6月28日(木)のブログの続きです。
続いて聖護院蓮華蔵町にある関西電力夷川発電所を探訪。
(京都文化遺産より)
1895年(明治28年)の平安建都1100年記念大会や第4回国内勧業博覧会の頃には、電力需要が増加し、第一疏水だけでは対処できなくなっていた。第2代京都市長西郷菊次郎は、京都の三大事業(1:第二疏水開発(発電出力増強)、2:水道事業、3:道路構築(電車))を計画し、その中核に第二疏水事業を据えた。第二疏水は、1908年(明治41年)10月に着工し、1912年(明治45年)4月に完成した。夷川発電所と伏見発電所(墨染発電所)はこの計画の一環として建設された。夷川発電所は、1912年(明治45年)11月に工事着工し、1914年(大正3年)4月に竣工した疏水系発電所である。
発電所建物と近くにある北垣国道の像。
昼食後に深草墨染町にある関西電力墨染発電所を探訪。取水口と発電所建屋です。
これまで疎水を利用した発電所を探訪してきましたが、続いて瀬田川の水を利用している発電所を探訪します。まず宇治平等院の川向かいにある宇治発電所です。通常は建物はほとんど見えないのですが、漁協の方が釣りをしていたので、発電所の建物に近づくことができました。
取水口は後ほど訪れる南郷洗堰の上流にあります。
続いて天ヶ瀬ダムの水を利用する天ヶ瀬発電所です。写真ではダムの右側に見える建物です。左側の大きい建物は旧志津川発電所の建物です。
天ヶ瀬ダムの堰堤です。
さらに上流に行くと関西電力喜撰山発電所への喜撰山大橋がありました。残念ながら通行止めになっていました。喜撰山発電所は天ヶ瀬ダムをした下池とする揚水式発電所です。
琵琶湖から瀬田川への放流量を調整する南郷洗堰です。雨が多く琵琶湖の水位が高くなっているせいか全開になっていました。
洗堰の上流川にある宇治発電所の取水口(宇治発電所制水門)です。
本日の最後の予定である三井寺駅のそばにある琵琶湖疎水の取水口です。取水した水はすぐに暗渠に入ります。春には桜で有名な場所です。
O氏と一緒に。再会を約して別れました。