ナショナル・ジオグラフィック日本版 2013年2月号 読了しました。
表紙と特集の目次です。
2月24日(日)15時から兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホールで兵庫芸術文化センター管弦楽団 第58回定期演奏会がありました。
パンフレットとプログラムです。
指揮はオランダ生まれのベテラン指揮者ユベール・スダーン氏です。
1曲目はブラームス作曲「ヴァイオリン協奏曲」、ヴァイオリンは堀米ゆず子さんです。さすがに公開リハーサルの時より指揮者、ソリスト、オーケストラの息がピッタリ合った素晴らしい演奏でした。
堀米ゆず子さんのアンコール曲は①バッハ作曲 無伴奏ソナタ第1番より“アルマンド” ②無伴奏パルティータ第3番より“ガボット”の2曲でした。堀米さんのヴァイオリンは グァルネリ・デル・ジェス ですが、ブラームスでは骨太な音色だったものが、アンコールになると繊細な音色というように弾き分けられており、名器の多彩な音色を楽しむことができました。
2曲目はシューベルト作曲 交響曲第4番ハ短調「悲劇的」。 指揮のスダーン氏はオーケストラの各パートとアイコンタクトを取りながら大きな身振り手振りで、曲想を伝えられているようで、メリハリがほどよく効いた熱演だったと思います。
アンコールは①ワグナー作曲「ヴェーゼンドンク歌曲集第5曲“夢” ②シューベルト作曲「劇付随音楽“ロザムンデ”より間奏曲No.5 の2曲でした。
充実した定期演奏会でした。
2月22日(金)、ゆうさん会(懇親会)に参加いたしました。ゆうさん会はかつて勤務していた会社の先輩A氏、Y氏を中心とした会で、年2回のGOLF会の他、懇親会は年一回、毎回異なる場所で開催されています。今回の場所はホテル阪急インターナショナル1階にある「ナイト&デイ」。2012年度“ランチを楽しめるホテルビュッフェ”で関西1位に選ばれた店だそうです。
会員総数30名強の内20名が参加し、1年ぶりの懇親会とあって話が弾みました。あっという間に制限時間である2時間が経過、お開きとなりました。
2月21日、TOHOシネマズ西宮OSに映画「ダイ・ハード/ラスト・デイ」を見に行きました。
映画館内の看板です。
予告編です。
2月21日(木)午前10時30分から開催された 兵庫芸術文化センター管弦楽団 第58回定期演奏会公開リハーサル を聴きに行きました。
公開リハーサルの曲はブラームス作曲「ヴァイオリン協奏曲」、指揮はオランダ生まれのベテラン指揮者ユベール・スダーン氏、ヴァイオリンは堀米ゆず子さんです。
堀米ゆず子さんのヴァイオリンは名器グァルネリですが、昨年8月ドイツのフランクフルト国際空港で税関に差し押さえられけれども、1ヶ月後に無償で無事返還されたと話題になりました。そのときの報道では評価額は約1億円とのことでしたね。
指揮のスダーン氏は公開リハーサルに入る直前、楽譜を持ってフルート、オーボエ奏者となにやら打ち合わせをされていました。第2楽章の冒頭の演奏のことだったのでしょうか。
ソリストを交えてのリハーサルは初めて見、聴きするものでした。指揮者、ソリスト、コンマス(堀米さんが指揮者との間を取り持っていたようでした)が協力してオーケストラと曲を作り上げて行く様子がよくわかりました。24日(日)の本番の演奏がとても楽しみです。
中国春蘭「呉鳳」が咲きました。年中ベランダに出して栽培しているのですが1輪目が咲きました。花芽はあと2つありますので長く楽しめそうです。
写真は2月17日(日)に撮影したものです。
2月16日(土) 14時から尼崎市立中央図書館で平家物語を読む会がありました。寒い日でしたが出席者は36名でした。
前回で巻第十一 鶏合 壇浦合戦は読み終わり、今回から遠矢に入ります。
砂川先生は配布の「平氏知行国・荘園・家人図」で日本国の半分を知行国としていたといわれ、全盛を極めていたころの平氏の強大な勢力を説明されると共に、遠矢の最初に出てくる和田小太郎義盛について、白板に書いた名門三浦氏の系図や数々のエピソードから頼朝との関係、なぜ御家人たちを統括する侍所別当になったかなどを1時間にわたり解説される。
また吾妻鏡には壇ノ浦の戦いについて具体的に書かれていないが、義経の合戦注文は有ったはずなのに全く引用もされていないのは、故意にカットしたことも想定されるとのこと。書かれていないのはなぜかということを考察するのも文学者の性というものなのだろう。
いよいよ遠矢の段に入る。平家物語の軍語りは、全体の軍と個人の軍を混合して書いてあるわけだが、ここは後者の描写である。源氏方の和田小太郎義盛が強弓を射ると、平家方の新居の紀四郎親清がさらに遠くに射返す。さらに新居紀四郎親清が強弓で射たが、今度は源氏方の阿佐里与一が400mあまりの距離に居た紀四郎を射貫いたという話だ。
和田小太郎が新居の紀四郎に負けたときに、三浦一族の人たちが嘲笑したとあるが、砂川先生はなぜ笑ったのかを考察。①平家物語が成立したときには和田の乱も終わっていたことから、三浦一族の結束が弱かったことが明らかだった。 ②この時代の武士は字が読めなかったため、作者(貴族社会)から見た武士像はこのようなものだった。 等々を挙げられる。
また先生は、ここにもも当時の武士の精神“名こそ惜しけれ”が出てくること、義経は言葉遣いをきっちりできる人と描かれていること、平家物語は人物の年齢に頓着していないこと等を説明される。
2月18日、19日の2日間体調を崩し外出できなかったため、昨日(20日)は、寒い中きれいな花を咲かせている冬桜があるルートを散歩しました。冬桜から元気をもらいました。
冬桜の可憐な花です。
一昨日のブログの続きです。昼食後地下鉄に乗り石田駅へ。まず日野薬師法界寺に向かいます。
名家藤原一族の藤原家宗が、伝領地である山城国宇治郡日野に822年法界寺を建立して薬師如来の小像を祀った。その後代々この薬師如来を伝承し、1051年、子孫の資業があらためて薬師堂を建立し、別名を日野薬師とも称した。これがその後資業を始祖とする一門の氏寺となり、名字も日野と名乗るようになった(WIKIPEDIAより抜粋)。
日野資業から4代後にあたるのが親鸞聖人なのです。
法界寺です。
左側が阿弥陀堂、右奥が薬師堂です。
阿弥陀堂および、その中の定朝様式の阿弥陀如来座像は国宝です。この阿弥陀様は親鸞聖人が幼少のころ初めて御仏とのご縁を結んだといわれるものですが、寄せ木造りで飛天光背をもつ優れた仏像でした。内陣の漆喰の壁間に書かれた天人の壁画は剥落していますが、法隆寺の金堂壁画が消失した今、完全のものとしては日本最古のものとなり、重要文化財に指定されています。
阿弥陀堂と薬師堂です。
薬師堂は法界寺の本堂ですが、現在のものは明治37年に奈良県竜田の伝燈寺本堂を移築したもの。内陣厨子の中に安置されている薬師如来は秘仏となっている。高さ80cmで胎内に伝教大師作と伝える胎内仏が蔵められ、胎児を宿す婦人の姿として往古より安産、授乳の御利益があるとされ、特に若い女性の厚い信仰を集めているそうだ。上の写真に見るようによだれかけ等が奉納されている。
薬師堂の前にある蓮池。
続いてすぐそばにある日野誕生院へ。1828年本願寺第20代広如宗主が、宗祖の親鸞聖人ご生誕の地を顕彰して堂宇を建てたのが始まり。
発心の像の横に「明日ありと思う心のあだざくら夜半に嵐の吹かぬものかは」の歌碑がある。
本堂です
日野家の廟所
続いて鴨長明の庵が建っていた場所である方丈石に向かいます。
萱尾神社の脇の道を650mほど登ったところにある方丈石。
歴史探訪はこれにて終了。JR六地蔵から京都駅まで行きお疲れ様会です。
2月14日(木)、いずみホールで18時30分開演の「関西二期会 時代を彩るプリマ、プリモたち」を聴きに行きました。
パンフレットとプログラムです
プログラムの左上にも書いてあるとおり、大ベテランのかたがたの歌です。
若いころに比較すると声は衰えているのでしょうが、滋味は加わっているのだそうです。
最初の曲、宇仁さんの「うぐひす」は伴奏なしで、美声がホール一杯に響き渡りました。2曲目以降は全て今岡淑子さんのピアノ伴奏でした。今岡さんのピアノが素晴らしく、出演者の歌の情感を増幅して伝えてくれました。