「致知」2015年5月号、読了しました。
表紙と特集記事の目次です。今月の特集は「人生心得帖」です。
一昨日のブログの続きです。
いよいよダイヤモンドトレイル(金剛・北葛城遊歩道)を歩き始めます。出発点の吊り橋の標高は280mです。
住宅地を過ぎると山道に入ります。シダが陽にあたりとても魅力的です。
ひたすら登り道・・・。途中休憩を取りながら標高477mのボテ峠へ到着。200mほど登ったことになりますね。
番屋峠、追分とアップダウンを繰り返してやっと施福寺に到着しました。
施福寺の本堂です。
槇尾山施福寺は西国巡礼 第4番札所です。ここから金剛山、岩涌山が遠望できました。
槇尾山バス停のオレンジバスは15時28分発です。やり過ごすと次のバスは2時間後、14時55分から急いで槇尾山バス停へ下ります。
仁王門です。
満願の滝を見て、オレンジバス、南海バスを乗り継ぎ和泉中央駅へ到着。王将での懇親会となりました。
好天に恵まれ、いいハイキングとなりました。
5月23日(土)14時から、尼崎市立中央図書館で平家物語を読む会がありました。16日開催予定だったのですが、急に図書館側の行事が入った為1週間遅れで開催されたのです。出席者は27名でした。
開講前の砂川先生のお話は、平家物語と日本人の関係について。平家物語が将軍、大名のみならず20世紀半ばまでの日本人の価値観を縛ってきたかについていろいろな例を挙げながら説明されました。また平家物語の世界は「諸行無常、盛者必衰、修因感果(因果応報)などの仏教思想と撫民仁政の儒教思想」と喝破される。
今回から巻第十一 「大臣殿被斬(おほいとのきられ)」に入りましたが、テキストは全く進まず、レジュメの「吾妻鏡 文治元年5月16日、6月7日の条」を読みました。吾妻鏡は1300年頃成立した北条氏から見た歴史書で、すでに平家物語は成立していたから、平家物語も参考にしたと思われるが、独自の視点で書かれたものだ。しかし当然頼朝は褒め称えられている。しかし頼朝の死についての記述は全くないことが謎なのだそうだ。
この2条から、頼朝が宗盛をいかに厚遇したか、宗盛がいかに情けない振る舞いをしたかが描かれている。頼朝の宗盛に対するものは「本当の敬意なのであろうか、皮肉ではないか」と思わせるほどである。また宗盛が出家をして死罪を免れようとしているのに対し砂川先生は「まさに平安貴族の感覚だ。平安貴族の間では死罪という言葉はあったが、実際は出家をして流刑だった」と仰る。
久しぶりに庄下川沿いを歩いて帰宅しました。花々を見ても季節の移ろいを感じます。
5月22日(金)、土佐堀会のハイキング 滝畑ダム~施福寺 に参加しました。当日はとてもさわやかな天候でした。
河内長野駅に集合、11時2分発のバスに乗り、滝畑ダムサイトの清水で下車します。まず向かったのが「滝畑ふるさと文化財の森センタ-」です。
ここには旧梶谷家住宅という茅葺き民家等があります。
滝畑ダムと旧梶谷家住宅です。
旧梶谷家住宅は河内長野市指定文化財になっています。18世紀中子のの建築で、当時の庶民の暮らしを知るうえで重要なものです。当日昼から小学生の団体が下の写真(2枚目)の石臼できなこを作る実習をするとのことでした。
下の写真は米をつく「唐臼」。
同一敷地内には護郷の鐘(元禄元年 1694年 に、当時の庄屋場施主と尚地蔵堂に寄進したもので、依頼村仁達に守られてきた)、不食供養碑という石碑群があります。
左側に見える山は岩涌山(標高897m)。山頂が草で覆われているように見えますが、これは茅場で山頂の北側斜面 面積は8haあります。冬に茅を刈り取った後山焼きされます。
昼食の後、ふと空を見ると彩雲が見えました。
(WIKIPEDIAより抜粋)彩雲(さいうん)は、太陽の近くを通りかかった雲雲が、緑や赤に彩られる現象である。英語ではiridescent cloudsと呼ぶ。
瑞雲(ずいうん)、慶雲(けいうん)、景雲(けいうん)、紫雲(しうん)などともいう。(抜粋終わり)
瑞相の一つとされ、来迎図にも描かれている彩雲、文化センターを出発し滝畑ダムサイトを歩いている途中からも見ることが出来ました。
何かよいことがありそうです。
続きは明後日のブログで。
5月24日(日)のブログの続きです。
奥の院を参拝した後は、表参道ではなく最寄りのバス停奥の院前へ。ここで昼食としました。
バスに乗り、金剛峯寺に向かいます。
パンフレットです。
表門を入ると主殿です。主殿の右手にある柱には、持仏間に安置されており16年ぶりにご開帳されているご本尊の弘法大師坐像と結ばれている綱があり、その綱に触ることでご本尊に触れることができるのです。なお、拝観するともっと間近で御大師さまと対面しながら同じことができるのです。
主殿から別殿への渡り廊下にある枯山水の庭です。
新別殿ではお菓子のご接待と、法話があります。またその中は撮影ができます。
一番の見どころは中島千波さんが描かれた桜の障壁画です。
御大師様と曼荼羅図。
この庭は蟠龍庭。日本最大の石庭です。
厨房ですね。
続いて霊宝館に向かいました。
霊宝館のパンフレットです。
(パンフレットより )高野山は弘法大師空海により弘仁7年(816)に開かれました。高野山内117の寺院に伝わる寺宝は1200年を経た今もなお膨大な量であり、まさしく日本宗教美術の殿堂といえます。
高野山霊宝館はそのうち、国宝、重要文化財などの指定文化財約28000点のほか、50000点にのぼる絵画・彫刻・工芸品・書跡などを収蔵しており、これら貴重な文化遺産を大切に守り伝えるとともに、みなさ まに順次公開していきます。(パンフレット終わり)
現在高野山開創1200年記念展を開催中ですが、開創法会期間中限定特別公開されているのが下のパンフレット右側の「三大秘宝と快慶作孔雀明王像」です。
いいときに高野山参拝ができました。
5月21日(木) 18時30分から塚口の「愛蓮」でやろう会の例会がありました。今回の参加者は少なく12名でした。
お話はやろう会創設当時からの元会員礒田洋一氏の「まちを元気に・皆が主役」です。
礒田さんはずっと地域のための活動を続けておられますが、塚口本町の古民家空き店舗再生、塚口バルでの町おこし、町の便利な修理屋さん、阪神シルバーネットワーク等々の活動事例を含めてお話をいただきました。
その後2テーブルに分かれ話しに花が咲き、あっという間お開きの時間となりました。
一昨日のブログの続きです。保久良神社には多くの磐座があります。
(WIKIPEDIAより抜粋)創立に関する詳細は不明であるが、境内外に多数の磐座群が見られ古代祭祀の場であったと考えられる。境内外地より石器時代、青銅器時代、弥生時代後期の弥生式土器や石斧、石剣など種々の遺物、特に有名な物として約20cmの銅戈(重要文化財)が出土している。その何れもが儀礼的用途をもつものと考証され、祝部土器、玻璃性勾玉も発見され祭祀は非常に古い時代から行われていたと考えられる。(抜粋終了)
境内には祭神の一柱である椎根津彦命の事績を記した立て札があります。神武東征のときに先導者となって功績を認められ、倭宿禰として天皇を補佐したのだそうです。
拝殿のすぐ前にある立石。
この磐座は「神生石」。立ち入り禁止区域にあり近づけません。
神社の裏、梅林との間にある磐座群。古代、ここで祭祀が執り行われたのでしょう。
神社の中は、鬱蒼とした森です。
一昨日のブログの続きです。
高野山ケーブルで高野山駅に到着、帰りの特急電車を予約しようと窓口に行くと全て売り切れです。5月21日まで高野山開創1200年記念大法会の終盤とあって、高野山は平日でも人出がすごく、到着してからでも特急券を買えると思っていたのが甘かったようです。
高野山マップの一部です。高野山はもっと広いのですが、奥の院から金剛峯寺、霊宝館までにトリミングしました。
奥の院の弘法大師御廟に参拝することにし、バスで奥の院口まで行き、表参道を歩くことにしました。
上の地図でもわかるように、奥の院まで約2kmの表参道の両側には古い杉木立と全国の大名家の墓所が並び、とても趣があると同時に、厳かな感に打たれるのです。
一の橋です。弘法大師御廟への浄域への入り口で、2kmの参道の両側には20万基を超える大名のお墓、記念塔などが並んでいます。
これは武田信玄、勝頼公の墓所。このように案内板が建っているものも有ります。
前田利長公、法然上人、豊臣家墓所への入り口と墓所、織田信長の墓です。(クリックすると大きくなります)
中には石廟もあります。
これは汗かき地蔵と姿見の井戸(右奥)。
苔むした墓、石、杉・・・・。趣と同時に厳かな感じになります。
御廟橋を渡るとそこは霊域。古くから参拝する人を御大師様がこの橋まで迎えに来て下さり、また送って下さるとの言い伝えがあり、往き、帰りに合掌して霊域に入るのです。
奥の院が見えてきました。ここからは撮影禁止なのです。弘法大師御廟は奥の院の建物の裏手にあり、現在もっこで弘法大師が禅定を続けているとされています。毎日維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が衣服と二回の食事を給仕しているのです。
参拝が終わり御廟橋へ、通り過ぎたところにある水向地蔵を沢山の人びとが熱心に拝んでいます。
続きは5月27日のブログで。
5月20日(水)、保久良神社に参拝しました。保久良神社は阪急岡本の山手(保久良山)にあり、金鳥山経由六甲山頂、芦屋ロックガーデンなど六甲山ハイキングの通過点でもあり、また梅林でも有名ですからお参りした人は多いでしょう。
阪急電鉄岡本駅から北に少し坂道を登り、「山麓リボンの道」を東へ進むと保久良神社の参道に出ます。
参道は当初住宅地の中を進みますが、
途中からは急な坂道になり、
大きなマンションの裏手を過ぎると鬱蒼とした森の中を進みます。
保久良神社は海抜185m、駅から2,30分の地点なので早朝参拝する人びとも多いようです。
保久良神社の鳥居とその前にある常夜灯「灘の一つ火」です。
この石灯籠は文政8年(1825年)のものですが、往古はかがり火を燃やし中世の昔から「灘の一つ火」海上交通の目印になっていたのだそうです。最初の灯台ですね。
保久良神社の拝殿です。須佐之男命、大国主命、大歳御祖命、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が祀られています。
保久良神社には多くの磐座があります。そのいわれについては明後日のブログで。
5月18日(月)、高野山へ行きました。
切符は「高野山1dayチケット」。高野山に行くのに必要な電車、ケーブル、バスの切符と高野山の有料施設や食事処、お土産屋さんで使える割引券がついているのです。(小さい写真はクリックすると大きくなります)
当日ネットで手配した特急券を利用、9時難波発の特急高野に乗りました。
橋本以遠は初めてなので、車窓からパチリ。
橋本駅を出るとすぐに紀ノ川を横断し、和歌山県に入ります。
真田幸村で有名な九度山駅。富有柿の名産地なのです。
これが柿の木、とても立派ですね。
極楽橋が見えると終着駅である極楽橋駅です。標高は538m。ここでケーブルに乗り換えます。
このケーブルは30°の急勾配で標高差328mを約5分で登ります。
終点の高野山駅に到着しました。標高は867m。所要時間は難波から約1時間半でした。
続きは明後日のブログで。