K.テツのひとりごと

行動記録、趣味の話などを書いてゆきます

寺内町 今井町

2011年11月30日 | 奈良

 11月22日のブログの続きです。奈良県橿原市にある今井町は称念寺を中心とした寺内町で平成5年に重要伝統的建造物群保存地区に指定された環濠集落です。

今井町の紹介パンフレットです。

 

パンフレットにもあるとおり「大和の金は今井にて七分」といわれるほど繁盛した町で、現在も町の大半の町家が江戸時代の姿を残しています。

 

崩れかけた家もあります。

 

 訪れた11月21日は月曜のため、ほとんどの施設はお休みでしたが、人影の少ない古い街並みを散策いたしました。月曜日以外の日に再訪するつもりです。

 また11月22日の朝日新聞朝刊に「堺と並ぶ商業都市として中近世に栄えた奈良県橿原市の今井町で、大量の土砂で埋められた、16世紀後半ごろとみられる壕の一部が見つかった。市教委が21日発表した。当時、自治都市だった  今井町は戦国大名の織田信長と敵対しており、信長と和睦した際、その条件として埋められた可能性があるとしている。  」との記事が出ていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹田義之氏写真展 「ゴンの世界」

2011年11月29日 | 写真

 大阪西天満にあるフォトピアギャラリーで27日(日)から開催されている、竹田義之氏の写真展「ゴンの世界」に行ってきました。竹田氏は私が8月に入塾した写塾AIMの大先輩です。

 

 

 竹田さんのゴンに対する優しいまなざしが感じられる、とてもいい写真がたくさんありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫芸術文化センター管弦楽団 第47回定期演奏会

2011年11月28日 | 音楽

 昨日15時から兵庫芸術文化センター管弦楽団 第47回定期演奏会がありました。

 チラシおよびプログラムです。

 

 今回はバッハとブルックナーです。二人とも優れた教会のオルガン奏者だったそうです。指揮は下野竜也氏。昨年のジルヴェスター・コンサート以来の登場です。昨年はベートーヴェンの第9とドヴォルザークの新世界を指揮しましたが、PACの定期演奏会ではブルックナーに取り組み、今まで第4番、第7番と指揮してきました。今回は第8番というわけです。

 バッハのヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV1042 ヴァイオリンは和波孝禧氏。プログラムを見るとバッハの作品を得意とされておられ、アンコールはバッハ作曲:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番よりジーグ でした。

 休憩のあとブルックナーの交響曲第8番 ハ短調。ブルックナーの交響曲の中でも最大規模の曲です。演奏時間は90分間でしたが、下野氏の指揮に楽団員が呼応し、ひきこまれる素晴らしい演奏でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平家物語を読む会(11月)

2011年11月27日 | 講座・会合

 10時から平家物語を読む会がありました。例会は第3土曜日の14時から開催されるのですが、今月は尼崎中央図書館の行事で例会場が使えないため変更されたもの。今回から佳境の巻第11に入ります。

 物語に入る前の砂川先生のお話。来年のNHKの大河ドラマが「平清盛」になったおかげで、各所で話をする機会が増えた。人間を評価するのは難しいとつくづく感じる。たとえば伊達騒動の原田甲斐は地元では従来から大悪人という評価だが、山本周五郎の「樅の木は残った」では幕府による取りつぶしから藩を守るために尽力した忠臣として描かれている。清盛も従来から悪人とされることが多いが、平家物語史観によるものだと思う。清盛が行った悪いことというのは、治承3年のクーデター、独断で行ったとされる福原遷都が挙げられるが、清盛の「自分は桓武天皇の子孫」という意識がなせるワザかもしれない。当時の人(現代でも)は自分の出自について相当意識を持っていた。合戦の時の名乗りは先祖を意識していたことの表れだと思う。逆に良いこととしては貿易、中国から医者を連れてきたことなどか・・・・。

 お話の中で清和源氏、桓武平氏の系図がすらすらと出てきたりまた関連する話の内容は幅広くどんどん話が弾みとても楽しい1時間でした。

 休憩のあといよいよ「逆櫓」の段に入りました。一ノ谷の合戦からほぼ1年間は平穏な日々が続きましたが、いよいよ平家討伐に義経が出陣するのです。平家物語では義経が平家を討伐しに出かけるとの言葉に対し、後白河法皇は感心して「昼夜兼行で、勝負を決するように」と仰ったとなっていますが、史実(吉記、玉葉)は京都が心配なため義経は京都に残るようにと命じたが、義経は従わなかったようです。また指揮官らしい義経の演説もありました。

 今日は1ページ半ほど進んだのみでしたが、とても充実した講義でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イルミネーション、トルコ料理

2011年11月26日 | 日常のこと

 昨日大阪駅を通りました。クリスマスのイルミネーションが始まっていました。

  

 

以前勤めていた会社の人たちとの忘年会が福島駅のそばの「イスタンブールハネダン」というトルコ料理のお店でありました。参加人員8名、世界3大料理の一つといわれるトルコ料理、トルコのお酒を楽しみながら歓談いたしました。このお店では、金曜日の夜にベリーダンスがあるのです。美女の妖しくも激しいベリーダンスでした。    ダンスの最後には食事に来ていた大勢の女性たち(男性も1名)も一緒にベリーダンスにトライするなど大いに盛り上がりました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

でんでん虫の会 くえコース

2011年11月25日 | グルメ

 昨夜18時からでんでん虫の会がありました。場所は三宮にある「沖ノ瀬」というお店。参加人員は11名で今回はくえコースです。

最初に皮の湯引きと薄造り、続いて造りの盛り合わせ(写真は4名分)

 

 

次に松茸の茶碗蒸し、くえの唐揚げ(写真は6名分)

 

 

最後にくえ鍋(写真は4名分)、雑炊とデザートのゆずシャーベット(写真を撮り忘れました)

 

 

会話とお酒が進み、22時終了。4時間お酒を飲んでいたわけですね。くえ鍋は食べきれませんでした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第16回 写塾・AIM写真展

2011年11月24日 | 写真

 第16回 写塾・AIM写真展が今日始まりました。開催場所は阪急塚口駅南側のサンサンタウン3番館5階[space PIVOT]で11月29日(火)まで開催されています。私は出品していませんが、有野永霧塾長と47名の塾生の力作が展示されています。私が会場にいるのは26日(土)10時から14時30分の間です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月度やろう会

2011年11月23日 | 講座・会合

 昨日11月度やろう会が武庫之荘の「エマーブル」でありました。参加者は18名でした。

本日のお話のテーマは「営業レディが見た個店の生き残り方」、サンケイリビング新聞社兵庫営業部でアドプランナーをされている西野里英様のお話です。

 お話をされるトップセールスレディの西野里英様

 

 飛び込み営業をされ、素晴らしい成果を上げていらっしゃる西野様によると、繁盛しているお店(企業)の共通点は ①情報収集 ②情報発信 ③同業他社とのコラボで情報発信 ④前広な販促計画 ⑤お店を客観的に見る 能力が優れており、「顧客満足向上」を最優先に取り組んでいることだそうです。

 お話のあとはいつものように懇親会。和気藹々とした雰囲気で大いに盛り上がりました。

 懇親会の様子です

  

集合写真です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

談山神社

2011年11月22日 | ハイキング、山登り

 昨日友人6名と奈良県多武峰にある談山神社に出かけました。近鉄桜井駅から臨時バスに乗り、20分ほどで談山神社に到着です。今年は気温の高い碑が多かったため紅葉の色づきはもうひとつでした。

 談山神社のパンフレットと境内周辺の地図です。

談山神社由緒(チラシより抜粋)・・・ 飛鳥・法興寺で行われた蹴鞠会において出会った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、藤の花の盛りの頃、当社本殿裏山で極秘の談合をされました。この談合により、皇極天皇4年(645)飛烏板蓋宮で  蘇我入鹿を討ち、中央統一国家及び、文治政治の完成という歴史的偉業を成し遂げられました。多武峰はこの後、談峯・  談い山・談所が森と呼ばれるようになり「大化改新談合の地」の伝承が残りました。現在の社号の「談山神社」もこ  こからきています。  天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いと知った天皇は自ら病床を見舞い、後日、大織冠内大臣という人臣の最高位を授けられ、藤原の姓を与えました。藤原氏は、ここから始まります。鎌足公の没後、御墓は摂津国阿威山(現在の大阪府高槻市)に造られましたが、白鳳7年(678)唐より帰国した長男・定慧和尚が鎌足公の遺骨の一部を多武峯山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立して妙楽寺と称しました。さらに、大宝元年(701)方三丈の神殿を建て、鎌足公の御神像を安置しました。これが談山神社の始まりです。

 

 紅葉の色づきはもうひとつ    右の写真は一三重の塔(後に見えるのは権殿)です。

 

御破裂山(標高607m)展望台からの眺め  大和三山、二上山、生駒山、大阪湾、六甲山まで見渡せました

 

 御破裂山からは登ってきた道とは別の道を通り、徒歩で石舞台へ向かいました。途中開けたところで各人持参した弁当を広げたあとハイキング。道が狭く、足場の悪いところもありましたが、里山の風景を楽しみながら石舞台古墳に到着しました。

 ハイキングの途中の里山風景

 

 石舞台古墳からバスに乗り橿原神宮駅へ行き、近鉄電車の八木西口駅で下車、寺内町として平成5年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された今井町へ。(続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸マラソン完走おめでとう;渋柿がこんなに甘く

2011年11月21日 | 日常のこと

 昨日第1回神戸マラソンが開催されました。テーマは「感謝と友情」。16年前に起きた阪神・淡路大震災からの復興支援に対する感謝と、東日本大震災の被災者らを応援する気持ちを込めています。全国からの参加者は2万3千人、フルマラソンは2万7百人だそうです。一般からの応募は7万7千人だったそうですから、抽選の倍率は3倍以上です。昨日は朝から好天に恵まれましたね。サンテレビで実況中継をしていましたが、途中から風が相当きつかったようです。

 私の娘が10月30日開催の大阪マラソンに引き続き当選し、フルマラソンを走りました。何とか完走したようです。完走おめでとう!

 

 下の写真は知人から頂いた柿、渋柿です。渋を抜く方法は焼酎やドライアイスをを使う方法などがありますが、果肉をじゅくじゅくになるまで涼しいところに置いておく最も簡単な方法で甘くしました。

  柿の甘さがお菓子の原点だったというのもうなずけます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする