11月12日(日)、土佐堀会ハイキングがありました。今回は「京都 島原・角屋、壬生寺、妙心寺を巡る」会です。
12時に奥様を含め、10名がJR京都駅に参集。嵯峨野線の丹波口駅から島原・角屋へ。案内をしていただく方の説明を受けながら部屋、庭を見て回ります。
島原はかつて京都6花街のひとつとして栄えていましたが、交通の不便さもあり昭和時代後期に衰退し、京都花街組合連合会を脱会したため「京都の五花街」には含まれてはいませんが、昔の花街の風情を残す「置屋」「揚屋」等の建物が残っているのです。
また島原等の花街は老若男女、家族みんなで楽しめる“遊宴”の街、芸子等に芸を教える施設も整っています。一方吉原などに代表される「遊郭」は歓楽のみの街で花街とは一線を画したものなのです。
角屋は揚屋建築を今に伝える唯一の遺構。角屋が営業していたのは昭和60年までで、その後はお茶屋さんとしての宴会業務を終えその後は『角屋もてなしの文化美術館』となっています。また「揚屋」は現代の料亭にあたり、置屋に太夫や芸妓を派遣してもらい、遊宴をしてもらう場所です。
入り口の両脇には槐の木(幹が虚ろになってしまったため切られてしまいました)。
角屋の家紋「蔓三ツ蔦」
ここは台所です。広さ50畳で、神棚のほか太さ1尺8寸の大黒柱、帳場、刀箪笥等々見どころがたくさんあります。
28畳の網代の間(目の粗い網代天井が特徴)と中庭
広さ43畳の大座敷松の間(庭に臥龍松がある)で説明を受ける。ここで新撰組初代筆頭局長の芹沢鴨を囲んで宴会をした後、壬生の屯所の八木邸に帰ってから暗殺されたという。
ほかにも文化財がたくさんあります。とても楽しめた見学でした。
こちらは「置屋」兼「茶屋」である輪違屋です。いまでも営業しています。
島原の入り口「島原大門」
歌舞練場跡の記念碑
島原を出て、壬生寺に向かいました。続きは11月24日のブログで。