K.テツのひとりごと

行動記録、趣味の話などを書いてゆきます

講演会「平清盛と尼崎」

2012年04月30日 | 雑誌・本

 4月26日(木)14時から小田公民館で開催された、尼崎郷土史研究会定期総会講演会「平清盛と尼崎」に行きました。講師は尼崎市教育委員会 歴博・文化財担当の楞野(かどの)一裕氏。レジュメで内容を理解したあとスライドでイメージを強固にするという方法での講演でした。

以下講演会の内容です。

 はじめにNHKの大河ドラマの話があった後、平清盛の「悪逆非道」のイメージは”平家物語史観”あるいは”皇国史観”からきているわけであるが、実際に調査するとそのイメージばかりではないことが分かる。

1.清盛の生涯 (1)出自と出生 (2)武門平氏の棟梁から武家政権へ・・・レジュメの年譜などを使いとてもわかりやすく説明されました。

2.平安時代末期の尼崎

 (1)神崎川河口の発達・・・785年に淀川と神崎川を結ぶ水路が開削されると、神崎川が京都と西国を結ぶ河川交通の主要ルートになり、河尻(神崎川河口)の諸港湾(神崎、大物、杭瀬など)は京都の外港、川船・海船の乗り換え地点として発達。

 (2)大物・尼崎の発達・・・大物は12世紀中頃から文献に登場。大物の下流に砂州が集まってできた「尼崎浜」は大物よりはあと、治承年間 (1177-81)の貴族の日記が尼崎の所見資料?大物遺跡からは平安時代末期~鎌倉時代前期の輸入陶磁器を含む大量の遺物が出土しており、大物が瀬戸内有数の港湾であったことを示している。

3.寺江山荘と清盛

 (1)幻の寺江山荘・・・平清盛と仲が良かった五条大納言藤原邦綱の別邸「寺江山荘」は寝殿造りの建物で、邸内の池には神崎川の河水を導入されていたことが文献から分かるし、また上皇、天皇はじめ貴族たちが訪れたこともはっきりしているのだが、文献に出てくるのは1179~1180年の2カ年間のみであり、存続期間は短かったのかもしれない。(邦綱の没年は1181年)

 (2)邦綱について・・・藤原邦綱は摂関家の藤原とは異なり中級公家官人の出身で天皇家、摂関家と緊密な関係があり、正二位、権大納言という異例の出世を遂げた人で、摂関家領押領を献策するなど清盛と近い関係だった。

 (3)所在地と遺構・・・記録からは神崎・大物間の神崎川―左門殿川沿いに所在した可能性が高い。今福付近か?しかし周辺地域での埋蔵文化財調査等では関連遺構は未発見なので現在の川の中かもしれない。

4.おわりに 尼崎の清盛伝承・・・大覚寺文書の中の「四条隆蔭書状」と「覚一本平語相伝次第」の2点の文書に出てくる。

 きちっと整理され、わかりやすい講演会でした。

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有馬温泉(2日目)

2012年04月29日 | 国内旅行

 肩痛が治ったので約2カ年していなかったゴルフを今年4月に解禁しました。昨年6月末会社勤めをやめたあと近所の接骨院に通い、鍼、カイロプラティクス、マッサージをすることにより、ほぼ3ヶ月で痛みが取れました。昨年の大晦日に確認のためのゴルフに行き、気候がよくなる4月に解禁することを決めました。

 4月28日(土)、解禁してから3回目のゴルフ、次男と長女と一緒に有馬富士カンツリークラブを回りました。子供たちと一緒にプレーするのは昨年の大晦日以来です。ゴルフ場にはまだ桜が残っており、また山ツツジもきれいでした。

 

 周りの山々は木々の新芽が萌え出てまさに「山笑う」がぴったりの様子でした。

 15時過ぎに有馬温泉に帰着。夕食は和食です。ビールで乾杯したあと

    

 

少なめのコースでしたが、お酒にぴったり。

昨日飲まなかったイタリアのワインを部屋で飲みました。

 

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有馬温泉(1日目)

2012年04月28日 | 国内旅行

 4月27日(金)から家族で有馬温泉の東急ハーベスト有馬六彩に来ています。次男と長女は会社勤めのため今晩ホテルに入ります。家内と家内の母を含め全員5名、2部屋2泊する予定です。

 有馬に入る前に、途中仁川高台に芝桜をみるため立ち寄りました。ここは阪神淡路大震災の時に土砂崩れが発生、13戸を押しつぶし34名の命が奪われたところです。

 

有馬温泉に到着。ホテルからの展望です。

 

沙羅双樹で有名な念仏寺。まだ桜の花が残っていました。

 

温泉寺と温泉神社(有馬の温泉旅館の名前が一杯です)

 

八重桜が満開でした。

 

 ホテルには自前の泉源である金泉、銀泉の2種類の温泉があります。風呂に入ったあとは待ちに待った夕食。本日はイタリアンです。

          

 8番目のアップルマンゴーとオレンジにレモンのスムージーは写真を撮るのを忘れて食べかけです。

 美味しいイタリアのワインを家から持ってきたので、夕食はビールと日本酒にいたしました。

 子供たちがホテルに入ったのは、22時。ということで風呂上がりのビールにとどめました。明日はいい天気、子供たちと久しぶりのゴルフです。

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和のTSU BA KI

2012年04月27日 | グルメ

 4月24日(水)21時過ぎから「和のTSU BA KI」で食事をしました。演奏会が終了したあとなので、ザ・シンフォニーホールの近くのホテル阪神の地下で見つけたお店です。

 「にんにくや」だったスペースを改装して4月6日からオープン、以前とがらっと変わっていました。

 

 音楽会の前にホワイエでサンドウィッチ(+ビール)をつまんだだけでしたので、少しおなかが空いていました。

 先ずはビールと突き出しです。それに海鮮サラダ、サイコロステーキ、もち、山芋と明太子の焼き物。

   

 

 日本酒に切り替え、薄切りトマトと漬け物(写真を撮るのを忘れました)。シメはにんにくや名物のガーリックライスです。

 

 

 すべてを個室風に区切ったスペースに改装したのだそうです。また「にんにくや」の時に人気だったメニューは残しているとのことでした。

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今日の一言(4月26日)

2012年04月26日 | 今日の一言

今日の一言(4月26日) 「安岡正篤一日一言」(致知出版社)より

親父の役割

 人間はやはり、良心・霊性・魂にひびかなければ、何事も真の解決は出来ないのであります。

 然もそういう純な心はもう二つ三つの幼児の頃から、子供は本能的に鋭敏に受け取ることが出来る。だから子供は言説で教えるよりも、情的に感じ取らせることの方が大事なのです。親父は千言万言を費やして説教するよりも、黙って子供に見せることであります。

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大阪交響楽団 第165回定期演奏会

2012年04月25日 | 音楽

 昨日 大阪のザ・シンフォニーホールで19時から開催された大阪交響楽団 第165回定期演奏会に行きました。

 チラシとプログラムです。

  

 

 大阪交響楽団は2010年4月までは大阪シンフォニカー交響楽団という名前だった1980年創立の楽団。今年の4月から一般社団法人となりました。指揮の高関健氏は初めての客演だそうです。プログラムは作曲家の肖像Ⅳで全3曲すべてがベートーヴェンです。

 プログラムの1曲目「プロメテウスの創造物」作品43”終曲"の主題は3曲目の交響曲第3番「英雄」作品55の第4楽章の変奏主題なので、最初と最後に同じ主題が出てくるという面白い選曲となっており、とても楽しめました。

 3曲目の演奏に一部破綻があったものの、指揮者の高関さんは汗をふき取りながらの大熱演でし。また演奏者もそれに応えていました。

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サムハラ神社 春の大祭

2012年04月24日 | 日常のこと

 4月22日(日)11時からサムハラ神社春の大祭がありました。

 

 「サムハラ」は難しい字です。

 

 大祭が始まる前に美味しいぼた餅を頂きました。

 

 お弁当は持ち帰ることにして、梅田の買い物のついでにヨドバシの8Fで昼食。

事務所、社務所の竣工記念に頂いた記念品のだるまです。

 

 夜、頂いたお弁当を頂きました。

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中国報歳蘭が咲きました

2012年04月23日 | 日常のこと

 中国報歳蘭が咲きました。(写真は4/21撮影)

 

 報歳蘭は台湾では旧正月頃咲くのだそうですが、今年は2,3月が寒かったせいか今頃になりました。花茎は2本、花は22着いています。しばらく楽しめそうです。

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4月度 平家物語を読む会

2012年04月22日 | 講座・会合

 4月21日(土)4月度 平家物語を読む会がありました。物語は巻第11「嗣信最期」の途中・・・平家一の強弓、精兵として知られる大将軍能登守教経が義経を射落とそうと狙うが、佐藤三郎兵衛嗣信が矢面に立ちふさがり射貫かれる。・・・から最後まで。

 ここでは①主従愛、忠節、忠誠物語(義経と嗣信、教経と菊王) ②兄弟愛物語(佐藤三郎と四郎、平通盛と教経)の2つの物語がうまく描かれている。史実かどうかの観点で吾妻鏡を見ると教経は全く出てこないが信嗣の最期は出てくる。教経の話が作り話だとすると、とても良くできている物語だ。また菊王が討たれて哀れに思った教経は、その後戦をしなかったと書いてあるが、これは富士川の合戦の前に斎藤別当実盛が描いた「西国武士」そのものになっているのも面白い。

 佐藤三郎嗣信を義経が懇ろに弔う事は吾妻鏡にも出てくる。義経と家来は純粋な(土地を媒体にするのではない)主従関係でつながっていたことは、吾妻鏡の義経最期の記述を見ても明らかなのだそうだ。レジメで平家物語の「延慶本」と「屋代本」での嗣信の遺言の違いを教えて頂いたが、平家物語の本によって異なる様がよく分かった。 いずれにしろ当時の武士は「名を惜しむ」事を大事にしていたようだ。

 次回からいよいよ那須与一に入る。砂川先生は那須与一について「分からないことがとても多い」のだそうだ。それは吾妻鏡に大活躍した那須与一の話が全く出てこないからである。

①那須与一の話がなかった場合:平家物語でこれほどの話を作る必然性は無いのではないか。

②那須与一の話はあったが、吾妻鏡に書くことのできない事情があった。・・・那須与一は若くして京都伏見で死に、即成院に葬られているとされているが、実際は義経について奥州で戦死した。これは吾妻鏡の建久4年3月9日に出てくる那須太郎光助の話と暗合する。

 このようなお話を聞けるのもこの講座の素晴らしいところだ。次回5月はバスツアーで平家ゆかりの場所を訪れるのだが、私は別件と重なり不参加。6月からいよいよ那須与一に入る。

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4月度順記の会(造幣局通り抜け)

2012年04月21日 | 講座・会合

 4月18日(水)順記の会がありました。例年4月の会は大阪造幣局の「桜の通り抜け」をした後、懇親会となります。16時30分に入り口に集合、6名が参加いたしました。

 

 見頃の桜が多く、温かかったため大勢の人が一方通行の会場で花見を楽しんでいました。

 

今年の花「小手毬」は満開、大勢の人が写真を撮っていました。

 

 花びらの絨毯もとてもきれい。

 

通り抜けたあとは、天神橋商店街にある魚の美味しいお店「松留」で懇親会。

 

 美味しい料理とお酒を沢山頂いた後、締めは雑炊でした。「花より団子」ですね。

 

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