一昨日のブログの続きです。
海津大崎からマキノ町に入りました。いつもここを通るたびに「魚治」という魚屋さんで買い物をするのです。
道路から琵琶湖の方に狭い道があり、何となくいい雰囲気です。
この建物は迎賓館とあります。昔のマキノ町の繁栄を表しているのでしょうか。
マキノから所々で停車しながらパチリ。
高島町のこどもの国にも入ってみました。
白鬚神社で琵琶湖めぐりの旅もおしまいです。
一昨日のブログの続きです。
海津大崎からマキノ町に入りました。いつもここを通るたびに「魚治」という魚屋さんで買い物をするのです。
道路から琵琶湖の方に狭い道があり、何となくいい雰囲気です。
この建物は迎賓館とあります。昔のマキノ町の繁栄を表しているのでしょうか。
マキノから所々で停車しながらパチリ。
高島町のこどもの国にも入ってみました。
白鬚神社で琵琶湖めぐりの旅もおしまいです。
先日大阪今里にある八王子神社御旅所の大楠を見に行きました。
近づくと、商店の向こうに大きな木が見えてきます。
神社境内を覆い隠すようです。
この木は大阪市内では最大の樹木で、樹齢約1300年、幹周11m、樹高25m。近づくと圧倒されます。
一昨日のブログの続きです。琵琶湖めぐり2日目になりました。
早朝、宿泊した己高庵の周りを散策しました。まだ夜明け前の薄明かりの中、庭から階段を降りてゆくと・・・。野生の猿が一匹、前の道を通り抜けました。慌ててカメラを向けました。階段の下に降りると見えなくなっていました。
コスモスの群生とそば畑ですね。やっと太陽が姿を見せたようです。ここは谷間、まだ陽が射していませんが雲が白くなってきました。
このあたりは「近江のまほろば」と呼ばれています。いわれを書いた看板です。チョット良く言い過ぎでしょうか。
こぐそばにある己高庵の方へ行ってみました。小さな石塔や石仏が沢山あります。
陽が射して、あたりの景色がくっきりしてきました。、逆光気味の植物がとてもきれいです。
朝食後、木之本を通りマキノ側から海津大崎まで行くことにしました。
海津大崎までの途中で廃屋を発見。皆廃屋好きなのです。
そして海津大崎。山の中腹に大崎寺があります。
続きは明後日のブログで。
10月20日(火)、第131回同時代の会が中央電気倶楽部で開催されました。背筋後藤で顔を合わせる人は多いのですが、いろいろな用事と重なり、1月以来の出席でした。参加者は13名でした。
いつものように歓談、日本酒がだいぶ進みました。
一昨日のブログの続きです。
沖島から高月町に向かいます。目的は高月町にある向源寺。ここには私が一番お気に入りの佛像があるのです。お堂が開いているのは16時まで。いそいで高月町に向かいます。
湖岸沿いを走っているとき目についたものが・・・。海を渡る赤い大蛇のようです。
向源寺には15時45分に到着。15分間仏様と向き合うことができました。
向源寺(渡岸寺観音堂)におわします国宝十一面観音菩薩立像は私の一番好きな仏様。天平年間に僧泰澄が彫んだという仏様は、元亀元年の浅井・織田の戦で堂宇が灰燼に帰したときにも、土地の住民たちが搬出、地中に埋めてお守りしたのです。とても厳かで豊麗、美しい仏様です。
姿かたちはWIKIPEDIAでご覧下さい。
続いて近くにある雨の森地区へ。関西自然に親しむ風景100選に選ばれている村で、人口500人、戸数100余り村で、昭和59年(1984)に「東アジア交流ハウス雨森芳洲庵」が建てられ地区の人達による美しい村づくりが加速されました。
神社の境内には銀杏の実が絨毯のように敷き詰められています。
夕陽が傾いてきました。木之本の己高庵で夕食、宴会が待っていました。
続きは明後日のブログで。
10月17日(土)午後、京都山科 清水焼団地にある「きよみず苑・京都東」で開催中の“ 第3回京都・やきもの倶楽部作品展 HOMURA”を見に行きました。
友人のS氏から案内をいただいたもの。
プロの陶芸作家とアマチュア作家のコラボレーションと銘打って行われている展覧会です。プロの素晴らしい作品7点とアマチュアのそれぞれに工夫を凝らした力作26点が会場に並んでいました。
S氏の作品は「歓喜」という壺。一目でS氏の作品とわかる遊び心に満ちた楽しい作品でした。
展覧会の会期は「清水焼の郷まつり」に合わせて設定されているのです。会期中はJR京都駅からのバスの便も多く便利です。
自分のお気に入りの器を求める人たちで、陶器まつりはとても賑わっていました。
11月7日(水)、8日(木)の両日、仲間たちと琵琶湖めぐりをしました。1日目は沖島から木之本(泊)までです。
名神竜王ICで高速を降り、近江八幡で昼食を摂って、堀切港から沖島までは船で15分ほど。沖島に到着しました。天気が良すぎて、コントラストがとてもきついです。
沖島は琵琶湖で最大の島。また唯一有人の島でもあります。撮影にはとても魅力的です。
かなり高齢化が進んでいるようです。これが自家用車です。
ここは駐車場でしょうか。
まさに漁業で成り立っている島ですね。
八幡宮にお参り後、海沿いの径を歩きました。
風が通って気持ちいい~。
海沿いの道から一筋入ると細い道が続きます。島の方に挨拶しながら進みます。
ニャンコにもご挨拶。
約1時間半の散策後島を後にしました。
沖の島から高月町に向かいます。
続きは明後日のブログで。
10月17日(土)10時から、尼崎市立中央図書館で平家物語を読む会がありました。いつもは14時からの開講なのですが、図書館の都合で午前中となったもの。そのせいか出席者少なく21名でした。9月は所用のため欠席したので、2ヵ月ぶりの出席です。
8月は近江国篠原の宿についたとき、宗盛の善知識のため義経が大原の本性房湛豪という聖を請じて宗盛に説法させるところまで進み、念仏聖の話になって終了しましたが、私が休んだ前回は湛豪の説法を読んだところで終わったようです。
今回の砂川先生のお話は湛豪の説法の内容を検討するところから始まりました。湛豪和尚はどのように語り、宗盛はどのように受け止めたのかです。
*説法は唱導とも言い、湛豪の説法は論理的で説得力がある。対句表現も多く、これでもかというほど繰り返すことにより、相手も受け入れることになる。
*内容は宿業観、諸行無常を表す言葉のほか、生者必衰・盛者必衰をいう仏教的世界観が繰り返されている。
*最後に「観普賢経」、「無量寿経」の中の法蔵菩薩の48の立願を言った後に授戒し、称名念仏を勧めている。
お話は 日本人の宗教観、観普賢経の内容におよびます。まさに砂川先生の独壇場で、どんどん内容が広がってゆきました。
最後は先月配布されたレジュメの「浄土教略史」で中国における称名念仏を中心とする浄土教の確立、日本への渡来、日本による発展等々についての講義になりました。「念仏信仰の拡大、深化に貢献したのは決して法然や親鸞、一遍など歴史に名の残った念仏者だけではない。有力な弟子も、強力な後援者も持たなかったが故に歴史の彼方に消え去った無名の聖たちの足跡を忘れてはいけない」と砂川先生は仰る。
一昨日のブログの続きです。
鳥取城の次は砂の美術館です。現在の展示は、第8期 砂で世界旅行・ドイツ編でした。砂を水のみで固め造った像です。質感が出ているでしょうか。
鳥取砂丘です。
パラグライダー・・・。と思ったら模型飛行機も・・・。
駐車場では10月8日から公開予定の「スターウォーズ」の砂像を、砂像彫刻家で砂の美術館総合プロデューサーでもある 茶圓勝彦氏が製作中でした。
昼食後砂丘を出発、帰途につきました。帰りのバスの中はいつものように宴会モードです。
宿泊撮影会の記事はこれで終わりです。
今日から10月27日まで 写塾・AIM写真展が 塚口さんさんタウン3番館5階の【space PIVOT】で始まります。
昨日は作品の搬入・飾り付けを行いました。
40点の作品の飾り付けも終了、来場される方をお待ちしています。
ご都合が許せば、見に来て下さい。