11月25日のブログの続きです。
君ヶ畑からもうひとつの木地師のふるさと蛭谷へ向かいます。先ほど通ったバス停の方へは戻らず、県道34号線を先へ進むと・・・。惟喬親王御陵の看板が見えるところに・・・。ここでは以前勤めていた会社のOB 小椋一衛氏が待っていてくれました。
鳥居をくぐって進むと・・・。惟喬親王像が。
さらに進むと惟喬親王幽棲の跡地。そして御陵がありました。
この標識は千軒跡。往時は筒井千軒、小椋千軒、藤川千軒と言われるほど数多くの木地師たちが住んでいたのです。
この地は水が悪かったため、バス停のあるところに下りてきたのだそうです。
筒井神社と龍應山帰雲庵が隣接してある。筒井神社は往時、筒井公文所とともにあり、全国に広がる木地師を掌握、木地師の特権を認めた「木地屋文書」を与え奉加金を徴収していてその数は五万人にも達したようです。その様子は氏子駆帳に残っている。(君ヶ畑のほうも同じように氏子狩帳がある)
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木地師資料館に入りました。
貴重な氏子駆帳、その他多くの資料を説明していただきました。
全国の木地師たちがここに集まってくるのだそうです。
ここを出て、近江八幡d\駅への帰途につきました。