に行けばいいものをと思いながら。やはり正午近くの畑は暑い。日差しをさえぎるものはない。どの野菜もこの暑さからわが身の水分蒸発を守るようにじっと縮こまっている。

カボチャは今年も出来がいい。次々と実がなるのを確認していたからそれはわかるのだが、それ以降まったくといっていいほど生育ぶりを見ていない。

見ていないというよりは、カボチャはツルが縦横に走るので、下草刈りなどはまったくせず手をかけていないから、雑草が覆い茂ってしまい、その中に隠れてしまって見えないのである。

このあたりにあったかなと見当をつけて雑草の中を探し回る。次々と雑草の中から姿を現す。やや小ぶりかな。3個収穫してからも、全体でどれほど実をつけているかなと探し回るのだが、雑草の中を探すのは面倒だ。それ以上にこの暑さの中の作業はつらい。こんど食べるときにまた探せばいいかなとあきらめた。

すぐに“割った”。鮮やかな黄色、いや山吹色か。これの煮物が昼食に出てきた。すりつぶして冷たくしたスープも好きだ。

次々と収穫できている夏野菜の中で、カボチャが一番遅い収穫となった。これで夏に予定していた野菜すべてを収穫できた。


   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大玉トマト絶好調

2010-08-07 | トマト

「所ジョージが畑で熱中症」という報道は菜園でも話題になった。これは菜園をやっている人にはたしかにありえることで、ちょっとばかり笑ってしまったが、笑いごとではない。明日はわが身に降りかかる。昼下がりに畑に行ってみるとよくわかる。すぐに熱気に包まれ、瞬時に立ちくらみで倒れてしまいそうだ。作業をする気はまったく起こらず、用事が済めば早々に立ち去るだけである。

いまは日中には畑へ行かない。作業は夕方の5時半以降である。日没の7時まで作業ができる。この間にてきぱきと収穫やら植えつけを行い、そのあとにスロージョギングを行う。畑の作業といってもその9割が草取りである。雑草の勢いは落ちてきたのだがいまでもその作業に追われている。

この暑さに負けないのが真っ赤なトマトだ。次々と赤く色を染めている。まるで太陽の熱さにはこの赤で対抗しているかのようだ。いま好調なトマトは大玉だ。ここにきて毎日のように収穫できている。これまではミニと中玉が主だった。大玉がとれても2、3個ぐらいだったのが、急にとれ出した。味は別にして見た目はやはり大玉にかなわない。たっぷりと大きく膨らんだトマトを手に取ると、よくもまあこんな立派なトマトができるもんだと、毎年のことならが収穫の喜びを感じるのである。

私の場合は、トマトはその成育と収穫を楽しむためのようで、ほかの野菜に比べて食べることにはあまり関心がない。酒の肴にナスの漬物、シシトウ焼き、冷やしトマトの3品が出てきたとする。この中から2品選べといわれれば、私はナスとシシトウを迷わず選ぶ。しかしたいがいの人はトマトを選んではずすことはないと思う。

そのトマトも残り少なくなった。しだいにトマトハウスの中の赤い色が減ってきた。それでもかみさんが食べる分はこの夏も自家栽培できそうである。


   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平ケ岳ーはるかな頂へ12時間(3)

2010-08-05 | 登山

平ケ岳 

玉子石。平ケ岳の名物になった。名物に見るものなしというが。
ここまで名が知れると、知らん顔して素通りもできない 

 

←7月31日(1)=平ケ岳へのアクセス
←8月 1日(2)= 登山前半


8月1日 清四郎小屋・鷹ノ巣高原キャンプ場3:30=鷹ノ巣・平ケ岳登山口4:00-6:10下台倉山-7:10台倉山-7:20台倉清水-8:08白沢清水-9:22池ノ岳(姫ノ池)-9:55平が岳10:30-11:05玉子石11:15-11:40池ノ岳(姫ノ池)12:00-12:41白沢清水-13:25台倉清水-13:39台倉山-14:37下台倉山-16:05登山口=16:15鷹ノ巣高原キャンプ場(泊)


前回は、9時55分平ケ岳山頂到着まで記した。
もうひとがんばりだ。先へ進もう。

山頂で昼食を取るつもりでいた。この先にもゆるやかな登りの木道が延びている。先まで行ってみよう。道はずっと続いているのだが、すぐに柵があり行き止まりだった。ここからは越後の山々の眺めがいいことは事前情報で知っていた。しかしガスだ。この天気ではどうしようもない。目の前に池塘が広がっている。なんともみずみずしい。気分がいいからここで昼食だ。こんな景色を見ながらのんびりすれば、登りのつらさなんて忘れてしまう。

10時から10時30分。
昼食


柵があるのはたぶん湿原保護のためだろう。その柵の上に赤いトマトを置いた。なんの意味もないだが、こうして写真を撮ったら面白いのではと思っただけだ。しかしちっとも面白くない。たぶん帰りに立ち寄る“名所”の玉子石を意識して、トマト石と見立てたのかもしれない。バカだね、なんていわれてしまいそうだ。
昼食は「アルファ米 お赤飯」。これがなかなかうまかった。完食だった。



私のことだから、遠望がきけば山々の同定に夢中になるのだが、この天気では昼飯を食べ終えれば下山開始だ。玉子石に向かう。

8月に入ると山上湿原の花も終わりだ。
ワタスゲ。さびしげな風情。


チングルマ。風にくるくる舞っていた。




10時45分。
山頂の水場。玉子石に向かう途中に板張りのテント場があった。2張り程度の広さだ。その前に水場。細い流れだ。すぐに飲んでみた。白沢清水に比べると硬い。山頂付近に水場があるのは貴重だ。それだからこそ目の前にテント場をつくったのだろう。
ガイドブックには山頂はキャンプ禁止と書いてある。登ってくるときに前夜泊のテント組がちょうど下山してくるところだった。話を聞くと前夜は3組、3張りのテントだったという。テント禁止でもテント組はいる。どうなっているのかさっぱり分からない。たぶん周知徹底していないからだろうが、テント禁止は湿原保護、糞尿汚染防止のためだろう。トイレはない。“キジ撃ち”は水場の上流ではしないだろうから周辺の草むらか下流ということになる。大便持ち帰りの人もあろうが、大半は垂れ流しだ。



水場の目の前にあるテント場。



水場周辺の花。







11時5分~15分。
玉子石。すっかり平ケ岳の名物になった。名物に見るものなしというが。ここまで名が知れると、知らん顔して素通りもできない。ピークハンター以外は全部といっていいほどこの玉子石を見て帰るはずだ。名所旧跡が大嫌いな私もその一人になった。ここまで抜きつ抜かれつの福島・郡山の夫婦が先にいた。カメラをおねがいした。なんとも奇妙は石なのだが、「こんなもんである」。



後ろから見た玉子石。
この玉子石の後ろに道があった。足を踏み入れてみたのだが木が張り出していてなかなか先に進めない。歩かれていないようだ。もしかしたらこの道が「中ノ岐ルート」の道なのかと一瞬思ったからである。しかし木々が覆いかぶさった状態のこの道では歩くには無理がある。中ノ岐コースはここではないなと判断した。

それなら「中ノ岐ルート」はどこから分岐しているのか。持ってきた山と高原地図であらためて確かめた。この玉子石から近くの左手にあるようだ。来た道を戻りながら注意していると、分岐は玉子石から5分ほどのところにあった。分岐を示す道標はない。古い木道が延びているから間違いない。足跡もたくさんある。「なぜ道標がないのだろう」。それはすぐにわかった。ここを下山したとしても、とてつもない長い林道歩きを強いられるからだ。「中ノ岐ルート」は送迎車があってこその登山道ということになる。自分では歩いていないのに「中ノ岐ルート」の知識を多く仕入れたものだ。まあ余計な知識なのだが、この山の全体を知る手掛かりにもなる。



玉子石分岐から姫ノ池を目指す。またテントサイトが出てきた。水はさきほどの水場で得られる。しかし傾斜がある。ここにテント張るのか。ちょっと厳しい。さきほどの板張りのテントサイトのほうが快適だ。



11時40分。
姫ノ池。
山頂から玉子石経由でここまで1時間40分ほどかかった。
前述したように、帰りにはこの山上湿原が一望できるよう天気がよくなることを期待していたのだが、悪くなる一方だ。来たときに2枚ほど写真を撮っておいてよかったと思う。それでも晴れ間が出るのではないかと、かすかな期待を抱いて休憩をかねて20分ほど休んだ。しかしガスは晴れない。あきらめざるを得ない。



12時。さあ下山開始だ。ひたすら下る。
12時41分。白沢清水。やっぱりたらふく飲んだ。
13時25分。台倉清水。恋ノ岐沢を詰めてきたパーティと出会う。
ここまで順調で来たのだが、足に疲れが出てきた。やっぱりな。ペースダウン。
13時39分。台倉山
14時37分。下台倉山。
ここからヤセ尾根の急な下りになる。足に疲れが出てきたのでここは一歩一歩慎重に歩かねばならない、と自分言い聞かせた。ここからだと、どんなに遅く歩いても日暮れまでには登山口に着く。一人だからどんなに遅く歩いても文句を言うやつはいないからね。
登るときはそれほど感じなかたのだが、このヤセ尾根は長かった。



どこまでも続くヤセ尾根の下り。



16時5分。登山口到着。やっと着いたといった感じだ。帰りの台倉清水あたりから足に疲れが出たてペースダウンした。往復所要時間12時間。往きは長いようで短い、帰りは短いようで長い、そんな道のりだった。



満杯だった駐車場もすっかり空きができた。



きょうはまた鷹ノ巣キャンプ場に泊まる。途中一緒になった人に頼んで車で送ってもらった。

きょうの汗は尋常ではなかった。ザックまでしみて気持ちが悪い。キャンプ場の水で体を拭いた。少しはさっぱりしたのだがどうも満足ではない感じだ。ふと気がついた。目の前の清四郎小屋には露天風呂があるんだと。やっぱり湯につかりたい。400円を払って露天風呂に入った。これですっきりした。食事を作り、ビールと清酒を飲めばあとはやることはなく、ただ寝るしかない。2カ月半ぶりの山、それも長丁場で有名なルートを歩けた。案外やるもんだ。充実した一日だった。


 8月2日 清四郎小屋・鷹ノ巣キャンプ場9:52=10:05尾瀬口船着場10:15(奥只見湖定期船)=奥只見湖船着場10:55=11:45(南越後観光定期バス)=13:05浦佐駅東口=上野駅=我孫子駅

夜中に大雨が降った。テントをたたく音が明け方まで続いた。きょう登る予定の人はどうするのだろうかと気になった。明け方には雨がやんだので、清四郎小屋に泊まっていた人はすべて出発した。山のほうを見るとガスだ。

この雨でテントの撤収がたいへんだった。帰りのバスの時間は9時52分。それまでテントを乾かす。時間はたっぷりあるのだがなにかと面倒である。

帰りは来たルートをそのまま戻る。
荷づくりをすませて清四郎小屋の奥さんにあいさつしてバスを待つ。尾瀬口船着き場へのバスは私一人だった。天気はだいぶ回復してきたのだが、晴れ間は見えない。

尾瀬口船着き場で船を待つ。桟橋から見ると緑が水面に映ってきれいだ。






船がやってきた。上下左右シンメトリーの世界になった。ロマンチックな光景だなと船がしだいに近づいて来るのを眺めていた。





奥只見湖の船旅は快適この上ない。来るときよりも帰りのほうはずっと気分がいい。それは登り終えた充実感と開放感がそうさせているのだとわかっていても、なんでこんなに気持ちがいいんだろうと思ってしまうほど気分がいい。
湖面をわたる風に身をまかせ、白い波、山々の緑、遠く重なる山々をぼんやりとなにも考えることなく目をやっている。気分が落ち着くのがよくわかる。いまならだれにもやさしくなれるなと思う。





燧ケ岳がかすんで見える。

荒沢岳も見えた。










(完)


   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする