K.テツのひとりごと

行動記録、趣味の話などを書いてゆきます

下鴨神社

2013年06月30日 | 京都

昨日のブログの続きです。

府立植物園から鴨川沿いの道を歩き下鴨神社に到着しました。下鴨神社の正式名は加茂御祖神社といい、たくさんの摂社があります。この写真は河合神社の鳥居です。河合神社の門をくぐるとこの神社の神官の子に生まれた、鴨長明の方丈があります。

 

河合神社は女性を守る美麗の神さまなので、絵馬は鏡絵馬です。壁面に飾られた鏡絵馬。

 

うっそうとした糺の森を通り下鴨神社へ向かいます。

 

鳥居をくぐるとさざれ石を祀ってあります。

 

楼門をくぐると、正面に舞殿があります。

 

御手洗川に架かる輪橋。女性が涼んでいました。

 

井上社の彫刻。

 

直会殿から神殿を望む。

 

神殿では丁度お宮参りのご祈祷中でした。

 

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京都府立植物園

2013年06月29日 | 京都

昨日のブログの続きです。

地下鉄北山駅のそばで昼食を摂り、京都府立植物園に入りました。現在60歳以上は入園料が無料なのですが、7月から70歳以上になるそうです。

府立植物園北入口のぞばの彫刻(少女像)たちです。

 

たくさんの花が咲いていましたが、時節柄アジサイ園が満開で一番良かったです。花々の写真です。小さな写真はクリックで大きくなります。

      

 

温室は一部しか営業していませんでした。

    

 

植物園を出て鴨川沿いを下鴨神社まで歩きました。

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上賀茂神社

2013年06月28日 | 京都

6月23日(日)、京都上賀茂神社から下鴨神社まで散策しました。日射しの全くない小雨模様でしたが、日に焼けずかえって快適でした。

上賀茂神社の正式名称は賀茂別雷神社です。白く長い参道を行くと白い神馬がつながれています。

 

茅の輪がしつらえてあり、参拝客は茅の輪くぐりをしてから参拝します。茅の輪くぐりにはくぐり方があるのですね。

 

拝殿の前にある立て砂(盛り砂)。

 

摂社である橋本社と「願い筒」。カラフルな「願い筒」に入れた「願い文」を境内の所定場所に吊ると、その願いは叶うのです。願い筒は販売しています。

 

岩上(がんじょう)です。葵祭の時、宮司がこの岩のうえで、祭文に対して『返祝詞(かえしのりと)』をささげる神聖な場所。この場所は、神と人との通い路で、『気』の集中する場所です。

 

本殿に向かう楼門の傍らにあったチェーンソウで製作されたヘビ。

 

先ほどの拝殿では挙式の真っ最中。

 

第四日曜日だったので上賀茂手作り市が開かれていました。

 

大田神社に向かう明神川沿いの道は、上賀茂伝統的建造物群保存地域に指定されています。上賀茂神社に仕える神官の屋敷(社家)等が並んでいます。

 

大田神社です。祭神が天岩戸隠れで軽快な踊りを披露したアメノウズメであるとは思えないほど、静寂そのものでした。

 

神社のとなりにある『大田の沢』は、野生のかきつばたの群生地で、平安時代から名所として知られていました。もちろんかきつばたは終わってました。

 

レストランの門内にあった夏椿。

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大阪交響楽団 第177回定期演奏会

2013年06月27日 | 音楽

6月18日(火)19時からザ・シンフォニーホールで開催された、大阪交響楽団 第177回定期演奏会を聴きに行きました。

パンフレットとプログラムです。

 

トリスタン秘話“マティルデ・イゾルデ・マルトゥッチ”と銘打たれた公演です。

その意味はシェフからのメッセージから引用すると《本日の公演は、今年が《生誕200年・没後130年」に当たることから、ドイツの天才作曲家“リヒャルト・ワーク、ナー”の楽劇  「トリスタンとイゾルデ」を中心に、企画と選曲を行いました。  楽劇「第1幕 前奏曲」と「終幕 愛の死」に挟まれた形で演奏する「ヴェーゼンドンク歌曲集」は、楽劇作曲当時、彼と恋愛関係にあったとされる  "マティルデ・ヴェーゼンドンク”が書いた5つの詩に作曲されたものですが、今回は、通常演奏される形ではなく、作曲順に置き直して演奏いたします。 「歌曲を結ぶ音楽」は全て楽劇から時間軸を変えずに抜粋したものですが、抜粋された部分で歌われる歌詞と歌曲集の歌詞を組み合わせることにより、  "トリスタンとイゾルデ”-“リヒャルトとマティルデ”  という「2組の愛の軌跡」を、時空を超え、同時進行させる形で提示すると共に、新しい視点から読み取れるよう、構成されています。   後半は、「トリスタンとイゾルデ」のイタリア初演を指揮したことにより、一躍「指揮者」として名前を 知られることになった「忘れられた作曲家」  "マルトゥッチ”の「交響曲第1番」を、第174回定期演奏会で演奏した「夜想曲」と対になる企画として演奏いたします。 》

言われてみないとわかりませんよね。しかし前半(アンダーラインで示した部分)の試みはあまり例を見ないチャレンジングなものだと思います。ソプラノのエレーヌ・ベルナルティさんがオーケストラの演奏を聴きながら、感情を移入し、見事に歌唱されたことを見ると、成功したのではないかと思われます。

後半のマルトゥッチ作曲 交響曲第1番 ニ短調 作品75 は初めて聞く曲です。全体を通じて聴きやすい曲ですが熱演だったと思います。特に第2楽章のはじめの甘美なチェロの独奏の部分が耳に残りました。

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「致知」平成13年7月号

2013年06月26日 | 講座・会合

「致知」平成13年7月号、読了しました。

表紙と特集記事の目次です。今月の特集は「歩歩是道場」、充実した内容です。

表紙と特集記事の目次です。

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四国撮影旅行(6月4日 寒川、観音寺、詫間)

2013年06月25日 | 国内旅行

昨日のブログの続きです。

別子銅山遺構の見学を終え、セルフサービスのさぬきうどん店で昼食後、海岸線を通って撮影しながら瀬戸大橋経由岡山へ向かいます。

予讃線の寒川駅周辺の海岸線にテトラポットで作った島のようなものを見つけました。

 

出漁直前の漁船に乗せてもらい舳先からパチリ。

 

ご夫婦で出漁準備する漁師さん。

 

船団を組みカマス漁に出漁して行かれました。

 

川之江港を過ぎたあたりです。幌を被った荷物がたくさん置いてあります。

 

観音寺市の有明浜にある銭形の砂絵です。

観音寺市HPより抜粋):有明浜の白砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90m周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山々頂から見るときれいな円形に見えます。一般には、寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたといわれ、他に類を見ないものといえます。この銭形を見れば健康で長生き、しかもお金に不自由しなくなると伝えられ、多くの人がこの地を訪れています。

 

詫間に入ったところに土まんじゅうがたくさんあるところに出ました。

 

詫間の海岸線で撮影後帰途につきました。

 

四国撮影旅行のブログは終了です。

 

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四国撮影旅行(6月4日 東予~別子銅山)

2013年06月24日 | 国内旅行

大分間があきましたが、四国旅行の続きです。

宿泊の「休暇村瀬戸内東予」からの早朝の眺めです。眺望の案内板があったので対比できるようにしました。

 

日の出です。

 

朝食後、別子銅山の遺構に向かいます。別子銅山は、愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山で昭和48年に閉山されました。約280年間に70万トンを産出し、日本の貿易や近代化に寄与しました。現在その遺構はマインとピアという観光施設となっています。端出場ゾーンと日本のマチュピチュと呼ばれる東平(とうなる)ゾーンに別れています。

まずは端出場ゾーンから。入り口にある生活物資を運搬した仲持像と銅鉱石。

 

東平ゾーンを紹介するパネルがありました。

 

鉱山鉄道に乗って坑道跡に向かいます。

 

坑道には当時の様子を再現する人形やジオラマが設置されています。

 

名物のいよかんソフトクリーム

 

ここから標高750mの東平ゾーンまでは車で25分の道のりです。九十九折りの狭い道が続きます。中型バスで精一杯と言うことでした。

これが東洋のマチュピチュの姿です。

 

続きは明日のブログで。

 

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兵庫芸術文化センター管弦楽団 第62回定期演奏会

2013年06月23日 | 音楽

6月16日(日)15時から兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホールで兵庫芸術文化センター管弦楽団 第62回定期演奏会がありました。

パンフレットとプログラムです。

 

 

指揮は89歳になるイギリスの巨匠、サー・ネヴィル・マリナー氏です。白い上着姿がダンディです。ずっと前に来日したときにと比べると、お年だなという感じは否めませんが、HYOGO PACと奏でる音楽は若々しいものでした。

コンサートでは珍しく、3曲の交響曲、しかもすべて30歳台で亡くなった作曲家の作品です。つまり若いときの作品を老巨匠が指揮するわけです。

2番目のビゼーのはハ長調交響曲は、17歳の時の作品で、今回初めて聞いた曲ですが、ビゼーらしいわかりやすい旋律が続く清々しい曲でした。

全体を通じての印象は、マリナー氏らしい端正な指揮からみずみずしい音楽が鳴り響いた演奏でした。

アンコールはメンデルスゾーン作曲 交響曲第5番 ニ長調 Op.107 「宗教改革」より第3楽章でした。短い曲ですが、旋律がとても美しく、涙が出てきそうな静謐さを感じる演奏でした。

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6月度 平家物語を読む会

2013年06月22日 | 講座・会合

 6月15日(土) 14時から尼崎市立中央図書館で平家物語を読む会がありました。初めて参加された方を含め出席者は35名でした。

5月の会合は恒例のバスツアーでしたが、残念ながら別件と重なり参加できませんでした。

4月の例会に続き、巻第十一 先帝身投の段の 8歳になられた安徳天皇が二位の尼(時子)に「私をどこに連れて行くのか」と問いかけるところから最後までを読み進めました。平家物語の中で安徳天皇の姿かたちや心情に言及したのはここだけで、平家物語の謎の一つなのです。

また前回に引き続き、砂川先生はレジュメの愚管抄、吾妻鏡、屋代本平家物語、延慶本平家物語(鎌倉時代初期に成立)等を読み比べることにより、本当のところ安徳帝に対して時子はどう話したのか、平家物語の変遷等について考察を加えられました。

安徳帝の問いに対し

・覚一本平家(我々が読み進めている)では ①運が尽きた ②この国は穢土(間接的な言い方) なので極楽浄土に行く。

・屋代本平家では 理由は言わず 西方浄土へ行く。

・延慶本平家では ①穢土(直接表現)から極楽に行く。

の3通りに分かれているが、延慶本の 天照大神に対しなぜこのような仕打ちをするのかと二位の尼が問いかける文章には、祖母としての心情が最も良く出ており、これが実態に近いと思いたい。もしこれが創作ならば作者はすごい。

一方同時代の人たちは、二位の尼が最後に何を言ったのかや安徳帝の思いについて興味はなかったようだ。愚管抄では素っ気なく事実のみを記述し、三種の神器、特に宝剣の行方に興味があったことがわかる。しかし平家では二位の尼に語らせている。これには鎮霊という意味もあるのだ。

また入水の前に二位の尼が言う有名な言葉「浪の下にも都のさぶらうぞ」は屋代本には無いが、延慶本の二位の尼の辞世からのものであることがわかる。

入水の後、覚一本では「幼い天皇の悲劇のいたわしさ」に対する作者の思いを、漢語、和語混じりの華麗な対句を用いて述べている。これは悲愴さをあらわす荘重なものだが、延慶本には無いし、屋代本は約半分の言葉になっている。これから覚一本は屋代本を加筆、増補した版と想像される。このように平家物語は、だんだん巻数も増えていったのだ。12巻の覚一本に対し、最初の平家は3巻だったという説もあるそうだ。ちなみに延慶本は6巻だし8巻の平家があったことは事実だそうだ。

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「アメリカの鏡・日本」

2013年06月21日 | 雑誌・本

昨日のブログで中国古典を読む会の岡本先生に勧められた本「アメリカの鏡・日本」を早速購入し読んでみました。

本の表・裏です。

 

内容の一部は裏側に書いてあるとおりですが、非常に説得力のある内容です。興味深く、あっという間に読み終わりました。

昭和26年5月、マッカーサーが米国議会で最も権威があるとされる上院の軍事外交合同委員会に召喚され、ヒッケンルーバー上院議員の質問に答えての証言“Their purpose,therefore,in going to war was largely dictated by security”の下敷きになった本かも知れません。

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