K.テツのひとりごと

行動記録、趣味の話などを書いてゆきます

墓参

2024年07月19日 | 日常のこと

7月16日(火)、伊丹の法巌寺に墓参しました。父の命日は平成11年7月20日ですので今年は26回忌、少し早めの墓参です。

墓石の奥に落葉が溜まっていましたが、道具がなく綺麗に出来ませんでした。お盆のお墓参りには綺麗にするつもりです。

墓参の後は阪急電車伊丹駅ビルの中にある花水木で昼食を頂きました。続きは明後日のブログで。

 

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有野永霧先生を偲ぶ会

2024年07月18日 | 日常のこと

7月14日(日)12時から都ホテル尼崎 あやめの間で「有野永霧先生を偲ぶ会」が行われました。

今年5月13日に入院中にお亡くなりになった有野先生、ご葬儀は親族のみで執り行われました。写塾の有志で6月はじめに「有野永霧先生を偲ぶ会開催準備会」を立ち上げ開催することが出来ました。

写塾・AIMの関係者を中心に永霧先生と写真関係で親交のあった方々も含め46名に奥様とお嬢様が参加されました。

祭壇には先生の遺影と供花一対、バックグラウンドミュージックには先生がお好きだったエンヤの曲が流れ、プロジェクターで先生の「おもかげ」や「思い出」「先生の作品」がスクリーンに流れていました。各テーブルは先生の思い出の話で盛り上がっていたようです。参加者が書いたメッセージカードも全て披露され参加者の方々も満足された会になったのではないでしょうか。

先生の遺影と開催前に撮影した集合写真です。

 

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咲洲、おおさか海の時空館跡

2024年07月17日 | 写真

一昨日のブログの続きです。

咲洲の「おおさか海の時空館」跡地です。

建物の周りを一周しました。

向こうにATCビルが見えています。

釣り人がいます。「がしら」狙いだとか。

 

塀の方へ・・・。

時空間の建物に西日が当たって・・・。

だんだん日が傾いてきます。ドーム3景。

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撮っても楽しいTシャツ展

2024年07月16日 | 展覧会

7月12日(金)午後から南森町アートギャラリー(MAG)で開催中の「撮っても楽しいTシャツ展」を見に行きました。

芦屋写真協会のU氏から案内を頂いたもの。DMです。

写真をTシャツにプリントしてオリジナルTシャツを作り展示するという企画です。会場ではつくったTシャツの販売も行われていました。

12名の方々がそれぞれTシャツを1~3枚展示、写真を一緒に展示されている方も多かったです。通常の写真展とは違う、このような展覧会も面白いですね。

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夢洲

2024年07月15日 | 写真

一昨日のブログの続きです。夢舞大橋を渡り、夢洲に着きました。まだ万博会場などは工事中ですですが、土曜日のため工事はしていません。

工事はしていなくても人の気配はあります。

道路も工事中ですが、土曜のため人はいません。向こうに咲洲のATCビルが見えています。

斜光が草に当たって・・・。

数字が印象的です。

矢印も印象的。

格子や影も・・・。

工事中の地下鉄「舞洲駅」、向こうに博覧会会場のシンボルとなる大屋根(リング)が見えています。

 

咲洲へ向かいます。続きは明後日のブログで。

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「シューベルト・マラソン」第1部

2024年07月14日 | 音楽

7月7日(日)2時(ベルリン時間 6日19時)からベルリンフィルデジタルコンサートで『「シューベルト・マラソン」第1部』のライブ中継がありました。ライブ中継は視聴できなかったため、アーカイブを視聴しました。2023/24シーズンが6月末のヴァルトビューネ・コンサート2024で終了、8月末の2024/25シーズンの開幕演奏会まで、室内楽の演奏会をライブ中継します。この演奏会は2024年4月14日に収録されたものです。

プログラムには『シューベルトの室内楽は独自の世界感を持っています。この「シューベルト・マラソン」シリーズでは、ベルリン・フィルのメンバーによるアンサンブルが、シューベルトの精神のの音楽的風景を探求します。まず最初に、シューベルトの最晩年の作品であり、かつ彼の室内楽の代表曲であるピアノ五重奏曲《鱒》が演奏されます。また、2つの弦楽三重奏曲と、フルートと弦楽のための哀愁を帯びた「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲がプログラムに並びます。』とあります。

演奏が始まりました。

①曲目:フランツ・シューベルト作曲 ピアノ五重奏曲イ長調 D 667《鱒》

    クリストフ・ホラク(ヴァイオリン)
    ウルリヒ・クネルツァー(ヴィオラ)
    ダーヴィット・リニカー(チェロ)
    ヤーヌシュ・ヴィジク(コントラバス)
    ヤニック・ファン・デ・フェルデ(ピアノ)
 
 
 
 
 
 
②曲目:フランツ・シューベルト作曲 弦楽三重奏曲変ロ長調 D 471
    ベルリン・フィルハーモニー弦楽三重奏団
     ロマーノ・トマシーニ(ヴァイオリン)
     ヴォルフガング・タルリツ(ヴィオラ)
     ダーヴィット・リニカー(チェロ)
 
 
③曲目:フランツ・シューベルト作曲 弦楽三重奏曲変ロ長調 D 581
    ベルリン・フィルハーモニー弦楽三重奏団
     ロマーノ・トマシーニ(ヴァイオリン)
     ヴォルフガング・タルリツ(ヴィオラ)
     ダーヴィット・リニカー(チェロ)
 
 
 
 
 
 
④曲目:フランツ・シューベルト作曲 「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲ホ短調 D 802(ダニエル・ルムラー編によるフルートおよび弦楽四重奏版)
    イェルカ・ヴェーバー(フルート)
    伊藤真麗音(マレーネ)(ヴァイオリン)
    シモン・ロトゥリエル(ヴァイオリン)
    マルティン・フォン・デア ・ナーマー(ヴィオラ)
    クヌート・ヴェーバー(チェロ)
    ミヒャエル・カーグ(コントラバス)
 
 
 

 

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舞洲

2024年07月13日 | 写真

7月6日(土)夕方から友人たちと4名で大阪の舞洲、夢洲、咲島に撮影に行きました。天気は快晴です。

まずは舞洲から、きらきら光る尖塔がある清掃工場がある島です。

まずは外周道路でパチリ。

向こうに咲洲の 旧「おおさか海の時空館」のドームが見えています。

舞洲の西側に移動、パームガーデン舞洲へ。

海がきらきら輝いています。また太陽があるため、キャンピングカーへの映り込みも綺麗ですね。

ロッジやバーベキューハウスなどを備えた施設です。遠くには入道雲、まさに夏真っ盛り。

エアストリームキッチン「Azure」、ハンモックカフェ「Azure」

バーベキューハウスです。大勢の若者たちがBBQを楽しんでいました。

向こうに関西万博の会場となる大阪・夢洲(ゆめしま)で、会場のシンボルとなる大屋根(リング)が見えています。

夢洲に向かいました。続きは明後日のブログで。

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7月度「信長公記」を読む会

2024年07月12日 | 講座・会合

7月2日(火)、7月度「信長公記」を読む会がありました。出席者は12人でした。

テキストは巻十二(11)人売りの事

村井貞勝は和泉国堺湊で人売りしていた女房を召し捕らえ、事件の糾明を行った。女房は今までに八十人ほどを売り渡したことを白状したので、村井はただちに女房を成敗した。

*当時、人の売買は世界でも当たり前に行われていた。戦国時代には日本人が10万人ほど外国に売られていたか、密売ルートもあったようだ。

9月29日には加賀一揆の門徒で大坂へ向かっていた者を正親町中納言殿が捕らえ、信長公へ身柄を引き渡してきた。信長公はこれをよろこび、門徒を即刻誅殺した。

*砂川先生はここで配布したレジュメの「北陸の戦国略史(長享2年 加賀一向一揆が守護富樫政親を滅ぼす から天正6年上杉謙信死去、信長、越中守護代の神保長住を越中に送るまで)」について約40分解説するとともに、武家昵懇公家衆・陣参公家衆についても話が及びました。

 

テキスト 巻十二(12)謀書の事

10月1日、山崎の町人が、先年明智光秀・村井貞勝の裁きによって判決を下された公事を訴状をいつわり信長公へ直奏してきた。訴えを受けた信長公が村井に下問し、村井がその判決の次第を言上したため、偽訴であることが判明した。信長公は、曲事許しがたしとして町人を成敗した。

10月8日戌刻(夜八時)になって二条を発ち、夜もすがら下って9日の日の出どきに安土へ帰城した。

*太田牛一が何のために上記2段を記したのか判明しないが(単に記録魔だった?)、信長の人柄がよくわかる。

*10月1日の段からは京都町内のことは能吏でもあった光秀や村井貞勝に任せていたことがわかる。

*10月8日の段には、どのような緊急事態が起きたかは書いておらず、また他資料からもわからない。

 

テキスト 巻十二(13)伊丹城謀叛人の事

 10月15日、滝川一益の調略が奏功した。一益が佐治新介を使者として荒木方の中西新八郎を味方に引き入れ、その中西の才覚によって足軽大将の星野・山脇・隠岐・宮脇も謀叛に同調した。中西らは守備していた上臈塚砦へ滝川勢を導き入れ、敵勢数多を斬り捨てた。荒木勢は、取るものも取り敢えず有岡城へと逃げ入った。将士たちは親子兄弟を討たれて泣き悲しむばかりであった。織田勢は伊丹の町を損害なく奪取し、城と町との間にあった侍屋敷に火をかけて城を裸城にすることに成功した。

 岸の砦に立て籠もっていた渡辺勘大夫はこれを受け、砦を出て多田の館に退去した。しかし信長公は渡辺がかねて投降を申し出ていたわけでもないことからけしからんとし、渡辺を殺害してしまった。

 また鵯塚の砦は野村丹後が大将となって雑賀衆の加勢を得て守っていたが、士卒は戦闘によってことごとく討死し、窮した野村は織田勢へ降伏を打診してきたが信長公はこれも許さず、野村を殺害して首を安土へ運ばせた。

*9月27日の段で信長が古屋野の滝川一益のところにしばし逗留したのはこの調略について話し合ったのだろう。

*調略の時期としては村重が尼崎に脱出したこの時期が適当だ。

*渡辺、野村に対する処分から信長は筋目を通す事を重視していることがよくわかる。

*中西、渡辺、野村の中で中西を選んだ理由:砂川先生は「野村は村重の妹を妻にしている。岸は村重の重臣で落としにくい。いずれにせよ中西は村重から脱出を聞いていなかったなど不満があったのだろう。」と仰る。

 

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大阪王 塚口店

2024年07月11日 | グルメ

一昨日のブログの続きです。じゃんじゃん横町でのビールをあきらめ、塚口まで帰ってきて「大阪王」へ。

もちろんビール(大ビン)と餃子2人前です。塚口店には他にもセットメニューがあるのですが、今回は見向きもせずに喉の渇きを癒やしました。

餃子は外側係かり、中はジューシー。コノオミセノギョウザハオイシイゾ!

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但馬方面旅行 3日目 その5(カバンストリート)

2024年07月10日 | 国内旅行

一昨日のブログの続きです。

豊岡駅からタクシーに乗り「カバンストリート」へ。日本最大級の鞄の産地の豊岡市ならではの商店街です。個性豊かなショップや修理の専門店などが並んでいます。またカバンの自動販売機、ベンチやポストなど至るところにカバンをモチーフにした仕掛けがあります。

 

探したカバンはフルートが横向きに入るトートです。「今まで使っていたカバンが古くなってしまったのでいい物があれば購入しよう」と探し回った結果購入したカバンです。

目分量で決めたのですが、ピッタリフルートが収まりました。

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