K.テツのひとりごと

行動記録、趣味の話などを書いてゆきます

「琵琶湖の水と発電」探訪 その2

2012年06月30日 | 京都

6月28日(木)のブログの続きです。

続いて聖護院蓮華蔵町にある関西電力夷川発電所を探訪。

(京都文化遺産より)

1895年(明治28年)の平安建都1100年記念大会や第4回国内勧業博覧会の頃には、電力需要が増加し、第一疏水だけでは対処できなくなっていた。第2代京都市長西郷菊次郎は、京都の三大事業(1:第二疏水開発(発電出力増強)、2:水道事業、3:道路構築(電車))を計画し、その中核に第二疏水事業を据えた。第二疏水は、1908年(明治41年)10月に着工し、1912年(明治45年)4月に完成した。夷川発電所と伏見発電所(墨染発電所)はこの計画の一環として建設された。夷川発電所は、1912年(明治45年)11月に工事着工し、1914年(大正3年)4月に竣工した疏水系発電所である。

 発電所建物と近くにある北垣国道の像。

 

 

 昼食後に深草墨染町にある関西電力墨染発電所を探訪。取水口と発電所建屋です。

 

 これまで疎水を利用した発電所を探訪してきましたが、続いて瀬田川の水を利用している発電所を探訪します。まず宇治平等院の川向かいにある宇治発電所です。通常は建物はほとんど見えないのですが、漁協の方が釣りをしていたので、発電所の建物に近づくことができました。

 

 取水口は後ほど訪れる南郷洗堰の上流にあります。

 続いて天ヶ瀬ダムの水を利用する天ヶ瀬発電所です。写真ではダムの右側に見える建物です。左側の大きい建物は旧志津川発電所の建物です。

 

天ヶ瀬ダムの堰堤です。

 

 さらに上流に行くと関西電力喜撰山発電所への喜撰山大橋がありました。残念ながら通行止めになっていました。喜撰山発電所は天ヶ瀬ダムをした下池とする揚水式発電所です。

 

琵琶湖から瀬田川への放流量を調整する南郷洗堰です。雨が多く琵琶湖の水位が高くなっているせいか全開になっていました。

 

洗堰の上流川にある宇治発電所の取水口(宇治発電所制水門)です。

 

本日の最後の予定である三井寺駅のそばにある琵琶湖疎水の取水口です。取水した水はすぐに暗渠に入ります。春には桜で有名な場所です。

 

O氏と一緒に。再会を約して別れました。

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兵庫芸術文化センター管弦楽団 第53回定期演奏会

2012年06月29日 | 音楽

6月24日(日)、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールに兵庫芸術文化センター管弦楽団 第53回定期演奏会を聴きに行きました。

パンフレットとプログラムです。

 

 6月は2011-2012シーズンの締めくくりの定期演奏会です。1曲目のモーツアルト作曲 バレエ音楽「イドメネオ」は指揮者の意向により1曲目(シャコンヌ)と2曲目(パ・スール)のみの演奏に変更されました。指揮は次世代の指揮者の中で、もっとも有望な音楽家の一人と評されているミラノフ。流麗な指揮ぶりです。

 2曲目のシベリウスのヴァイオリン協奏曲は松山冴花のヴァイオリン。素晴らしいテクニックと繊細で情感たっぷりの演奏でした。

 3曲目のチャイコフスキーの交響曲第4番、演奏家たちにとって一区切りとなるわけであり、指揮者と一体となった情熱的で素晴らしい演奏だったと思います。

 指揮者、独奏者、管弦楽団員全員に拍手です。

 アンコールはチャイコフスキー作曲組曲「くるみ割り人形」より”トレパック”でした。

 

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「琵琶湖の水と発電」探訪 その1

2012年06月28日 | 京都

 6月23日(土)東京在住のO氏と一緒に「琵琶湖の水と発電」の探訪に出かけました。O氏は本年4月に出身地である富士山北側を源流とする「桂川水系」の水力発電システムに関する本を出版しており、琵琶湖疎水を利用した日本最初の事業用水力発電所である蹴上発電所の調査もしてみたいとの意向であったため、蹴上発電所のみならず琵琶湖の水を利用した発電所や関連設備を探訪することになったのです。

 琵琶湖の水を利用した発電所は疎水を利用している発電所に、関西電力の蹴上、夷川、墨染の3発電所があり、また瀬田川の水を利用している発電所として関西電力の喜撰山(揚水)、天ヶ瀬、宇治の3発電所があるのです。京都で落ち合った我々は、琵琶湖疎水記念館→蹴上→夷川→墨染→宇治→天ヶ瀬→喜撰山→宇治発電所制水門→琵琶湖疎水取水地点の順に探訪することにしました。

 はじめに南禅寺草川町にある琵琶湖疎水記念館へ。記念館には琵琶湖疎水建設に関する膨大な資料が常設展示されています。

 記念館と疎水竣工100周年(H2)の記念碑です。

 

(WIKIPEDIAより)

 禁門の変で市中の大半が焼け、明治維新と東京奠都に伴い京都市は人口が減少し産業も衰退したため、第3代京都府知事の北垣国道が灌漑、上水道、水運、水車のの動力を目的とした琵琶湖疏水を計画。主任技術者として、大学を卒業したばかりの田邉朔郎を任じ設計監督にあたらせた。

 第1疏水は1885年(明治18年)に着工し、1890年(明治23年)に大津市三保ヶ崎から鴨川合流点までと、蹴上から分岐する疏水分線が完成した。第1疏水(大津-鴨川合流点間)と疏水分線の建設には総額125万円の費用を要し、その財源には産業基立金、京都府、国費、市債や寄付金などのほか、市民に対しての目的税も充てられた。

 また、水力発電は当初の計画には存在しなかったが、田邉らがアメリカで視察したアイデアを取り入れ、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設し、1891年(明治24年)に運転が開始された。この電力を用いて、1895年(明治28年)には京都・伏見間で日本初となる電気鉄道である京都電気鉄道(京電)の運転が始まった。鴨川合流点から伏見堀詰の濠川までの鴨川運河は1892年(明治25年)に着工し、1894年(明治27年)に完成した。

 

 蹴上にあるインクラインと台車。(落差の大きい蹴上にはケーブルカーと同じ原理のインクラインが設置され、船を線路上の台車に載せて移動させた。)

 

田邉朔郎博士の銅像。

 

蹴上ダムにある蹴上水力発電所の取水口、鉄管、発電所建屋です。

 

南禅寺境内にある水路閣と上を流れる疎水です。

 

続きは後日。

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写真ツアー下見 その5(長門市から新山口駅へ)

2012年06月27日 | 写真

 

 6月24日のブログの続きです。

 長門市に到着、観光課の女性に聞いた美味しいお魚の店は夜の営業のみだったので、「金の鈴」というお店で昼食を摂りました。台風の進路は少し南に逸れたようです。

金子みすゞ記念館がある仙崎地区には大型バスが止まる駐車場はないということ、今日は時間がないことから仙崎地区の先にある青海島(あおみしま)の鯨の墓が有る地区へ。この島には漁港もあり本番の撮影会の候補になりそうです。

この地区は鯨を古代漁法で捕っていたところのようです。鯨資料館と、その前にあった鯨。

 

古代漁法の模型です。

 

 台風のこともあり、皆がよく知っている萩には行かずに新幹線の新山口方面に向かいます。ようやく雨が上がったときに、鉱山らしきものが見えたため寄ることにしました。ここは廃鉱になったため石灰の加工だけやっているようです。昔の社宅跡も有りましたが、まだ住んでいる方もあり、大勢で撮影するのは差し控えるべきでしょう。

 

鉱山の前にある美祢線の重安駅。たまたま一両建ての列車が入線してきました。臨時鉄ちゃんになりました。

 

新山口駅から帰着の途につきました。新幹線は台風の影響を受けずに予定時刻に新大阪駅に到着しました。

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2012年6月度やろう会

2012年06月26日 | 講座・会合

 6月22日(金)18時30分から6月度やろう会がありました。場所は「武蔵坊」、出席者は14名、卓話はメンバーK氏(私)の「雑感・フリーになって一年」でした。

集合写真です。

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スマートフォンをiPhone4S(au)に変更しました

2012年06月25日 | 日常のこと

 6月21日(木)、前日に届いたauからのダイレクトメール(スマートフォンIS03を長く利用している人向けにスペシャルクーポンが入っており、機種変更を促すもの)につられ、機種変更の相談にauショップへ。機種をiPhone4Sに変更しました。早速ムック本を買い使い勝手を向上させるべく勉強しています。

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写真ツアー下見 その4(門司港レトロから長門市へ)

2012年06月24日 | 写真

 昨日の続きです。

 6月19日(火)朝、宿泊の北九州八幡ロイヤルホテルと、目の前のスペースワールドです。台風4号が接近しているため、あいにくの雨です。

 

 朝刊に「台風4号の進路は大阪に帰着する予定の20時頃に大阪を直撃する」との情報があったので、皆がよく知っている萩行きは取り止めるなど、予定をできるだけ早めてゆき、早い新幹線で帰ることにしました。

 まずは門司港レトロ周辺を散策。駐車場におしゃれなデザインの塀がありました。

 

総合インフォーメーションが入っている旧門司税関と旧大阪三井商船。

 

門司港では焼きカレーが名物なのでしょうか、フェアをしていました。

 

レトロな門司港駅です。

 

駅内部もレトロな雰囲気が残っています。自動券売機と改札。待合室、ホーム

 

予定時間を1時間以上超過して出発。金子みすゞの町、長門市へ向かいます。海沿いの道を走っていると水平線に太陽光が当って印象的な景色に出合いました。

 

続きは後日。

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写真ツアー下見 その3(国東半島 両子寺、豊後高田昭和の町)

2012年06月23日 | 写真

 昨日の続きです。

 18日の午後、杵築市から国東市を経て国東半島の中央にある両子寺に向かいました。天気予報は午後から雨ということでしたが、何とか持ちそうです。途中、写真になりそうなところで停車し撮影しましたが、カメラを持つと時間を忘れる人ばかりなので、予定の時間よりどんどん遅れてしまいます。

 両子寺は下の案内板にもあるとおり、AD718年(養老2年)仁聞菩薩の開基の寺。神仏習合の希有なる天台宗寺院だそうです。

 

 鐘楼のそばに割いていた花。

 

 護摩堂には本尊の不動明王と開基された仁聞菩薩の像がありました(撮影禁止です)。鬼橋から奥の院、大講堂へ行く坂道を望む。

 

両所大権現への鳥居と大講堂。

 

大講堂から見た景色、大きなリス。

 

 道祖神

 

有名な仁王像と仁王門

 

両子寺から、豊後高田市へ。地図に「日本一の仁王像」と有ったので探しに行きました。地元の方に聞いても分かる人が少ないはずです、何でもないところに国道を挟んで2体の仁王様が立っていらっしゃいました。

 

続いて昭和の町へ。商店街全体が昭和の町の雰囲気を残すように努めている町です。双葉山生誕100周年記念会が開催されていました。

 

中央通り商店街

 

旧大分合同銀行内にある昭和の町展示館の内部。

 

時間があれば飯塚、田川など炭鉱の町にも寄ろうと思っていましたが、時間がなくなり断念。予定より1時間以上遅れて、本日の宿北九州八幡ロイヤルホテルに到着しました。部屋からはスペースランドが目の前に見えます。

 

 ホテルでの夕食の後就寝。

続きは明日。

 

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写真ツアー下見 その2(別府から国東半島杵築へ)

2012年06月22日 | 写真

 昨日の続きです。

 別府観光港からレンタカーで湯けむりが見える場所を探しました。

 稲荷神社の小山から見た湯けむりです。

 

 湯けむり展望台がありました。「湯けむりの風と遊べる小春かな 紘文」の句碑がありました。

 

 国東半島の杵築市に向かう前に宇佐市安心院(あじむ)町にある桂昌寺地獄極楽に行ってみました。ここは日本珍スポット100選に選ばれているところです。

 英語とハングルの案内板です。

 

 当時荒廃していた桂昌寺を、信者から頼まれた天台僧 午道法印(ごどうほういん)が復興させ、本堂の後の岩に約70メートルの洞窟を掘り江戸後期の文政三年(1820)頃に大衆教導のために地獄極楽(じごくごくらく)を造ったのだそうです。実態は洞穴の中にある体験型教導施設というところです。

下の洞穴から入ると閻魔庁。薄暗い中、中央に閻魔大王、その左右は牛頭羅刹、馬頭羅刹。

 

 

続いて地獄道へ入ります。現在は裸電球が下がっているが、江戸時代は手元の灯りのみだったので、とても暗く地獄のように感じられたのだろう。

 

血の池地獄の赤鬼、青鬼。

 

 三途の川(さんずのかわ)の奪衣婆(だつえば)。

 

菩提坂を通り、極楽道へ。

 

来迎弥陀(観音菩薩・勢至菩薩)の前に出ます。

 

 横にある5メートルの竪穴を鎖伝いに登ると、丘の上には阿弥陀如来を中心とした多くの菩薩が安置され極楽浄土となっているそうですが、今回は登りませんでした。

 ここは面白い施設ではありますが、狭く、低いばかりか、とても暗い洞穴を進まなくてはならないため、20名以上で行く撮影旅行の行程に入れるのは無理だと思います。

 

 続いて杵築市へ。

 ここは江戸時代の風情が今なお残っているまちで、杵築城を中心に、南北の高台に武家屋敷群があり、その谷間に商人のまちが挟まれている”サンドイッチ型”城下町といわれています。

 駐車場の前にあった幼稚園です。

 

坂を登って北台武家屋敷へ。途中の風景です。

  

 

武家屋敷通りです。

 

 

昼食は「故郷」というお店で。

 

 趣のある坂が多い町でもあります。上は酢屋の坂。

 

続きは明日。

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写真ツアー下見 その1(サンフラワーで別府へ)

2012年06月21日 | 写真

 6月17日、写塾の宿泊写真ツアー担当の仲間と一緒に、10月の写真ツアーの候補地の下見に行きました。今回の行程(予定)は サンフラワー号にて船中泊し別府→国東半島(杵築、国東市、両子寺、豊後高田市)→八幡市(宿泊)→門司港レトロ→長門市→萩市→新山口駅から新幹線にて帰着 です。

 大阪南港を19時05分発のサンフラワー号に乗船、おなかが空いていたので先ずは夕食(お酒も)にしました。

 

 南港にある発電所が見えます。

 

 18日朝の写真です。

 

 

 船の中での朝食後、朝7時に別府観光港に到着しました。

 

 続きは明日。

 

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