30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

そろそろ春の準備、3日に小型耕運機で始動

2024-02-05 | その他


3日に、たい肥と苦土石灰をまいて、菜園の半分を耕運機で耕す

寒さがつらい。炬燵で丸まっていたい。しかし体も心もだらけてしまいがち。これがいやで用事もないのに寒風の中を外出する。寒さに身をさらすと背筋が伸びて気分だってピリッとする。注意すべきは年寄りの冷や水か。そう苦笑いしながら、夕方のウオーキングは強い北風に向かってすすむ。これは厳しい。そうだ背に受けてすすめばいいのだと、このところコースを逆回りにしている。

3日に小型耕運機で菜園の半分を耕した。春に向かっての始動だ。この日はぽかぽか陽気。思い立ってやることにした。たい肥と苦土石灰をまいて、菜園用の小さな耕運機で耕した。

今年はどこになにを植えて、育てるかを思案しながら、ゆっくりと耕運機を押しすすめる。

年を取るにしたがって耕運機のありがたさを知る。この耕運機は近くで菜園をやっていた人から譲り受けたもの。使い始めてから何年たっているのか検索したら2010年3月の記事が出てきた。その時点で10年というのだから、わたくしが使い始めたのは2000年ごろになり、もうかれこれ24年近くもこの耕運機の世話になっていることになる。

ホンダの「こまめ」。もちろん旧式。いっとき具合が悪くなり、修理に2度ほど出した。寿命なのか調子も馬力もいまいちだ。それでも頑張って、そう、頑張ってという表現がぴったりした動きになっている。老いたもの同士、互いにいたわりあって耕しているといったところか。


以下は、2010年3月の記事。こんな記事を書いていたんだと懐かしく読んだ。 

私は小型耕運機である。生まれた場所はホンダの工場だというのは分かっている。生年月日までは覚えていない。仕えるのは今の主人で2人目になる。私を買ってくれた主人から今の主人に譲られたのが10年前だという。

いまは農業ブームらしい。私の仲間を家庭菜園でよくみかける。それに盛んに宣伝されるようになった。生まれた当時、家庭菜園で私たちが活躍する姿をほとんどみなかったのだからか、いまの活況をみると隔世の感がある。今の主人の菜園の周りでも私たちの仲間が活躍している。以前は一人ぼっちだったのだから仲間が増えて素直にうれしい。

私の出番は年に2回ある。2月末と8月末だ。私がいま仕える主人は私をあまり好きでなかったようだ。身寄りがないからといって私をもらってくれたのだと思う。「家庭菜園は機械に頼らず自力で耕すことが本来の喜びだ」なんて言っていた人だからきっとそうだ。

風向きが変わった。そんなことを言っていた主人だが、このところ私をすっかり頼りにしてくれている。私もうれしい。その最大の理由は、たぶん主人が年をとって、シャベルで耕すのが大変になったからだろうか。たとえ50坪の狭い菜園でも、いざ自力で耕すとなると大変なことは私にだってわかる。そこで私の出番が年年多くなってきたというわけだ。だから主人はよくしてくれる。

つい最近のこと。私の出番があった。春の畑の準備である。物置小屋から久しぶりに外に出してくれた。主人はガソリン、オイルを必ず点検する。そしていざ畑へ出発だ。畑までは主人に引かれて住宅地を抜ける。以前は好奇の目で見られ恥ずかしかった。いまは仲間が増えたこともあってあたりまえの「風景」になった。私だって春の兆しを感じるのはとてもうれしい。それに久しぶりに活躍できるのだから。

畑に着いた。さあやるぞお。エンジンが鳴り響く。快調だ。ところが、ここで主人の声が聞こえた。「おかしいな。前に動かないぞ」とぶつくさ言っているのだ。それに「馬力もなくなってきたみたいだ」なんてこともいっている。そういわれると不安になる。いままで精一杯元気だったのだから。うっ、たしかに前に進まない。

主人はあわてているようだ。しばらくして「あっ、そうか。クラッチレバーを握るを忘れていたんだ。これじゃ前に進まないはずだ」。あきれた話だ。久しぶりの運転で主人は私の操作を忘れてしまったらしい。主人とは10年来の長い付き合いだ。こんな事態ははじめてのことでショックだった。やはり寄る年波に勝てなくなってきているのか。

これで前に進めたのだが、また問題が出てきた。こんどは馬力が出ないようだ。前進できてもロータリーが土にくいこんで回転できるだけの力がなく、むなしくゆっくりと回転している自分の姿が情けない。「やっぱり壊れたのかな」と主人は自分のことは棚に上げて私のことをそういう。しかし私も生をうけてもう10数年だ。どこかにガタがきてもけっしておかしくない。

しばらくエンジンをふかしていたら、しだいに力が戻ってきた。「よかった、よかった」。主人も一安心している。私も胸をなでおろした。これで予定していた面積を全面耕すことができた。

こんどは私がショックを受ける番だった。ホンダの工場で生まれてからこのかた、自分の力をすぐに発揮できなくなる事態になるなんて信じられなかった。私も主人同様寄る年波に勝てなくなってきているということか。私の寿命は何年なのか知らないが、主人はこのところ「オレの寿命はそろそろかな」なんておどけて言っているのだが、それが口癖になっているところをみると冗談とは思えない。それならいっそのこと私がサポートしていかなければと自覚してきたのだが、ああ、私がこんな状態になろうとは。

私がいなくなっては主人は困る。こんなことがあってから主人はいっそう私を大事にしてくれている。ホースの水でこれでもかというほど泥を落としてくれて、さっぱりとこぎれいにしてくれる。私もいつのまにか主人と同じく年をとったのだろうか。そんな現実を思い知らされた早春の一日だった。


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