10月8日(火)、散歩の途中富松神社の前を通りかかると青い幟が林立していました。
10月10日(木)に執り行われる秋季例大祭の幟です。このお祭りは 秋の稔りを感謝する秋の大祭。祭典後には大々神楽の奉納が行われ、各家庭の安全と地域の安寧が祈られます。
- ・祭典 午前10時斎行
- ・大々神楽奉奏 午後2時~5時/午後6時~8時
10月8日(火)、散歩の途中富松神社の前を通りかかると青い幟が林立していました。
10月10日(木)に執り行われる秋季例大祭の幟です。このお祭りは 秋の稔りを感謝する秋の大祭。祭典後には大々神楽の奉納が行われ、各家庭の安全と地域の安寧が祈られます。
4月13日(木)、尼崎市役所 市長室において 尼崎市から写真家 有野永霧先生への感謝状贈呈式が開催されました。
今年3月 写塾・AIMが解散するのにあわせ、有野先生の作品「空蝉の空間(空蝉の都市、空蝉の空間)」91点を尼崎文化振興財団に寄贈したことに対する感謝状、および永年にわたりあまがさきの身近な自然写真コンテスト審査員として環境保全の推進に多大な尽力をしたことの功績への感謝状の贈呈です。
当日は 松本眞尼崎市長はじめ幹部の方々のご出席のもと感謝状贈呈式および市長ほかとの歓談が行われました。
一昨日のブログの続きです。
牡丹園に大きな望遠レンズを付けて、野鳥を撮影しているグループがいました。撮影している先を見ると・・・、瑠璃色の小鳥が見えました。「オオルリ」だそうです。
カメラに付けていた105mmのレンズでパチリ。トリミングで拡大。瑠璃色が美しい小鳥ですね。
リュックから望遠ズームを取り出し、カメラに装着。オオルリは枝を移ったり、木を移ったり・・・、うしろ姿が葉や枝の陰に入ってしまいます。
ほかの木に移り、うしろ姿ですが500mm端でパチリ。少しトリミングをしたのが下の写真。
飛んでいって見えなくなりましたが、結局お腹を見せてくれることはありませんでした。
4月10日(月)、とても良い天気が続くのに運動不足・・・。運動不足解消を兼ねて阪急園田駅からバスにて尼崎農業公園へ。農業公園から千里川土手を経由して園田駅まで歩くことにしました。農業公園にはいろいろな花木や花々が季節に応じて咲きます。
バス停から農業公園に入る道には花水木の並木があります。花水木はこれからが見頃です。農業公園に入ると八重のツバキの木が。
背の低い八重桜も見頃です。
ツバキは見頃、八重桜も見頃を迎えていました。
バラ、ショウブはこれからです。ツツジ、ボタンは咲き初めという感じですね。
咲いているボタンをパチリ・・・。
シャクナゲも綺麗に咲いていました。
牡丹園で野鳥を撮影しているグループがいました。続きは明後日のブログで。
一昨日のブログの続きです.
楠原稲荷大明神から西へ2km歩くと武庫川です。西武庫公園の北側の道を進むと武庫川の手前に小さな水路が・・・。鯉が泳ぐ水路沿いを100mほど北側に歩きました。
武庫川沿い(西側)の入り口から西武庫公園に入ります。池には20羽ほどのカルガモが泳いでいました。カルガモに餌をやっている人も・・・・。
ススキが西日に輝いています。
公園の南東側にある入り口の方へ・・・。子供達が遊具で遊んでいます。
南東側の出入り口から公園を後にして、近くの須佐男神社へ。
須佐男神社の鳥居をくぐり本殿を参拝。
愛宕社と観音堂です。
愛宕社の横手にある鎌倉時代制作の「西武庫十三重塔」。
この神社も阪神淡路大震災で大きな被害がありました。震災祈念碑には倒壊した鳥居等が展示されていました。
我が家まで徒歩で帰りました。散策の総歩数は14300歩でした。
1月12日(木)、最近外出する機会が減ったため体重が少し増えてきました。運動不足解消と減量対策を兼ね家の周辺(富松神社から武庫川まで)を散策することにしました。
まずは富松神社です。由緒書です(HPから抜粋)。
参道から鳥居をくぐり本殿に参拝します。
樹齢約500年の大クスノキ(御神木)と奈良春日社遙拝所。藤原氏と係わりがあったことが忍ばれます。
境内には本殿以外にもたくさんの末社があり、神々が祀られています。稲荷社、弁天社。
左から右手前に 愛宕社、三社、金比羅社、天神社です。
舞殿をみて北側の鳥居をくぐり境内を出ました。
富松神社から西に300mほどゆくと「富松城跡」にでます。現地の案内板です。
東南、北側から見た所とお堀のあと(大きな看板ですね)。
ここから伊丹市に入り笹原公園に向かいます。続きは明後日のブログで。
6月15日(火)の尼崎農業公園の花しょうぶです。農業公園の花しょうぶ園は徐々に拡大されていますが、手入れが行き届いていません。ボタン園に次いで観に行く価値がなくなってゆくのは寂しいですね。
4月26日(月)、巣ごもり状態の中、運動不足解消のために尼崎農業公園へ。往きは阪急園田駅からのバス利用、帰りは徒歩で帰宅しました。総歩数は9500歩でした。
久しぶりの農業公園、ゴールデンウィーク前に行くと以前はボタン園は満開で花を撮影する人であふれていたのに・・・、今はボタン園とは呼べません。ボタン園だった場所もショウブなど他の花の栽培地に変更され牡丹の苗はほんのわずかになっていました。牡丹を見に来るのは今年が最後になります。
牡丹の花も小さめのものが多く、寂しい限りです。
容姿のよい花をとったのですが、いずれも単独で従来なら写っているはずの隣の苗がほとんどないのがわかると思います。ボタン園は壊滅状態でした。
バラ園はこれからが本番というところでした。
藤棚などボタン、バラ以外の花も・・・。
農業公園は野鳥撮影するカメラマン達がほとんどを占めていました。
10月22日(木)、10月10日に開館した「尼崎市立歴史博物館」を訪れました。
(パンフレットより引用)建物は尼崎市立高等女学校の校舎として昭和3年に竣工した歴史的建築物で、建設地は尼崎城本丸跡に当たります。建物は中庭を囲む3階建の回廊型で、2本の丸柱で支えられた大きな庇や玄関の左右にシンメトリーに配置された八角形窓など、玄関付近に外観上の特色が集中しています。市立尼崎高等学校・ 城内中学校・成良中学校の校舎として歩み、学校統合により校舎としての役割を終えた後、平成21年から1階部分のみ文化財収蔵庫として活用してきました。平成30年度に着工したリニューアルエ事では建物の耐震化を行い、内装は展示室や収蔵庫等を整備するため全面的に改修しましたが、スクラッチタイル貼りの腰壁で囲まれた玄関など特徴的な部分は保存し、外観については外壁色を竣工当初に戻すなどして歴史的建築物としての保存を図りました。また、石垣風の校門門柱は昭和2年築造で、今回の改修で正門 としての役割は終えましたが、モニュメントとして保存を図りました。(引用終わり)
尼崎城天守閣遺蹟の石碑
玄関から入ると・・・、
常設展示は2階です。本丸から歴史博物館までの年表、尼崎歴史大年表(古代から現代まで)が掲示してあります。
学校の教室として残している部屋、原始・古代の展示室。
古代・中世の展示室。
三階企画展示室では 開館記念展「尼崎藩主 三代の軌跡」を行っています。戸田氏、青山氏、松平氏 尼崎藩主三代の軌跡をたどったものです。
パンフレットです。
入場は無料でした。
一昨日のブログの続きです。
西川八幡神社から神崎川の方へ少し進むと最近出来たらしい石碑とお地蔵さんが・・・、そしてもっと古そうな石碑もあります。
新しい石碑は「神崎一心の戦 由来書」とあります。由来書には「足利尊氏と後醍醐天皇より追悼の命をうけた新田義貞が打出のあたりで戦っているとき、遅れて参戦した楠木正成は神崎のあたりから神出鬼没、一心を込めた戦いで尊氏軍は九州へ逃げた。」とあります。
お地蔵様は神崎川一心地蔵尊。
神崎橋あたりで神崎川にぶつかり、神崎川沿いを石灯籠があるところまで北東に進みます。
⑥金比羅さんの石灯籠です。このあたりに神崎の渡しがあったのです。
ここから西へ、神崎浄水場を経て近松公園に向かいます。通りに面して花を飾っている家がたくさんあり、目を和ませてくれます。
⑦近松公園に到着です。
コロナウィルス騒動の中、お年寄りがたくさん集まり囲碁、将棋をしていました。
スモモの花、新芽です。
近松公園の北にある伊佐具神社にお詣りして帰途につきました。