K.テツのひとりごと

行動記録、趣味の話などを書いてゆきます

閏日

2012年02月29日 | 日常のこと

 今年は閏年、今日は閏日ですね。WIKIPEDIAで見ると「ユリウス暦では4年に1度、グレゴリオ暦では400年に97度、閏年とし、2月の日数を1日増加させる。このとき付け加えられた日が閏日であり、加えられる日は2月29日である。歴史的な理由から2月24日を閏日とする国もある。」とあります。

 以下にWIKIPEDIAの文を引用いたします。

・初期のローマ暦では年始は3月1日であり、2月は年末の月であった。そのため、年末の2月が日数の調節に使われた。ローマ暦を改暦したユリウス暦や、グレゴリオ暦でも閏日を置く月を2月とした。

・紀元前713年最初のローマ暦を改変し、閏年では2月の日数を減らして23日とし、2月23日と3月1日の間に27日間または28日間の閏月を入れた。この規則がその後も踏襲され、2月23日の翌日に閏月を入れることが続いた。

最終期のローマ暦は、平年の1年の長さは355日で、2年に1度、2月23日と2月24日の間に22日間または23日間の閏月を挿入した。

このローマ暦を改変したユリウス暦でも、閏日の置かれる日は引き続き2月23日の翌日とした。ただし置かれる閏日は1日間となった。

ユリウス暦を改変したグレゴリオ暦では、閏日を置く日をそのまま引き継がず、2月28日の翌日である2月29日を閏日とした。

日本でグレゴリオ暦を採用する際には、2月24日を閏日とするのは何の歴史的な根拠もなかったのでこの慣習を無視し、2月29日を閏日と定めた。したがって厳密な意味で、日本の新暦はグレゴリオ暦そのものである。

欧州連合は、閏日としてより相応しい日は2000年2月29日であると決めた。ローマカトリック教会も2月29日を閏日であると宣言した。グレゴリオ暦を定めたローマ・カトリック教会がこの決定をしたことにより、今後は2月29日が閏日として定着する可能性は高い。しかし、非カトリック(東方教会など)圏の国で聖名祝日の決定を厳密に行う国においては、今後も2月24日が閏日とされる模様である。

 

他にもいろいろ書かれていますが省略します。

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京都(JR京都駅から錦市場)

2012年02月28日 | 京都

 昨日久しぶりに京都へ行きました。JR京都駅から清水道、三年坂、二年坂を通って円山公園経由で八坂神社へ、錦市場で買い物をして帰途につきました。

JR京都駅からの展望、近くに雪雲はありませんでした。

 

清水坂

 

流行の舞妓着付け体験のお嬢さんたちでしょうか。

 

八坂神社

 

錦市場、とても空いていました。

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今日の一言(2月27日)

2012年02月27日 | 今日の一言

坂村真民一日一言より

本もの

本を百万巻読んでも

本ものにはなれない

本は頭を肥やすが

足は少しも肥やしはしない

足からきた悟りが

本ものである

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PAC名曲コンサート

2012年02月26日 | 音楽

 昨日、兵庫県立芸術文化センターでPAC名曲コンサートがありました。

パンフレットとプログラムです。

 

 指揮は湯浅卓雄。イギリス、東欧など海外で実績を積み、高い評価を得ている指揮者です。またNAXOSと専属契約を結び、CDが次々とリリースされているそうです。

 1曲目はウェーバーの遺作の歌劇「オベロン」序曲

 2曲目はグリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 op.16  ピアノは話題の16歳のピアニスト小林愛実、第1楽章のカデンツァも見事、堂々たる演奏で終了後の拍手が鳴りやみませんでした。

 3曲目はブラームスの交響曲第1番ハ短調 op.68 

 2,3曲目はよく聴く曲ですが思わず演奏に引き込まれてしまいました。

 アンコールはブラームス作曲:ハンガリー舞曲第5番 ト短調でした。

 

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でんでん虫の会

2012年02月25日 | 講座・会合

 昨日でんでん虫の会がありました。今回の参加者は東京から2名、名古屋から1名を含め13名。恒例のぼたん鍋を囲む会です。場所は大阪府豊能町余野、JR川西池田駅からバスで送迎してもらいます。

 

お酒は地元の秋鹿、この季節しかないにごり酒や生囲い、もちろん熱燗も。

 

 

しし肉がなくなると追加してもらえるのでコストパーフォーマンスも抜群です。

 

開始の状態は

しばらくすると入り乱れて

楽しいひとときでした。

 

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第43回 日展

2012年02月24日 | 展覧会

 2月22日に大阪市立美術館で開催されている日展に行ってきました。

 よくわからない書はさっと通り過ぎましたが、洋画、日本画、彫刻、工芸美術の展示はゆっくりと観ることが出来ました。会場で日本画を趣味としている先輩A氏とばったり遭遇。展覧会のあとA氏を中心とする会が大阪であったのです。「大阪に出るついでに展覧会を観る」という考えが同じだったわけですね。

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楊令伝<九> 遥光の章

2012年02月23日 | 日常のこと

 楊令伝<九> 遥光の章読了しました。

 

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阪急西宮ガーデンズ 韓国石鍋”Bibim"

2012年02月22日 | グルメ

 先日、映画「ドラゴンタトゥの女」を見たあと阪急西宮ガーデンズ 韓国石鍋”Bibim"で食事をしました。

 参鶏湯なべ、ニラのチジミ、お酒はジンロのロック。寒い日でしたが体がとても温まりました。

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兵庫芸術文化センター管弦楽団 第49回定期演奏会

2012年02月21日 | 音楽

 2月19日、兵庫芸術文化センター管弦楽団 第49回定期演奏会がありました。オッコ・カム指揮で「珠玉のオールシベリウス・プログラム」と銘打ったコンサートです。

パンフレットとプログラムです。

 

 

 オッコ・カムは1946年フィンランドヘルシンキ生まれの指揮者。1996年に第1回カラヤン国際指揮者コンクールで優勝したことで有名です。お手の物の同郷の作曲家シベリウスの作品の指揮です。

 どの演奏も派手さはなく、スマートな演奏だったと思います。アンコールはもちろんシベリウス作曲:「クレオマ」より悲しいワルツ でした。

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2月度 平家物語を読む会

2012年02月20日 | 講座・会合

 18日に2月度 平家物語を読む会がありました。1月は恩師のお祝いの会が横浜であったため欠席、2ヶ月ぶりの出席です。

 1月に新しく3名の方が加わったため、寒かったにもかかわらず34名が参加いたしました。

 12月には巻第十一「逆櫓」で義経と梶原景時が言い争うところで終わりましたが、前回の講義は「逆櫓」を終え、「勝浦」の2/3ほどまで進んでいました。前回進んだところは、義経が夜出船を命じたが、風が強いため船頭・水夫がいやがる中、脅して五艘が出発、夜通し追い風に乗って走ったので、3日かかるところを6時間で四国に渡った。渡り着いたところは勝浦という縁起のよい名前の場所。50騎で、守っていた100騎ほどの敵方を追い払う。敵方の中の近藤六親家という者に八島まで案内してもらうことになる。八島までの道すがら桜間介能遠を攻め、勝利する。

 今回はその続きから、勝浦の最後までテキストの2ページほど進みました。

 義経は近藤六親家から、八島を守る兵力や八島までの道のりを聞き出すとすぐに出発、阿波と讃岐の境にある大阪ごえという山を夜通しで越える。夜中頃義経は立文(京都から平宗盛宛の手紙)を持った男と道連れになる。その男から手紙を奪い内容を見ると「義経は素早い男なので用心せよ」と書いてあった。この手紙を義経は「これは義経に点がお与え下さった手紙だ。頼朝にお見せしよう」といって大切にしまっておいた。

 この立文の話が史実かどうかだが、平家物語には明らかに史実と一致することと嘘とが混ざっているため、注意深く検討する必要があるそうだ。本日進んだ部分は吾妻鏡にはわずか2行ほど述べられているのみなので判然としないが、この話は近藤六親家の武功談でもあり、武功談は代々伝えられるものなので、本当にあった話かもしれない。砂川先生曰く「歴史学者は男の掃除、文学者は女の掃除。文学者(私)は一字一句まで検討する」。

 義経が高松の民家に火をかけて八島の城へ押し寄せると、平氏は「きっと大軍で押し寄せてきたのだろう、取り囲まれてはかなわない。船に乗りましょう」と船に乗って八島を離れる。

 「勝浦」には、情報入手に熱心で即断即決のすすどき(素早い)義経が、情報収集を怠った平氏に勝利するという構図がこれでもかこれでもかというほど出てくる。また人事が及ばない運命によって物語が進んで行くという言葉が何度も出てくる。

 「宗盛親子は同じ舟に乗った」とあるのは宗盛親子は深い情愛でつながっており、二人は近江の篠原で一緒にの最後を迎えた(史実)ことへの重要な伏線だそうだ。

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