K.テツのひとりごと

行動記録、趣味の話などを書いてゆきます

写詩展

2017年11月30日 | 展覧会

11月24日(金)、門真市にある「松心会館」で開催中の「写詩展」に行きました。写詩とは自作の漢詩と写真を合わせたもの。

友人のK君が出展しているのです。写詩展を見た後は友人のS君を交えて大阪中津の「割烹焼き肉 一笑」で早めの忘年会という行程です。

写詩展会場にて。

 

K君の作品は「人形浄瑠璃を覽す」と「ゴルフを愉しむ」の二作品。

1作目の七言絶句ご披露します。

 

「覽人形浄瑠璃」

新春鑑賞浄瑠璃

文楽真條演目嬉

三者太夫操一体

人形如活縦舞為

見終わったあとの忘年会、盛り上がったことはいうまでもありません。

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11月度 同時代の会

2017年11月29日 | 講座・会合

11月21日(火)、17時30分から中央電気倶楽部で開催された「同時代の会」に久しぶりに出席いたしました。出席者は17名でした。

 

いつものように料理を食べながらの歓談、休に冷え込んだこともあり日本酒の熱燗が進んだようです。

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湖友会秋の史跡めぐりバスツアー その3(惟喬親王御陵、蛭谷)

2017年11月28日 | 講座・会合

11月25日のブログの続きです。

君ヶ畑からもうひとつの木地師のふるさと蛭谷へ向かいます。先ほど通ったバス停の方へは戻らず、県道34号線を先へ進むと・・・。惟喬親王御陵の看板が見えるところに・・・。ここでは以前勤めていた会社のOB 小椋一衛氏が待っていてくれました。

 

鳥居をくぐって進むと・・・。惟喬親王像が。

 

 

さらに進むと惟喬親王幽棲の跡地。そして御陵がありました。

 

この標識は千軒跡。往時は筒井千軒、小椋千軒、藤川千軒と言われるほど数多くの木地師たちが住んでいたのです。

 

この地は水が悪かったため、バス停のあるところに下りてきたのだそうです。

 

筒井神社と龍應山帰雲庵が隣接してある。筒井神社は往時、筒井公文所とともにあり、全国に広がる木地師を掌握、木地師の特権を認めた「木地屋文書」を与え奉加金を徴収していてその数は五万人にも達したようです。その様子は氏子駆帳に残っている。(君ヶ畑のほうも同じように氏子狩帳がある)

 

木地師資料館に入りました。

 

貴重な氏子駆帳、その他多くの資料を説明していただきました。

 

全国の木地師たちがここに集まってくるのだそうです。

ここを出て、近江八幡d\駅への帰途につきました。

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土佐堀会 京都を巡る その3(妙心寺)

2017年11月27日 | ハイキング、山登り

11月24日のブログの続きです。

JR花園駅から徒歩で5分ほどのところにある妙心寺。ここに第95代天皇で後の花園法皇が離宮を構えて禅の奥義を究めようとされました。そして1337年その離宮を改めて禅寺にされました。これが、臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺のはじまりです。塔頭46ヶ寺にもおよぶ広い境内を持ったお寺です。

南総門から仏殿に向かいました。


右側の建物が法堂。狩野探幽が8年の歳月を費やして描いた鏡天井の雲龍図が有名です。下の写真はイメージ。


庫裏から退蔵院に行きました。


退蔵院は方丈を取り囲むように作庭された枯山水庭園「元信の庭」、池泉回遊式庭園「余香苑」と異なる趣の庭が広がっているのです。

方丈の前にある日本最古の水墨画と言われる国宝「瓢鮎図」(模写)と「元信の庭」

 


生け垣道を通り「余香苑」へ。

 

大きな紅枝垂桜。


続いて大法院へ。


大法院は1662年松代藩主であった真田信之の孫・長姫が信之の遺命で菩提寺として創建したと伝わっている。「旦坐喫茶(しゃざきっさ:坐ってお茶でも召し上がれの意)」で有名。

客殿を囲むように広がる「露地庭園」を見ながらお茶とお菓子をいただきました。

 

妙心寺を出て京都でいつものように反省会。反省会後の集合写真です。

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11月度 やろう会

2017年11月26日 | 日常のこと

11月16日(木)18時30分から 塚口の「CLOVER」でやろう会の例会がありました。出席者は13名でした。

先般、やろう会会長の有野永霧氏が尼崎市文化功労賞を受賞されたことが報告され、花束が贈呈されました。

 

卓話は 元会員で株式会社セツナン会長の木村立夫氏による「小冊子を出版して」。出版された“「経営理念」と戦略・戦術”の中から 旧家の家訓『望むべきは日々軽々の小利  恐れるべきは日々軽々の小損  恐れてならぬは一日一時の大損  最も恐れるべきは一日一時の大利』について詳しく語っていただきました。

卓話のあとはいつものように美味しい料理とお酒をいただきながらの歓談です。宴たけなわの内にお開きの時間となりました。

集合写真です。

 

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湖友会秋の史跡めぐりバスツアー その2(君が畑)

2017年11月25日 | 講座・会合

11月22日(水)のブログの続きです。

日登美山荘で昼食をいただいたあと、木地師のふる里を巡ります。木地師とは山の木を伐採し、ろくろを回して盆や椀、こけしなどを造る人のこと。第55代文徳天皇の第1皇子として生まれた惟喬親王が貞観元年(859年)、皇位継承の煩いを避けて都を逃れ、愛知川沿いに鈴鹿の山深く分け入り、この地に幽棲され、里人に木地挽きの技を教えたのです。往時はこの地域に木地師たちがたくさん住んでいたが、彼らは材料の原木がなくなると次第に全国各地に良質の木を求めて分散していきました。

奥永源寺には木地師のふる里といわれる場所が二カ所あるのです。県道34号線を北へ行くと沿道沿いにある「蛭谷」集落と、そこから右側へ入ったところにある「君が畑」集落です。

君ヶ畑に到着すると「木地師のふるさと高松会」の方が案内してくれます。君が畑ミニ展示館で木地師の説明の後「金龍寺」へ。

 

コムラサキと金龍寺の山門。屋根に菊の御紋が付いています。また門の脇に5本線の壁(最高の位の寺を表す)が・・・。

 

 

本堂には菊の御紋と高松御所の札がかけられています。

 

御所の中で説明を受けました。6面の木造能面の内の2面。

 

金龍寺に隣接した「惟喬親王御陵(後に円墳がある)」。

 

惟喬親王を祀る「大皇器地祖神社」。ご神木が大きい。

 

 

 

 

現在ただひとりの木地師となった「ろくろ工房 君杢(きみもく)」の小椋昭二さんさんの工房を見学させていただきました。

 

 

君ヶ畑からもうひとつの木地師のふるさとへ。続きは11月28日のブログで。

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土佐堀会 京都を巡る その2(壬生寺)

2017年11月24日 | ハイキング、山登り

11月21日のブログの続きです。

島原から徒歩で壬生寺に到着しました。壬生寺は京都市大宮にある律宗の大本山で、幕末に新選組の兵法調練場として使われたため、新選組ゆかりの寺院として全国的に広く名が知られています。また、円覚上人(えんがくしょうにん)が創作した大念仏狂言(壬生狂言)を今に伝える寺院です。

壬生寺の表門と本堂です。


本堂の左手にある千体仏塔。1988年(平成元年)に壬生寺の創建1,000年を記念して造られました。

 


本堂の右手奥に狂言堂がありました。

ここから北へJR二条駅まで歩きます。途中に新撰組屯所遺跡があります。


JR二条駅から花園駅へ。

 

ここから妙法院へは歩いて5分ほどです。続きは11月27日のブログで。

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写真楽園 Club SEI-G 写真展 2017

2017年11月23日 | 展覧会

11月15日(水)、西宮市立市民ギャラリーで開催中の“写真楽園 Club SEI-G 写真展 2017”を見に行きました。「心の風景 mind picture」をテーマに60名あまりの作者たちが思い思いにシャッターを切った組写真が並ぶ展覧会。毎年見るのを楽しみにしているのです。

 

 

私の知人も7名作品を展示しているので案内状もたくさんいただくのです。心が癒やされる感性豊かな作品群、また来年も見てみたいと思います。

14時15分からギャラリートーク「織作峰子 写真を語る」があり、入場者が大勢おられました。グループを指導されている吉田正氏と織作氏の掛け合いにより、織作さんの常に向上を目指す写真への取り組み、人となりが明らかになってゆく・・・。織作さんの生き方に共感を覚え、また我が身を振り返り心励まされる時間となりました。

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湖友会秋の史跡めぐりバスツアー その1(永源寺)

2017年11月22日 | 講座・会合

11月13日(月)“湖友会秋の史跡めぐりバスツアー”に参加しました。世話役の方から熱い思いの案内が届き是非とも行ってみたいと思ったのです。

今回のテーマは「永源寺の紅葉狩りと奥永源寺 木地師のふる里を訪ねるバスツアー」。紅葉の名所「永源寺」を訪ねたあと、奥永源寺にある木地師のふる里である 君ヶ畑と蛭谷を訪れるのです。

参加者は21名、小型バスが満席になる人数です。近江八幡駅に9時に集合、天気は快晴、まさにハイキング日和です。約50分ので永源寺の駐車場に到着。

永源寺は室町時代のはじめに(1361年)に近江の領守佐々木氏頼が寂室元光禅師を迎えて開山されたお寺。明応(1492)永禄(1563)と続く戦乱によって、伽藍や山内の幾多の寺院は全て焼け落ち、衰退してゆきました。江戸時代になり、後水尾天皇や彦根藩(井伊家)の帰依をうけて伽藍が再興されました。

永源寺こんにゃくや政所のお茶そして紅葉の名所として名高いところです。

愛知川を渡る旦度橋から上流を望む。


観光案内所の前は大勢の人です。


参道の階段脇の十六羅漢。


僧門の手前に4代目彦根藩主で中興の名君といわれた井伊直興公の霊廟があります。

 

総門と山門です。一斉に真っ赤ではありませんが、見頃の紅葉ですね。

 

方丈(本堂)、下の写真の向こう側左手は法堂。

 

紅葉、散紅葉も綺麗です。

 

 

 

奥永源寺の日登美山荘へ。ここで昼食です。

 

これに岩魚の塩焼き、岩魚の入った汁がついてビールがとても美味しかった。

昼食後は「君が畑」へ。続きは11月25日のブログで。

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土佐堀会 京都を巡る その1(島原・角屋ほか)

2017年11月21日 | ハイキング、山登り

11月12日(日)、土佐堀会ハイキングがありました。今回は「京都 島原・角屋、壬生寺、妙心寺を巡る」会です。

12時に奥様を含め、10名がJR京都駅に参集。嵯峨野線の丹波口駅から島原・角屋へ。案内をしていただく方の説明を受けながら部屋、庭を見て回ります。

島原はかつて京都6花街のひとつとして栄えていましたが、交通の不便さもあり昭和時代後期に衰退し、京都花街組合連合会を脱会したため「京都の五花街」には含まれてはいませんが、昔の花街の風情を残す「置屋」「揚屋」等の建物が残っているのです。

また島原等の花街は老若男女、家族みんなで楽しめる“遊宴”の街、芸子等に芸を教える施設も整っています。一方吉原などに代表される「遊郭」は歓楽のみの街で花街とは一線を画したものなのです。

角屋は揚屋建築を今に伝える唯一の遺構。角屋が営業していたのは昭和60年までで、その後はお茶屋さんとしての宴会業務を終えその後は『角屋もてなしの文化美術館』となっています。また「揚屋」は現代の料亭にあたり、置屋に太夫や芸妓を派遣してもらい、遊宴をしてもらう場所です。

 

入り口の両脇には槐の木(幹が虚ろになってしまったため切られてしまいました)。

 

角屋の家紋「蔓三ツ蔦」

 

ここは台所です。広さ50畳で、神棚のほか太さ1尺8寸の大黒柱、帳場、刀箪笥等々見どころがたくさんあります。

 

 28畳の網代の間(目の粗い網代天井が特徴)と中庭

 

広さ43畳の大座敷松の間(庭に臥龍松がある)で説明を受ける。ここで新撰組初代筆頭局長の芹沢鴨を囲んで宴会をした後、壬生の屯所の八木邸に帰ってから暗殺されたという。

 

 

 

ほかにも文化財がたくさんあります。とても楽しめた見学でした。

 

こちらは「置屋」兼「茶屋」である輪違屋です。いまでも営業しています。

 

島原の入り口「島原大門」

 

歌舞練場跡の記念碑

 

島原を出て、壬生寺に向かいました。続きは11月24日のブログで。

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